2017年2月15日水曜日

バッハと庖丁、達磨





話:齋藤孝



バッハは、どうしたらそんなにうまくオルガンが弾けるのかと訊かれて、

「楽譜どおりに定められたタイミングで、定められたところに指を置くだけ」

と言ったという逸話が残っています。いま置くべき位置に置くべき指を置く。つぎのタイミングでも置くべき位置に指を置く。ひたすらこれを積み重ねていくことがすばらしい演奏につながる。一つ一つの鍵盤タッチだけを考え、後のことも先のことも考えない。



『荘子』に庖丁(ほうてい)という料理の名人の話が載っています。彼の刀は19年使っても刃こぼれがしなかったといいます。肉の筋にそってすすーっと求められるがままに切るので、まったく力が入らず、刃こぼれがしなかったからだそうです。

頭で考えずに、瞬間瞬間に求められるがままに手を動かしているゆえのことです。



達磨(だるま)は、

「外に所縁(さまざまな因縁)を止(とど)め、内に心が喘(あえ)がぬこと、心は牆壁(しょうへき、囲い)のようになって、はじめて道に入ることができる」

と説いています。達磨から数えて六代目の祖(六祖)慧能(えのう)も、外に向かって心の思いが起こらないのを「坐」と言い、自分の内側に本性を見て動じないのを「禅」と言うと定義しています。

不動の壁を見つづけることで、外に向かっていた心が内に向かい、何事にも動じない不動の心になり、雑念や妄念に惑わされない境地に落ち着いていく。自分があたかも壁のようになり、自分が壁を見ているのか、壁が自分を見ているのかわからなくなる。

達磨の「壁観(へきかん)」を柳田聖山氏は、

「壁が観(み)るのである、壁を観るのではない。壁となって観るのである。何を観るのか、空を観るのである」

と説いています。








出典:声に出して読みたい禅の言葉




0 件のコメント:

コメントを投稿