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2015年7月1日水曜日

盲人、丸太橋をわたる [剣客禅話]



〜話:加藤咄堂〜


無眼流

 無眼流(むがんりゅう)の開祖・反町無格(そりまちむかく)、諸国武者修行の途、或る山間を過ぎ谿間(けいかん)に一独木橋の架せるに遇ふ。渡らんとすれば橋揺(ゆる)ぎ、脚下を見れば懸崖数十丈、水激して岩を噛む。渡らんとして渡る能(あた)わず。

 如何(いかが)はせんと佇(たたず)みしに、偶々(たまたま)来り合わせし一盲人の、橋の袂(たもと)にて下駄を脱ぎ、これを杖に通して帯の後(うしろ)に差し、匍匐して何の苦もなく渡り過ぎしを見。おもへらく眼の開(あ)きたる者は、心その為めに動かされ、恐怖の念、内に満ちて渡る能(あた)わざるも、 眼なき者は他に動かさるるものなきが故に、かえって虚心坦懐、もって胆力を養ふべし。

 我もまた盲人の如くにして渡るべしと、渡り終って大いに悟るところありて、ついに一流を工夫して無眼流と名づけしと、談は『剣道』に出(い)でたり。かくの如きもまた禅家のいわゆる無念無想の趣(おもむき)を得たるものにあらずや。

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引用:加藤咄堂『剣客禅話』




当意即妙 [宮本武蔵]



〜話:加藤咄堂〜


 宮本武蔵の剣機禅機については、勝海舟の『氷川清話』に当意即妙の一話を挙ぐ。

 宮本武蔵と云ふ人は大層な人物であったらしい。剣法に熟達しておったことは勿論の話だが、それのみならずこの人は仇(かたき)があったので、初めは決して腰から両刀を離さなかったが、一旦豁然として大悟するところがあって、人間は決して他人に殺されるものでないと云ふ信念ができ、それからといふものは、まるで是迄(これまで)の警戒を解いて、何時(いつ)も丸腰で居(お)ったそうだ。

 ところが或る時、武蔵が例の通り無腰で庭前の涼台(すずみだい)に腰をかけて団扇(うちわ)であおぎながら、余念もなく夏の夜の景色に見とれていたのを、一人の弟子が先生を試さんと思って、いきなり短刀を抜いて涼台の上に飛び上った。武蔵はアッといって忽(たちま)ち退くと同時に、涼台に敷いてあった筵(むしろ)の端をつかまへて引っ張った。すると、そのはずみで弟子は涼台から真っ逆さまに倒れ落ちたのを見向きもせずに、平然として「何をするか」と一言いったばかりであったそうだ。

 人間も此(この)極意に達したらどんな場合に出合っても大丈夫なものさ。いわゆる心を明鏡止水(めいきょうしすい)のごとく磨き澄ましておきさえすれば、何時(いつ)如何なる事変が襲って来ても、それに処する方法は自然と胸に浮かんで来る。いわゆる物(もの)来りて順(じゅん)応するのだ云々。

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引用:加藤咄堂『剣客禅話』




猿の剣術 [剣客禅話]



〜話:加藤咄堂〜


 新井白蛾の『牛馬問』に柳生但馬守、猿殿を二疋(ひき)飼いたまひ、常々打太刀(うちだち)にして剣術したまひしに、この猿ども至極(しごく)業(わざ)に通じて、初心の弟子衆はいつも此の猿に負けしとなり。

 ここに或る浪人、槍を自慢にて何とぞ柳生公へ出合(であひ)たしと思ひ、縁を求めて至り対面の後、「さて私儀、少々槍を心がけ居り候(さふろう)。憚(はばか)りながら御覧くだされ」と言ふ。但州公、聞きたまひ、

「安きことながら、まづ此の猿と立ち合ひ見られよ」

とある時、件(くだん)の浪人、大いに腹だちし顔色にて「これはあまりなること」と申すに、「もっともなれども先(ま)づ立合(たちあひ)見られよ」とある故、是非なく竹刀(しない)を持ちかかりければ、猿も竹具足に面をかけ小さき竹刀を持って、互いに立ち合ふ。

 かの者ただ一突(ひとつき)につき倒さんとかかりしに、猿つかつかとくぐって何の造作もなく件(くだん)の男を打ちたり。案に相違し、今一度と望みければ、また一疋の猿を出(い)ださるるに、立合ひてまた猿にたたかる。

 大いに面目を失い帰り、それより四五十日ほどは夜をもって日につぎ精心に工夫をつくし、また柳生の許(もと)へ行き対面の上、「さて件(くだん)の猿と立合い申したく」と望みければ、但州聞きたまひ、見申すに

「その方、工夫先日よりも殊(こと)の外(ほか)上達なり。今度は猿でもなかなか勝つこと成りがたし。それとも立合い見られ候(さふら)へ」

とて、猿を出さるるに、互いに相向かひ、いまだ槍を出(い)ださざるに猿大いに啼きて逃げしとなり。件(くだん)の男も、但州の門弟となり、奥義を伝へたりといふ。これ猿さへも学ぶところを知れば、人中の有無を知る云々となり。槍いまだ出でざるに心機まづ彼れを突く剣の心法なるもの之にても知り得べきか。

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 引用:加藤咄堂『剣客禅話』




2015年6月30日火曜日

右眼を打たれ、左眼を押さえる [柳生十兵衛]



〜話:加藤咄堂〜

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 柳生宗矩(やぎゅう・むねのり)が、其の子の十兵衛の技量を試みんとて、突然石をもって右眼を打つと、ハッと云ひつつ左の眼を押へたといふ。

 右を打たれるば右を押へるが人情。されど既に打たれたる右は詮なし、この上は左を打たれざるこそ肝要なるは理の当然。これを機一髪間に行ふたといふのは、心に物なきが故に、自然に変に応じ得たので、少しでも物があればそれに奪われて、妙用自然なることを得ないのである。

 真空妙有(しんくうみょうう)は仏法の極意。何にも無きところに物あり、心に物なきが故に何物をも容るることができて融通無碍(ゆうづうむげ)なることができるのである。

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引用:加藤咄堂『剣客禅話』




心に物なき売卜先生 [剣客禅話]



〜話:加藤咄堂〜

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 神田は柳原の辺の大道易者、今日は朝から一人の客もなく、夕餉(ゆうげ)の料も得難(えがた)きに、フト思ひつきたるは、当時剣術の道場にては試合に来りし修行者には勝っても負けても飯を食はして何程(なにほど)かの草鞋銭をくれることで、

「こは妙計なり、我れ修行者となって道場に赴かん、負けるはもとより定まりたれど、一つ打たれさへすれば夕餉の心配はない」

と大胆にも柳生但馬(やぎゅう・たじま)の道場へと出かけて、同じ打たれるならと覚悟を決めて

「先生と試合したし、御弟子は御免こうむる」

と言ふに、道場にては「さては名ある剣道者の来りしならん」と、この由(よし)を但馬(たじま)に通じ、但馬は出て一礼するに、別段武芸者らしい所もなし。不審ながらも立ち合ふに、売卜(ばいぼく)先生は打たれる覚悟、恐れげもなく木刀持って立てるを、但馬、小癪なりと同じく木刀は取りしものの、相手の体は全くのスキだらけ。

「サァ打て」

と掛け声したる売卜先生の態度は、どこに変化の手あるやと、己が腕に覚えのあるだけ力負けして容易に手を下さぬに、此方(こなた)は打たれさへすればよいと、

「ヤァ!」

と掛声する。但馬はますます驚きて、手の下さんやうもなし。一足二足、後(あと)へよると、此方(こなた)は「ヤァ、ヤァ」と進む。余程の腕前と木刀投げ棄て、

「驚き入ったる貴殿の腕前。そもそも何流を御修行ありし」

と言ふに売卜先生も驚きて、顔赤らめながら事の始終を語りしに、但馬は黙然として我が修行の足らざるをかこち、

「剣は心にあり、彼れ打たるると覚悟を定めて勝敗に念なし、この念なきが故に我が術も施すあたはざりしか」

と言ふたといふ話がある。心に物なきの力ほど大なるものはない。

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引用:加藤咄堂『剣客禅話』




虎と沢庵和尚 [剣客禅話]



〜話:加藤咄堂〜

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 徳川家光の代に、朝鮮より虎を上覧に供せし時、柳生但馬守(やぎゅう・たじまのかみ)は其の檻の中に入って、よく虎を睨みて尻込(しりごみ)せしめしに、沢庵(たくあん)和尚は静かに其の檻の中に入って、虎の頭を撫でて出て来たといふ。

 一は気をもって彼を制し、他は和をもって之を服したので、これこの時、己を忘れ、物を忘れ、いわゆる無物の境にあり、神武にして殺さざるもの剣道の極意、その妙、口言うあたはざるものがあるのである。

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 引用:加藤咄堂『剣客禅話 』