話:クリストファー・マクドゥーガル
「じつに面白い話があります」
とブランブル博士は言った。
「われわれは2004年のニューヨークシティマラソンの結果を調べて、年齢別にタイムを比較してみました。それでわかったんですが、19歳を振り出しとして、ランナーたちは毎年速くなり、27歳でピークに達する。27歳をすぎると、タイムは落ちはじめるのです。
さて、ここで問題。19歳のときと同じスピードに戻るのは何歳のときか?」
オーケー。
私はノートをめくって新しいページを開き、数字を書きなぐりはじめた。27歳で自己ベストに達するまでに8年かかる。速くなるのと同じペースで遅くなるとしたら、19歳のタイムに戻るのは36歳。8年かけて上がり、8年かけて落ちるわけだ。
だが、"引っかけ" があるのはわかっていたし、それはつまり、タイムが向上するときと同じ速さで衰えるのかどうかが問題にちがいなかった。
「おそらく一度獲得したスピードはなかなか同じようには落ちていかないでしょう」
と、そう私は判断した。
26歳でマラソンの世界記録を破ったハリード・ハヌーシは、36歳になっても2008年の米国のオリンピック選考会で4位に食いこむ速さがあった。数々の故障があったにもかかわらず、10年間で10分しか遅くなっていない。このハヌーシ曲線に敬意を表して、私は回答を40歳に引きあげた。
「40…」
と言いかけたところで、ブランブルの顔に笑いが浮かぶのが見えた。
「…5」
と急いで言い足した。
「45でしょうか」
「はずれ」
「50?」
「いやいや」
「55はありえない」
「そのとおり、ありえない。」ブランブルが言った。
「答えは64です」
「本当に? とすると…」
私はざっと計算式を書いてみた。
「とすると、45歳の差がある。10代のランナーが3倍の年齢の人に勝てないと言うのですか?」
「たまげるでしょう?」
ブランブルも同じ意見だった。
「64歳が19歳と互角に渡り合う競技を、ほかに挙げてみてください。水泳? ボクシング? 接戦にもならない。われわれ人間にはじつに不思議なところがあります。持久走が得意なばかりか、きわめて長期間にわたって得意でいられる。われわれは走るためにつくられた機械 -- そして、その機械は疲れを知らないのです」
You don't stop running, because you get old.
人は歳をとるから走るのをやめるのではない
とディップシーの鬼は、いつも言っていた。
You get old, because you stop running.
走るのをやめるから歳をとるのだ
…
宇宙飛行士は地球に帰還したとき、数日間で何10歳ぶんも老化していた。骨は弱くなり、筋肉は萎縮した。不眠、鬱、急性疲労、倦怠感に悩まされ、おまけに味覚まで衰えていた。
長い週末をソファでテレビを見ながら過ごしたことがある人なら、その感覚がわかるだろう。この地球にわれわれは無重力空間を現出させたのだ。身体が果たすべき仕事を奪い、その代償を払っている。
西洋における主な死因、心臓病、脳卒中、糖尿病、鬱病、高血圧症、10数種類の癌…、のほとんどを、われわれの祖先は知らなかった。医学もなかったが、ひとつ特効薬があった。あるいは、ブランブル博士が立てた指の数から判断すると、ふたつ。
「この療法だけで、病気の蔓延をまさしく直ちに止めることができるのです」
と博士は言った。そして2本の指をさっと立ててピースサインをつくり、それをゆっくりと回転させて下向きにし、宙で指を交互に動かす。ランニングマンだ。
「ごく単純なことです」
と博士は言った。
「脚を動かせばいい。走るために生まれたと思わないとしたら、あなたは歴史を否定しているだけではすまない。あなたという人間を否定しているのです」
…
引用:クリストファー・マクドゥーガル『Born to Run』
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