中部経典(マッジマ・ニカーヤ)
『ノコギリのたとえ』より
…
このように、私は聞きました。
あるとき、世尊は、サーヴァッティー市(舎衛場)のジェータ林にある、アナータピンディカ居士の僧院に住んでおられた。また、まさにそのころ、比丘モーリヤパッグナは、比丘尼たちと一緒に過度に仲良くして(必要以上に関わりをもって)いた。
比丘モーリヤパッグナが比丘尼たちと一緒に仲良くして(必要以上に関わりをもって)いたとはこのようなことである。もし、比丘尼の誰かが、比丘モーリヤパッグヤの目の前で、その比丘尼たちの批判を口にしようものなら、そのことで、比丘モーリヤパッグナは怒り、機嫌を悪くし、言い争いさえもした。また、もし、比丘の誰かが、その比丘尼たちの目の前で、比丘モーリヤパッグヤの批判を口にしようものなら、そのことで、その比丘尼たちは怒り、機嫌を悪くし、言い争いさえもした。このように、比丘モーリヤパッグナは、比丘尼たちと一緒に仲良くして(必要以上に関わりをもって)いた。
そこで、或る比丘が世尊のところに近づいて行った。行って、世尊に礼拝して、一方に坐った。まさに、一方に坐ったその比丘は、世尊に、こう申し上げた。
「尊師、比丘モーリヤパッグナは、比丘尼たちと一緒に過度に仲良くして(必要以上に関わりをもって)います。比丘モーリヤパッグナが比丘尼たちと一緒に仲良くして(必要以上に関わりをもって)いるとはこのようなことです。もし、比丘の誰かが、比丘モーリヤパッグナの目の前で、その比丘尼たちの批判を口にしようものなら、そのことで、比丘モーリヤパッグナは怒り、機嫌を悪くし、言い争いさえもします。また、もし、比丘の誰かが、その比丘尼たちの目の前で、比丘モーリヤパッグナの批判を口にしようものなら、そのことで、その比丘尼たちは怒り、機嫌を悪くし、言い争いさえもします。このように、比丘モーリヤパッグナは、比丘尼たちと一緒に仲良くして(必要以上に関わりをもって)います」と。
そこで、世尊は、或る比丘を呼ばれた。
「さあ、比丘よ、あなたは、私の言葉をもって、モーリヤパッグナ比丘を呼びなさい。『友、パッグナさん、師があなたを呼んでいます』」と。
「かしこまりました、尊師」と、まさに、その比丘は、世尊に答えて、比丘モーリヤパッグナのところに近づいて行った。行って、比丘モーリヤパッグナに、こう告げた。
「友、パッグナさん、師があなたを呼んでいます」と。
「わかりました、友よ」と、まさに、比丘モーリヤパッグナは、その比丘に答えて、世尊のところに近づいて行った。行って、世尊に礼拝して、一方に坐った。まさに、一方に坐った比丘モーリヤパッグナに、世尊は、こう告げた。
「本当ですか。聞くところによると、パッグナ、あなたは、比丘尼たちと一緒に過度に仲良くして(必要以上の関わりをもって)いるとのことです。聞くところによると、パッグナ、あなたが比丘尼たちと一緒に仲良くして(必要以上に関わりをもって)いるとはこのようなことです。もし、比丘の誰かが、あなたの目の前で、その比丘尼たちの批判を口にしようものなら、そのことで、あなたは怒り、機嫌を悪くし、言い争いさえもします。また、もし、比丘の誰かが、その比丘尼たちの目の前で、あなたの批判を口にしようものなら、そのことで、その比丘尼たちは怒り、機嫌を悪くし、言い争いさえもします。聞くところによると、パッグナ、あなたが比丘尼たちと一緒に仲良くして(必要以上に関わりをもって)いるとはこのようなことです」と。
「そのとおりです、尊師」
「パッグナ、あなたは、良家の子息として、信をもって家をはなれ、家なき出家者になったのではないですか」と。
「そのとおりです、尊師」
「パッグナ、良家の子息として、信をもって家をはなれ、家なき出家者になったあなたにとって、まさにこのことは、ふさわしいことではありません。すなわち、あなたが、比丘尼たちと一緒に過度に仲良くして(必要以上に関わりをもって)、住むようなことです。
パッグナよ、ですから、たとえ誰かが、あなたの目の前で、その比丘尼たちの批判を口にしたからとして、そのときでさえも、パッグナ、あなたは、世俗的な諸々の意欲や考え方を捨て去るべきなのです。
そこでまた、パッグナ、あなたは、このように戒めねばなりません。
『私の心は、決して、動揺しないのだ。また、悪しき言葉を、私は発さないのだ。また、こころ優しい者として、慈しみの心の者として、怒りのない者として、私は生きるのだ』
と。パッグナ、あなたは、まさしくこのように、戒めねばなりません。
パッグナよ、ですから、たとえ誰かが、あなたの目の前で、その比丘尼たちに手でもって殴るとしても、石でもって殴るとして、棒でもって殴るとして、刃物でもって殴るとして、そのときでさえも、パッグナ、あなたは、このように戒めねばなりません。
『私の心は、決して、動揺しないのだ。また、悪しき言葉を、私は発さないのだ。また、こころ優しい者として、慈しみの心の者として、怒りのない者として、私は生きるのだ』
と。パッグナ、あなたは、まさしくこのように、戒めねばなりません。
パッグナ、ですから、たとえ誰かが、あなたの目の前で、あなたの批判を口にするとして、そのときでさえも、パッグナ、あなたは、世俗的な諸々の意欲や考え方を、捨て去るべきなのです。そこでまた、パッグナ、あなたは、このように戒めねばなりません。
『私の心は、決して、動揺しないのだ。また、悪しき言葉を、私は発さないのだ。また、こころ優しい者として、慈しみの心の者として、怒りのない者として、私は生きるのだ』
と。パッグナ、あなたは、まさしくこのように、戒めねばなりません。
パッグナ、ですから、たとえ誰かが、あなたに手でもって殴るとして、石でもって殴るとして、棒でもって殴るとして、刃物でもって殴るとして、そのときでさえも、パッグナ、あなたは、このように戒めねばなりません。
『私の心は、決して、動揺しないのだ。また、悪しき言葉を、私は発さないのだ。また、こころ優しい者として、慈しみの心の者として、怒りのない者として、私は生きるのだ』
と。パッグナ、あなたは、まさしくこのように、戒めねばなりません。
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出典:アルボムッレ・スマナサーラ
怒りの無条件降伏 中部経典『ノコギリのたとえ』を読む
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