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2018年5月19日土曜日

ひらかなかった落下傘【野田佳彦】


From:
10M TV オピニオン
松下幸之助
『俳優でもやるのかと思われるほど笑い方を磨け』


話:野田佳彦




わたしの地元(千葉県船橋市)に陸上自衛隊の第一空挺団の落下傘部隊があるじゃないですか。

その落下傘部隊が北海道へ演習にいって、300メートルのところから降下をしたのです。そうしたら、落下傘のひらかない隊員が一人いた。それで、

「予備傘は開いたのか?」

と聞いたら、予備傘も開かなかった。ということは垂直落下です。

「現場を確かめに行け」

ということで向かったら、その隊員が雪のなかに立っているというのです。

「突き刺さったのか? もっと近くに行って見ろ」

といって近づくと

「しゃべっている」

というのです。しゃべっているということは生きていたのですよ。


雪が30cmぐらい積もっていたのと、寸前に、落下の5メートル手前で、さっと落下傘が開きかかったことが、(落下速度が)時速14km以上だと死ぬのですけれど、13.数kmでギリギリとどまったという奇跡がおこったのですよ。

すごいのは、その隊員は、平素の厳しい訓練をそのまま地面に落ちるまでやろうと思って、気を失うこともなく、落下地点を見つめながら、どう着地するか諦めないでずっといたということです。

これなのです。

わたしは「これだ」と思いました。

「運」とは諦めないこと。

最後まで諦めないでいること。






From:
10M TV オピニオン
松下幸之助
『俳優でもやるのかと思われるほど笑い方を磨け』

2017年3月22日水曜日

王家の断絶と戦争[ターガート・マーフィー]


話:R・ターガート・マーフィー
R. Taggart Murphy







ウィンストン・チャーチルはかつて興味深いことを言っていました。

I saw an interesting comment that Winston Churchill made.

もしアメリカが、第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約の締結時に、ドイツとオーストリアの王族であるホーエンツォレルン家とハプスブルク家の断絶を主張しなかったら、第二次世界大戦は起こらなかっただろう、ということです。それだけ君主制には意味があったかもしれない、ということです。

And he said that, if the United States at the Versailles treaty, Versailles, the negotiations that led to the Versailles treaty at the end of World War Ⅰ, if the United States had not insisted on the end of the Hohenzollern and Habsburg dynasties, the monarchies in Germany and Austria, and turning those two countries into republics, Churchill said, we would never have had the Second World War, so.








過去にさかのぼれる粒子 [一ノ瀬正樹]



話:一ノ瀬正樹





ヒュームは「原因と結果」と理解される事象の特徴、すなわち恒常的連接が生じる前提として、「原因と結果は時空的に接近している」、そして「原因は結果に時間的に先行する」という2点を挙げています。

これは、それ自体を考えたときにはもっともなことだと思います。先ほど言ったのは、原因と結果は時間的・空間的に接近しているということです。時間的にもすぐだし、空間的にも文字通り同一の場所です。「原因は結果に時間的に先行する」、これも当たり前で、原因が先に起こらなければいけません。結果は後から起こります。ヒュームはこの2点を挙げているのですが、一見こういう自明な論点でも問題が生じないわけではありません。






たとえば、接近に関していうと、量子力学のEPR相関というものがあります。素粒子が崩壊して2つに分かれた後、一方に波束の収縮が起こると、宇宙の果てまで離れた他方にも、一瞬でその波束の収縮の因果的作用が光速を超えた形で伝わります。これが量子力学のEPR相関です。

アルベルト・アインシュタインやネイサン・ローゼンたちは、「量子力学の考え方を前提にすると、EPR相関という矛盾が起こる」と言いました。アインシュタインは生涯にわたって量子力学に対して批判的で、いろいろな学会で「量子力学の考え方はおかしい」と言いました。「神はサイコロを振らない」というのがアインシュタインの信条でしたが、量子力学にしたがうと、世界の現象は本質的に確率的であるということになってしまいます。それはおかしいとアインシュタインは考えていました。つまり、「宇宙の果てから果てまで、光速を超えた形で因果関係が伝わってしまうのはおかしいではないか」と考えたのです。

しかし、量子力学では反対に「そういうこともあるんだ」と、むしろ認めてしまったわけです。つまり、非局所性という遠隔作用があることを認めたのです。これは、接近していなくても、原因と結果の関係が成立するということの一例です。






さらには時間的先行です。原因と結果で、原因の方が時間的に先行しているということに関しても、「逆向きの因果の可能性」がしばしば言われます。

たとえば、イギリスのオックスフォード大学の哲学者で、マイケル・ダメットというヒトが挙げた「酋長の踊り」という例があります。これは "Bringing about the past" 、「過去を引き起こす」という題の論文の中にあるものです。

ある部族で、成人になるためのプロセスとして、2日かけてライオンのいる草原に出かけ、2日間ライオン狩りを勇敢に遂行して、また2日かけて帰ってくるという通過儀礼をおこなうとします。若者はその通過儀礼を経たうえで、部族の中で成人したと認められます。狩りのあいだ酋長は、若者たちを勇敢に振る舞わせようとして、踊りつづけます。そして最後の2日間も踊りつづけ、若者の行動に影響をあたえようとします。



これを聞いた文明社会の人たちは、こう考えます。若者たちを勇敢に振る舞わせようとして酋長が踊りつづけることが、はたして若者たちに何か影響をおよぼすのか。酋長の踊りが事実的な影響をおよぼすということが、部族の人たちによって何らかの形で信じられています。これは合理的とはいえませんが、1日目から4日目の途中ぐらいまでは、いちおう私たちにも理解可能です。

ところが問題は、最後の2日間、5日目と6日目です。5日目と6日目は、もうライオン狩りが終わって帰ってくるときです。そのときに、若者を勇敢に振る舞わせようと酋長が躍っても、なんの効果もないのではないかと私たちは思います。しかし部族の人たちは、5日目と6日目にも効果があると思っています。「それはおかしいですよ」ということを、その部族の人たちに説き伏せることができるだろうか。これがダメットの問題でした。

結論としては、それを説得することは非常に難しいというものです。そういう意味で、時間を逆向きに、つまり原因と結果の関係において、結果のほうが先に起こっており、原因は後から起こるという考え方を、完全に不合理だとして退けることはできない可能性をダメットは示唆しました。






じつは、物理学の中ではこういうことがあるのです。

たとえば、「ファインマン=シュテュッケルベルグ解釈」といって、過去にさかのぼって進む「antiparticle」と呼ばれる反粒子の存在です。これはCPT対称性などという概念といっしょに提起されるものですが、時間をさかのぼって過去へ動く粒子です。ということは、原因と結果でいえば、原因が後から来ていることになります。

さらには、これはややSF的な想定、仮説にすぎませんが、「タキオン」という物質があります。これは過去に情報を送ることを可能にするような、光速を超えた形ですすむ物質です。そういう想定、仮説です。光速未満では走れないという想定の物質ですが、仮にこの物質の存在を前提にすると、過去に情報を送れるようになることが知られています。これも因果律をやぶっていて、現在から過去にむかって何か作用をおよぼすという物理学的な概念です。そういう意味で、逆向き因果、つまり結果のほうが先にきて、原因が後にくることは、可能性としてあり得ることになります。











2015年4月10日金曜日

山形中央高校の武士道、「そこまでやるか」 [上甲晃]



話:上甲晃






 私はどうしても”この学校”に行ってみたかった。山形中央高校といいます。「山形中央高校に一回行ってみたい」と思ったのです。

 この高校が、なぜ有名になったのか?

 山形といえば日大山形高校などが高校野球の常連校です。日大山形は全国から野球の上手な人を集めて、素晴らしいグラウンドもあり宿舎もあって、野球が強くなる条件は全部そろっています。ところが山形中央高校は県立高校。部員数31名は全員、山形県出身です。



 山形中央高校が有名になったのは決勝戦です。山形大会の決勝戦で、急に有名になったのです。9回裏まで 0-3 か 0-4 で負けていました。そして最終回の9回裏に劇的に逆転して、優勝を決めたのです。

 ここまでは、よくあることです。その次がすごい。彼らは誰一人として、その場で抱き合ったり、マウンドに駆け寄ったりという喜びの姿をあらわさずに、まったくの平常心で整列して「ありがとうございました!」のあいさつをしたのです。その姿がマスコミで取り上げられて、話題となったのです。






 これは実は「武士道」なのです。

 剣道でも、勝ったときに喜びの表情をしたら、その瞬間に失格です。それはなぜか? その勝負が決するときまで、相手も同じだけの精進をしてきた。その相手のことを思いやるから、たとえ自分がどれほど歓喜に沸いても、相手の前では喜びをグッと抑えるのが日本人の美学なのです。

 それを山形中央高校の部員たちが実践したものですから、大変な話題になりました。



 自分たちだけだったら、どんなに万歳してもいい。ただ、相手の前だったら、一切そういうことをしない。いろいろと聞いてみると、決勝戦以外でも、どんな小さな地方大会でも、野球場の職員さん方はそのことを絶賛しているのです。

 あいさつ、掃除のすべてが行き届いている。行儀にしても、カバンを並べるのもスパイクを並べるのも、すべてビシーッと一直線。寸分違わない。どこに行っても職員さん方は「あの学校は大したもんだ」と言っていました。






 そして甲子園に出たわけです。甲子園でもそれが非常に話題になって、宿舎の周りの人たちからも差し入れがあるなど、非常に評判を得たのですね。甲子園でも、ゴミが飛んできたら選手がボールを拾わずにゴミを拾って、拍手喝采を受けました。

 3回戦で負けましたけれども、その時も一切平常心。涙を流す人は一人もいなかったし、甲子園の土を集める人も一人もいなかった。いつものごとく平常心をもって去って行った。ということで、これまた非常に話題になりました。



 ですから、この野球部でどのような教育をしているのか見たかったのです。

 行って驚きました。まず、あいさつがいい。ビシッとするあいさつも素晴らしいけれども、朝7時半からの練習は、30分間があいさつの練習です。しかもビシーッと横に一直線に線を引いて並んで、寸分違わず角度もそろえて「おはようございます!」と言う練習。次は座ったときの練習です。

 グラウンドも整備されている。まるで絨毯を敷いたように整備されているのです。ボールが入っている籠の中も、まるで卵のパックのように全部きれいに行列していました。まっすぐに並んでいるのです。カバンも机も一直線。しかも、壁面に張ってるのは論語や先人の言葉ばかりです。



 この監督は

「野球は手段。われわれは人間的な成長をするために野球をやっている」

という考え方なのです。優勝するために野球をやっているのではないのです。野球という手段を通じて、人間力を上げることに教育の原点を置いているわけです。






 その時、私が一番感動した言葉は

「あいさつは野球より難しい」

 それを聞いたとき、「あー、俺の青春塾と一緒だ」と思いました。あいさつは野球より難しいのです。たとえば、ふてくされていても野球はできます。けれども、ふてくされていては”本当のあいさつ”はできないのです。傲慢な気持でも野球はできますが、傲慢な気持ちで人に”本当のあいさつ”はできないのです。

 どういうことか? 野球はある意味において”技術”なのです。あいさつは”心”なのです。心が整っていないとあいさつは出来ません。技術は、身につければ野球はできます。しかし、あいさつは本当にその心がなければ出来ないのです。



 私の持論は「真理は平凡のなかにある」ということなのです。

 私はこう思います。「誰でもやっている当たり前のことを、誰よりも徹底してやる」、それが底力なのだ、と。







 私が松下電器にいた頃、一番大事にしたのは「そこまでやるか」の合言葉でした。難しいことなどしなくていい、特別なことなどしなくていい。誰でもやってる当たり前のことに「そこまでやるか」と言われるほど徹したときに、初めて人の心を動かすことができる。そこそこにしかやっていない間は、絶対に人の心を動かすことなどできない。

 これは、松下幸之助から私が徹底して教えてもらったことです。



 山多賀中央高校もヒモを持っていましたが、私も松下電器に在職中は、必ずポケットに「たこ糸」を入れていました。会議の座席、机、名札から資料に至るまで、すべてタコ糸を使って寸分違わずビシッとそろえるためです。ペットボトルを置くときは、位置はもちろん、方向もラベルが見えるようにビシッと並べるのです。

 若い社員は「座ったら一緒でしょ」と言いますが、即座に叱りとばされます。

「心の限りを尽くして準備した部屋は、空気が変わるんや!」

と言われます。

「空気が変わることが分からなければ、経営者にはなれん。経営者は空気で経営がわからなあかん」

と教えられたのです。

 会議室の用意をビシッと整えておくと、他所の会議室に行ったときに、その違いが分かります。机がガタガタしていたり、席の前後が広かったり狭かったり、他の会社の会議室に足を踏み入れた瞬間に「この会社は儲からんな」ということが空気でわかってくる。なんとなく空気が「締まらない」と感じたり、「空気の力」が感じられるようになってくるのです。







 宴会で座布団をビシッと並べ終わったとき、先輩から

「おい上甲、お前の座布団、前と後ろが反対や。裏と表も逆や」

と言われました。「えっ? 座布団に前とか後ろとかあるんですか?」と言うと、本気で叱られました。「座布団には前と後がある。裏と表もある。一流の料亭では全部ビシッとそろっている」と言うのです。

 本当にそうでした。名だたる料理店に行くと、座布団の前後・裏表がすべて揃っているのです。真理は平凡のなかにある。その中には「空気力」と呼ばれる、空気でわかる力があって、それを感じる力がついてくるのです。



 「継続は力なり」と言いますが、継続は「微妙な変化に気づく力」を与えてくれる。

 繰り返しになりますが、「難しいことなんてせんでえぇ。むしろ人間として当たり前のことを徹底してやる。合言葉は”そこまでやるか”」。それが底力の差ということであります。
















(了)






ソース:10ミニッツTVオピニオン
上甲晃「真理は平凡のなかにある」「そこまでやるか」




2015年4月9日木曜日

「君、食べたんか?」 [松下幸之助]



話:上甲晃






 松下政経塾の頃、私が一番心を砕いたのは役員会だったのです。役員会では松下幸之助理事長のもとに人が集まりますが、役員は当時の錚々たるメンバーで、いわば日本の第一人者と言われる人たちでした。テレビか新聞、雑誌でしか見たことのないような人物がゾローっと並ぶわけですから、われわれは大変な気遣いをしました。

 とりわけ私が心を砕いたのは”お昼のお弁当”です。「どんな弁当を出すか」というのに大変心を砕いたのです。あらゆる弁当屋さんから情報を集めて、それを一覧表にして、この弁当にはどんな材料が入っていてとか、価格も書いて、写真まで撮って決裁をもらいに行きました。



 松下幸之助がずっと説明を聞いていて、最後に一言

「うまそうやな」

と言ったので、私も何気なく

「美味しいと思います」

と言ったのです。



 すると松下幸之助の顔が変わりました。

「君…、いま”思う”と言ったな。…食べたんか?」

とこう言うのです。

「いえ、食べてません…」

と言ったら

「なんで大事なお客さんに弁当を出すのに、自分で食べてへんのや?」

と叱られたのです。



「自分で実際に食べてみる。あ~うまい。分量もちょうどいい具合。これだったらきっと喜んでもらえる、と思って出す弁当は、弁当とともに君の心が伝わるんや。君、それが魂の入った仕事やで。君の仕事には魂がはいっていない」

と、こう言うのです。自分で実際に食べてみる。これが一次情報なのです。美味しいなと思う。これが一次情報なのです。

「すべてそういうレベルで仕事をしていかないと、仕事は上滑りしてしまう。そういうレベルで仕事をすればカネ以上の値打ちがでる」

と言って叱られたのです。







この

「食べたんか?」

という言葉に表われているように、あらゆることにおいて松下幸之助はお客さん一人一人のことを考えて実践したのです。つねに

「現地・現場で、現物に向かってやれ」

ということを徹底してやられたのが、まさに一次情報なのです。一次情報というのは”これは私しか持っていない情報です”ということです。「調べろ」というと、今の若い人はすぐにスマホやインターネットに向かうわけです。そうすれば膨大な情報がとれる。けれども残念ながら、それは人と同じ情報なのです。

「パソコンに向かう前に、現場に向かおう」

というのが我々の合言葉なのです。「徹底して一時情報で勝負しろ」、「現実をこの目で見よう、現実をこの手で触ってみよう」。この耳で聞いて全身で感じたもの、それがまさに一次情報なのです。なので、まず第一に現場に向かう、そして現場に立つというのが大原則なのです。

「すべて現場に立ってみる」

これは松下幸之助に教えられたことなのです。







 志摩観光ホテルというホテルがあります。かつてそこに伝説上の人物、総料理長、兼総支配人で高橋忠之さんとう人がいました。私も彼と同い年でお付き合いがあったのですが、彼も凄いと思いました。彼はこう言うのです。

「私は自分のホテルで提供している全ての客室に泊まっています。そして私は、自分がホテルで提供している全ての料理を食べています」

 これが一次情報ですよね。それが出来ていないと、お客様の仰っていることの意味が分からないのです。

「お宅の部屋、ちょっと暗いんじゃない?」

と言われても、自分で泊まったことがなければ「そうですかね」としか言いようがありません。

「お宅の料理、最近ちょっと甘いんじゃない?」

と言われても、自分で食べたことがなくては「そうですかね」としか言いようがないのです。







 こういう時代ですから、もちろんインターネットやスマホの情報は極めて大事です。ですが、その根本に一次情報をどれだけ持っているかということがいかに大事か、ということを松下政経塾では教えています。すべて現地、現場。

「現地・現場に行って、自らの体験をする。頭に叩き込む知識ではなくて、心に刻み込む勉強をせぇ」

 松下政経塾は政治家を育てる学校ですから、政治学の勉強をすると誰でも思いますが、しかし幸之助はこう言いました。

「そんな勉強せんでえぇ」

と。
















(了)






ソース:10ミニッツ TVオピニオン
上甲晃「青年塾運営のための3つの約束」




2014年5月3日土曜日

百年 河清をまつ


話:石川好




 物事の解決方法というのは、ある国は裁判で解決するとか、いろいろ話し合いでするなどがあるわけです。しかし、中国での物事の解決の仕方というのは、中国の古い言葉を利用して言えば「百年河清を俟(ま)つ」ということです。

 「河清」というのは「河が清くなる」の意味です。つまり、「100年間で河が清くなります」という言い方なのですね。この河は黄河のことです。黄河というのは、濁流、激流で、「黄色い河」と言うように濁っています。激流で、黄土高原から流れ込んでいる土砂を巻き込んでいますから、本当に濁っているわけですね。

 しかし、そのように濁った黄河も100年経てばやがてきれいになるのだと、という意味です。もちろん黄河というのは100年経ってもきれいになっていませんけれども、一つの例えとして、中国人の物事を解決する方法として使われる言葉なのです。



「百年河清を俟つ」

 「こんな濁った黄河であっても、100年も経てばどこか清らかな飲めるような水になるであろう」と、そういう言葉があるわけなのです。これは私の理解では、中国的な物事の解決方法を表した言葉だと思います。
 


 例えば、深セン市は、鄧小平の開放改革発祥の地ですが、その深センのど真ん中の鄧小平の大きな肖像画の横に「改革開放百年不動」という文字が大きく書かれています。

 鄧小平が改革開放をやったとき、「中国共産党のやることはたった一つ。100年間政治改革は一切やるな」という意味です。「政治的なことは一切いじらないで、ひたすら市場経済の改革開放だけに一意専心しなさい」と言っているわけです。100年ぐらい経済一点張りのことをやって経済さえ良くなれば、今の一党独裁のやり方であっても、いずれ政治的な難しい問題もさほど問題ではなくなる。そういう可能性があるから「改革開放百年不動」という言葉を使ったのですね。

 ですから、対中国との付き合いの中では、時間軸、時間の長さをわれわれの基準のおそらく100倍ぐらい長く考える必要があるわけです。



 こういうおもしろいエピソードがあります。

 1972年にニクソン大統領が訪中して周恩来や毛沢東と会うという歴史的出来事がありました。そして、当時の大統領補佐官で、隠密外交によりこの会談の実現に奔走したキッシンジャーという人がいました。

 彼は、もちろん現代を代表する外交史家であり歴史家であり、プラクティカルな人でもありますから、毛沢東とお話をするとき、例えばある案件で、「この問題はいつ解決しましょうか」と、時間を区切る言い方をします。現代の政治家ですから。

 すると毛沢東は「いや、キッシンジャーさん、この問題は1万年後ぐらいに解決しましょう」と、こう言ったわけです。当然、びっくりしてキッシンジャーが「1万年後では、地球がどうなっているか分からない。1万年は長いでしょう」と言ったら、毛沢東がなんと言ったかというと、「では、10分の1にして、1,000年先に米中関係でこの難しい問題を解決すればいいではないですか」と答えて、キッシンジャーはのけぞるわけですね。

 毛沢東は冗談でそう言ったかというと、そうではないのです。彼らの思考の中にある考え方というのはそういう時間軸で、「この問題は1万年後ぐらいでいい」ということなのです。ですから、中国人のそういう人たちにとっての1万年というのは、われわれにとっての100年とかそういう単位のものなのですね。



 これは戦争のときもそうなのです。

 日本が満州事変を起こしたときに、毛沢東が延安の山奥の中で、「これで勝利が決まった」という言い方をします。そのときは、日本軍は満州三省(遼寧省・吉林省・黒竜江省の東北三省)に100万、200万の兵隊もっていって、その威力でもって中原、北京に入り、そこで戦争を起こした。

 誰の目から見ても圧倒的な日本の軍事力があり、そういうことから見れば、明日にでも北京、上海が陥落するというように見える状況でした。間違いなく軍事的には日本が要所を制圧すると思われたのですが、しかし一人、毛沢東だけは、延安の山奥で、日本のその実力を見たこともないにも関わらず、「これで勝った」と言ったわけです。

 要するに、それはどういうことかと言うと、日本軍が満州を越えて中原に入ってきたということは、中国と百年戦争を始めるのだという感覚なのです。そこで、100年間この大陸の中で日本軍がもつわけがない。だから中国が勝ったと言ったのです。彼は本当に粗末な武器しか持っていない紅軍長征の軍隊に延安で堂々と「これで勝利した」と演説したのです。

 しかし、くどいようですけれど、そのとき毛沢東には日本軍の実力、軍事力に関する情報など一切ないのです。しかし、彼は中国の歴史の中に生きる為政者の一人として、そういう瞬間に中国の歴史の中に流れる時間軸の中で、「日本は百年戦争には耐えられない、だからわれわれが勝つのだ」ということを言ってしまう。



 つまり、物事を捉える、考える時間軸に、中国と日本とでは時差というものが大変ありすぎる。物事の決め方において「百年河清を俟つ」ということが、中国ではもう遺伝子のように思考とか行動に染み込んでいるのです。

 中国の100年というのはわれわれ日本人の感覚で言えば5年、10年である。せっかくお隣にあって、これだけ文化的、歴史的な影響を受けている日本が、そういうことを分からない。それがやはり日中関係の難しさであり、悲劇の一つではないかというように思います。







出典:10ミニッツTVオピニオン
石川好『百年河清を俟つ~中国流の物事の解決方法~』








2014年5月1日木曜日

維新から100年にして先進国 [小宮山宏]


話:小宮山宏


 日本は江戸時代の間、鎖国をしました。その間に産業技術において遅れをとったわけです。ペリーが黒船でやってきて、その黒船と自分たちの船との大きさの差、それはもうまさに国力の差であって、日本は植民地化するのではないかという国の存亡の危機を感じたわけです。

 アジアのほとんどの国が植民地化する中で、日本はそうした危険を乗り越えて、何度かの戦争を経つつも先進国になったわけです。いつなったかと言うと、ちょうどこれは偶然なのですが、1868年に明治維新、それから100年経った1968年に、日本のGDP、国内総生産というのが世界の第2位になったのです。アメリカ以外のすべての国をぬいて第2位に立ったのです。

 江戸時代の間に日本が負けたというのは、決して文化で負けたわけではなくて、産業技術で負けたということですから。文化というのは、例えば食べ物、寿司、天ぷらといったようなものは今でも世界一おいしいわけですし、美術で浮世絵などというものがなかったら、後期印象派というのは成立しえなかった。ゴッホなどはたくさん日本の浮世絵を模写しているというぐらい、文化的にもすぐれていたわけです。

 茶道、生け花といったようなものも、本当に精神性の高い文化を作ってきた。負けていたのは産業技術だったわけです。ところが、その産業技術で1968年に完全に追いついたのです。このとき日本は先進国になったわけです。







出典:10ミニッツTVオピニオン
小宮山宏『課題先進国としての日本』