2015年11月22日日曜日

あと一歩、あと半歩… [宮本祖豊]



話:宮本祖豊(みやもと・そほう)





大学受験につまづいて、自分自身を振り返ると、決して東大に入れるような賢い頭ももっていないし、裕福な家庭というわけでもなかった。痛感したのが、自分自身の徳のなさでした。徳を積むために一生を歩んでいきたいという思いから、宗教に興味をもつようになったんです。

そういう中で、天台大師智顗の『摩訶止観(まかしかん)を読んで非常に感銘を受けまして、一生勉強するならこういうものを勉強してみたいと思い定めたわけです。





もう一つは、伝教大師最澄上人が19歳でこの比叡山に入ってきたときの誓いの文章『願文(がんもん)を読んで、千年以上も昔にこんな心の澄んだ人がいたのかと。これも非常に感銘を受けて、仏道修行をするなら是非こういう精神が生きている場所でやってみたいという思いから、比叡山に入れていただいたわけです。








行ですから、やっぱり何度も壁はやってきます。

私にとって最大の難関であったのは、浄土院で最澄上人に仕える前に、身も心も清めるために行う「好相行(こうそうぎょう)でした。

浄土院の拝殿の奥の間で、『仏名経(ぶつみょうきょう)』に説かれている三千もの仏の名前を一仏一仏唱えながら、焼香し、お花を献じ、そして五体投地、つまり両膝、両肘、額を床につけて礼拝し、そして立って、また体を折り曲げて礼拝する。三千仏ですから、これを一日三千回おこないます。それを仏さんが目の前に立つまで続けるのです。

歴代の満行者はだいたい3ヶ月、30万回ほどで目の前に仏さんが立つと言います。ところが、私は何ヶ月やっても見えてこないのです。



見えるまでは何年でも続けなければならないのですが、行の最中はずっと眠らず、横にもなりませんから、どんどん痩せて首が細くなり、首がガクッと落ちて上がらなくなる。両手両足は割れて血が溜まり、膿んでくる。

そのうち目の焦点が合わなくなり、平衡感覚をつかさどる三半規管までが狂ってきて、立っていられなくなり、9ヶ月たってとうとうドクターストップがかかりました。



礼拝を続けながら体力を回復させ、一年近くかかって再開しました。

今度こそは、と決死の覚悟で臨んだのですが、やはり仏さんは一向に現れない。季節は冬になって、手足はまた割れて化膿し、体もどんどん冷たくなって麻痺し、顔は蝋人形のように真っ白になる。死がそこまで迫っている感覚がありました。

行の最中に、師僧や兄弟子が励ましに来るんですがそうなると、もうかける言葉もないんですね。その時に師僧の堀澤祖門(ほりさわ・そもん)師が何とおっしゃったかというと、

「死になさい」

と。



結局、再開して9ヶ月で二度目のドクターストップがかかり、さすがに三度目はお許しをいただけないだろうと観念していたら、もう少し体がもちそうだという検査結果が出て、再開しました。

私の心境としては、

もはや出し尽くしてしまって、どうしようもない

という思いでした。いまから振り返ると、仏さんを感得するには、そういう精神状態になることが求められていたわけですが、二度のストップがかかるほど、私は多くの煩悩を抱えていたということなのでしょう。



その囚われが、死の淵まで追い込まれて、ようやく消えたようで、三度目の行がはじまって、一ヶ月ほどで目の前に仏さんが立ちました。

約600日、100数十万回の五体投地をへて、好相行(こうそうぎょう)を満行し、ようやく浄土院に入ることができたんです。







もう二度と立ち上がりたくない、という限界まで来たときに、

あと一回

あと半歩

と、また立ち上がる。その積み重ねが、壁をやぶることにつながっていくのです。



あと一回やったら今度は死のう

あともう一回

もう一回…

と、ギリギリのところで、なお前に出たからこそ、超えられたのだと思います。



印象に残っているのは、

「痛みを忘れなさい」

というお師匠さんの言葉です。

行の最中は、立ったり座ったりで膝を床につけます。何十万回と礼拝していますので、当然ヒザの骨が出てきて、床に当たるたびに脳天を突き抜けるような凄まじい痛みに見舞われる。

そんな状況でどうやって痛みを忘れるのかと言えば、とにかく全身全霊で声を出して礼拝すること。その一点に集中することでもって、痛みを越えるほどの集中力が発揮され、越えた時でなければ仏さんを見る境地には至らないんだ、と。

無になる、無心になることが、いかに難しいことか。ギリギリのところで集中しなければ到達しえない境地であることを実感しました。





人は誰しも壁にぶつかる時があります。切羽詰まる、という言葉がありますけど、実はその "詰まる" ことが大切なんだろうと思いますね。生きるか死ぬかのギリギリまで追い詰められること、その経験というのは、行の上では非常に大切なことでもあります。

つまづくのは嫌だ、という人もいます。ところが、つまづくことは決して悪いことではなくて、前に進もうとするからつまづいて転ぶわけです。端(はな)から前に進もうと思わなかったら転ばないんですよ。

前に向かうというその姿勢がじつは大切で、そういう姿勢を貫いていればこそ、切羽詰まったときに、奇跡としか思われないような力が引き出されるのではないでしょうか。だからこそ辛いときでも、あと一歩、あと半歩、と前に進み続ける。そういう姿勢がやっぱり必要なんだろうと思います。





満行したのは平成21年9月11日ですが、不思議と達成感は湧いてきませんでした。

一生が修行であり、死ぬまで自分の精神レベルを上げていくという目的がありますので、ある一定の期間が終わったからこれでいい、という気持ちにはならなかったのです。これからどれだけ前向きに進むかが大事であり、籠山行も私の精神レベルを上げる一つの試みにすぎません。それが無事に終わったというだけの話なのです。

籠山行は、世間から隔絶された環境で自分の悟りを求める自分だけの行、すなわち自行ですが、いよいよこれから人のために尽くす行、化他行(かたぎょう)がはじまるのだと思いました。




世間で荒行、苦行といわれる行も、やっている本人はそんな思いでやっているわけではないんですね。自ら身を投じているわけですから、荒行というのは "よそから見た言葉" です。

千日回峰行にしても十二年籠山行にしても、決してその独特の体験そのものに意味があるわけではなく、逆に、その一瞬一瞬をどのように生きるかということが一番大切です。単に生きるのではなく、一瞬一瞬を生き切るということ。行とは、そのことの大切さを改めて感じさせてもらうものだろうと思います。

この一瞬を極めていく

一瞬一瞬を生き切ることが、とても大事だと思います。それは100年生きるつもりでいたら、決してわからないことです。

この世が無常であると気づくこと。

それが、いま一瞬を生き切ることの原動力となるのです。









出典:『致知』2015年12月号
宮本祖豊「極限の行に挑む」




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