事は未然に防ぐべきこと『曲突徙薪(きょくとつししん)』の喩え
漢の宣帝のとき、霍光(かくこう)大功ありし故、帝に重んぜらる。霍光の妻顕はななだ良からぬ人にて、わが女(むすめ)を后に立んために、許皇后を毒害す。霍光あとにて是を聞、驚きながら、その妻をそのままにさしおけり。
霍光死後、霍氏奢侈(おごり)甚しかりしに、徐生といふ人上書して、霍氏が権勢を抑へたまはんことを申上ける。その後、霍氏悪逆ますます甚しくて、天子を廃せんと謀りけるが、この陰謀をしる人、多くありて、追々これを告るより、事みなあらはれて、霍氏が一族、残らず誅せられ、かの陰謀を告るものに、皆重き賞を下されける。
その時ある人、徐生に第一の賞あるべきを恨み、帝に書を奉りて申上けるは、「ある人わが知人の方に至り、厨下のかまどのいき出しのそばに、薪を積置たるを見て、主人に云やう、『この竈のいき出しを曲突にして、薪を竈遠き所に移されよ。さあらずば、かならず火の難あらん』と心つけけるに、主人耳にもとめず、そのままありしが、果してかの孔より薪に火移る。
その近隣近村より人多く集りて命を限りにはたらき、からふじて打消したり。これにより、主人酒肴をおびただしく設けてかの集りてはたらきしものの、髪ひげを焦し手足に疵つきたる者を上座としてさまざま饗応せり。
さて、かの曲突を云し人はおもひ出しもせず。ある人主人に云やう、『先に曲突をいひし人の言に従がはば、火の難もなく饗応の費もあるまじ。然るに、今、髪をこがし身に疵つけるものを上客として、曲突をいひし人を賞せぬか』と云ければ、主人やがてかの人を請じける。
徐福(徐生)が霍氏の変あるべき兆しを見て、その威勢を抑へたまへと申あげたるとき、その言を用ひたまはば、霍氏も滅びず、褒賞の費もあるまじきに、今、霍家を誅滅せしとき、功ある者を賞して徐福を賞せられぬはいかが」と申あげしかば、帝聞しめし、やがて徐福に賞をたまひ、官職をすすめられしとなり。
身の健やかなる時、病を醸する兆しを察し、家富栄ふるとき、衰へんずる萌を知て、その防ぎする人まれなり。さて、病あらはれて苦き薬、鍼灸をもとめ、神仏を祈 、その苦しみいふばかりなく、父母妻子にも心を苦しめさするなり。我はこころつかでも、他人のその兆を察していさむるを用ひば、我しるに同じくて、未病を治して病苦をのがれ、身をよく保つべし。
大小軽重のことにつきて、曲突のいさめをおもふべきなり。
【解説(湯城吉信)】
漢の時代、霍光(かくこう)は武帝に重んじられ、その一族はそれを頼みに横暴を働くようになった。それを憂えた徐福(徐生)は、霍氏を抑えるよう上書したが聞き入れられなかった。その後、天子の退位を企てる霍氏の陰謀が明るみになって初めて、(霍氏は)誅せられた。
その時、陰謀を暴露した人だけを賞し、徐福が賞せられないのに納得がいかなかった人が、「曲突徙薪(きょくとつ・ししん)」の喩えを引いて、徐福こそ賞せられる人物であると主張した。以下、「曲突徙薪(煙突を曲げ、薪をうつす)」の喩えである。
ある主人が、火事の危険性(煙突の先に薪が置かれていたこと)を指摘されていたにも関わらず、その言を聞き入れずに、果たして火事になった。幸い消火には成功し、主人は消火に功があった人々(ヒゲを焦がし、手足に傷を負った人々)に御馳走を振る舞った。
その時、ある人が主人に「火事の危険性を指摘した人の言を聞き入れていれば、火事にもならなかったであろうし、馳走の出費もなかったであろう」と言って諌めた。
出典:
『民間さとし草』加藤景範
漢書『霍光伝』
『民間さとし草 翻刻・註釈』湯城吉信
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