2012年10月18日木曜日

「抜苦与楽」を求めた仏教と現代医学



最先端をいく現代の医学でさえ、あと100年、200年と経ったとき、「あの頃はなんと未開なことをやっていたんだ」と思わる時が来るのかもしれない。

「ガンを手術して切り取る、抗ガン剤で叩く、放射線で焼くといった手法を、『なんと未開なことをしていたんだ』と思う時期が来るかもしれません」

そう言うのは矢山利彦氏(矢山クリニック院長)。彼は続ける。「自然や宇宙を説明する原理が、いまや『量子論』抜きには考えられないのに、医学にはまだ、量子論がまったく組み込まれていないことも、その根拠の一つです」。



量子論という物理学によれば、この宇宙すべての存在を「粒子」かつ「波動」と考える。

「病気という現象も、波動が変調し、粒子(原子・分子・細胞・組織)の変調が重なって起こるわけで、だとしたら心身の波動を調整することによって、病気の治療を行うことも可能になるはずです」と矢山氏は説く。



ここで矢山氏が問題とするのは、技術的なこともさることながら、医学の「最終成果」、「病気が減って、人々が幸せになれるのか」ということである。「死なないことが目的なのか、幸せに生きることが目的なのか」と問うのである。

仏教には「抜苦与楽(ばっく・よらく)」という考え方があるが、それは「衆生の苦しみを抜き去り、楽しみを与える」ということを意味する。つまり、たとえ何かを成し得たとしても、それが新たな心配、苦悩の種となるようであれば、それは幸せを与えることにはならない。仏教の目的に反するということになる。



確かに、現代の医学は病巣という「表面的な苦しみ」を抜くことに特化するばかりで、そのまた深いところにある「根っこの苦しみ」までを癒すにはまだ至っていないのかもしれない。

「未開」であることは、いわば流れる時代の常。その良し悪しを問うことに意味はない。それよりもむしろ、「どこを見据えていたか」の方がより重要なのであろう。未開であることが不幸に直結しているわけでは決してないのであろうから…。





出典:致知2012年11月号
「空海の言葉に学ぶ生き方のヒント 矢山利彦」

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