ある床屋のオヤジは、経営の神様「松下幸之助」にこう言い放った。
「あなたは自分の顔を粗末にしている。これは商品を汚くしているのと同じことだ。散髪のために時間をつくる心掛けがなければ、とても大を成さない」と。
当時の松下氏は「容貌をほとんど気にせず、頭髪もぞんざいだった」というが、いきなりの初対面で、床屋のオヤジ「米倉近(よねくら・ちかし)」氏はこんなことを言ったのだ。
しかし、対する松下氏はさすがである。「誠にもっとも千万。至言なるかな」と、それ以来、その床屋「米倉」を贔屓にするようになったというのである。この米倉というのは銀座の中央通りにあったという、一流のお客を相手にする理髪店だった。
時が下り、今度はその床屋のオヤジがお客に叱られる番に…。
母の影響から、米倉氏は大変に厚く観音様を信仰しており、ある時、米倉氏は店を留守にしてまで観音様を拝みに行っていた。
折り悪く、米倉氏がいないときに床屋に来た一人のお客、大竹竹次郎氏(松竹)。主人の不在を知ると、後日改めて来店することに。
後日、米倉氏と面と向かうや、開口一番、「開店中に主人が留守とはどういうことか! お客様に不自由をさせて、ご利益などあろうものか!」と懇々と諭しはじめる。「客商売は、客が店の信者なのだ!」
すっかり我が身を恥じた床屋の主人・米倉氏。「確かに、お客様を差し置いて、いくら観音様を拝んでも、ご利益などあろうはずもない。自分の生業こそが信仰だった…」と思い至る。
その時の確信が、「業即信仰」とのことである。
「世の中にある無数の業(仕事)には、それ自体に良し悪しがあるわけではない。その行を行う者の人格いかんによって、それが決まるのだ。業を高めることこそが、そのまま自己を高めることにもなる」
以来、「毎日が開業日」を口癖としたという米倉氏。「店というのは古くなると惰性に流され、だらしなくなる。毎日を開業日のように新鮮な気持ちで場を清めなければならない」。
そんな理容「米倉」、今は四代目。あと数年で100周年とのことである。
出典:致知2012年11月号
「業即信仰 米倉満」
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