2012年10月24日水曜日

「鼻垂れ」から「日本騎兵の父」へ。秋山好古


いつも鼻汁を垂らして泣いておる…。

のちに、日露戦争において名を馳せる「秋山好古(あきやま・よしふる)」であるが、その幼年時代はといえば「虚弱」であった。

7ヶ月足らずの未熟児として生まれた好古。その泣きようがあまりにも哀れで、「こんな弱い子を育てたところで…」と、母親は何度も橋のたもとまで足を運んだのだという。

一家はまさに絵に描いたような貧乏侍の子沢山。7人もいた子らを育て切ることができず、弟2人はのちに養子へとやられることとなる。



五男の真之(さねゆき)が生まれた時も、やはり貧乏な両親は悩んだ。

「いっそ寺にやってしまおうか…」

そのささやきを聞いた三男・好古。のちの名ゼリフを吐く。

「赤ん坊をお寺へやっちゃ厭(いや)ぞな。おっつけ、うちが勉強してな、『お豆腐ほどのお金』をこしらえてあげるがな」



当時、愛媛松山の人は「豆腐ほど札を積んでみたい」というのが慣用句だった。その大言を鼻垂れの信三郎(好古の幼名)が吐いたのだ、「あの鼻信が…」。

のちに、好古のかばった弟・真之(さねゆき)は、日本海軍の参謀となり、日露戦争でこれまた名を馳せることとなる。



虚弱だった好古も、体格が大柄になるにつれ、体質も頑健となってくる。

兄の窮地を救うべく、木刀を帯びにブチ込み、単身で御若手連(おんわかてれん)と称する青年グループを叩きのめすまでになっていた。



身体は頑健になれど、秋山家の家計は依然として火の車。

風呂屋(戒田湯)で釜焚きをしていた好古の賃銭は一日わずか天保銭一枚。「お豆腐ほどのお金」をこしらえるには進学するより他になかった。しかし、そのカネもない。

「どこかに、学費のいらぬ学校はないものか?」



そんな都合の良い学校は大阪にあった。文部省が設置したばかりの官立師範学校である。その入学資格は19歳以上とされていたが、17歳だった好古は年齢を2歳ごまかして受験し、そして合格した。

卒業後、愛知県立名古屋師範学校附属小学校に招かれた好古は、月給30円をもらう身となっていた。



と、ここで大事件が勃発する。九州士族の反乱である。鹿児島においては西郷隆盛が巨大な反乱を企てているという…。異様に緊迫した空気に包まれる名古屋。ここには鎮台が置かれていたため、次々と兵隊たちが集結、戦地へと送られて行っていたのである。

それを目の当たりにした好古は、「眠っていた古武士の血」がにわかに目覚めはじめる。貧しかったとはいえ、好古は武士の子である。

「あしには教師は向かん」と思っていた好古は、興奮と緊張に包まれる名古屋を肌で感じ、「これだ!」と叫んでいた。



一念発起した好古は上京。陸軍士官学校の試験を受けた。英語と数学を学んでいなかった好古は、漢文だけで試験を受けて合格。それほどに好い加減な入試だった。

そして兵科の選択。歩兵か、騎兵か、砲兵か、工兵か?

「騎兵じゃな」。

それは直感だった。



卒業して騎兵少尉となった好古は、翌年、小隊長に昇進。松山初の陸軍将校の誕生であった。この時、好古22歳の若さである。

「鼻垂れの信さんが、まさか…」

郷里の人々は、颯爽とした将校姿の好古をまぶしそうに眺めた。

後年、満州の野において、世界最強のロシア・コサック騎兵団を破るという快挙を成すとは、まだ誰も夢想すらしていない。きっと本人も。



鼻を垂らしていたあの日、好古が弟・真之を必死でかばったのは、彼特有の直感のなせる技だったのかもしれない。士官学校で騎兵を選んだのかも、そうかもしれない。

そして、満州の地において、ミシチェンコ中将率いる世界最強のコサック騎兵団と激突した折、愛馬もろとも塹壕に入ったのもまた、その直感だったのかもしれない。機関銃の一斉集中射撃は日本史上初めてのことであり、それが勝利をもぎ取ることにもつながった。

陸で好古が気を吐けば、海では弟・真之がロシア・バルチック艦隊をほぼ全滅にまで至らしめる。



日本国興亡をかけた一戦、日露の戦いにおいて、秋山兄弟の存在はあまりにも大きかった。

彼らの父・久敬(ひさたか)は「親が偉くなりすぎると、子供が偉くならない」が口癖であったいうが、確かに貧乏一家の家長の言ったことには一理も二理もあった。



「馬引け…」

この呻きが秋山好古、最期の言葉であったという。

弱った心筋が梗塞するその瞬間まで、彼の朦朧とした意識の中では、満州の戦場で馬にまたがろうとしていたのである。

「秋山好古の生涯の意味は、満州の野で世界最強の騎兵集団を破るという、ただ一点に尽きている」と、のちのフランス軍人は賞している。

昭和5(1930)年、明治の時代を生き抜いた日本騎兵の父は永眠。享年71歳。





出典:歴史街道2009年12月号
「貧窮生活の中、直感による選択がもたらしたもの」

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