UK『The Guardian』より
患者はロシア人、ドナーは中国人、執刀医はイタリア人
人類初の「頭部移植手術(Head Transplantation)」を
見届ける勇気はあなたにあるか?
一人の”はぐれ者”ドクターが、前代未聞の「頭部すげ替え手術」を計画。中国の支援で実現が決まり、2017年にも医学の歴史が変わるかもしれない。
トリノ市にあるコンクリート造りの大病院の外で、
セルジオ・カナベーロ Sergio Canavero(51)が職員用の駐車場を使わせてもらえるよう、2人の警備員を説得していた。話の途中、彼は片方の手でノドをかき切るような仕草をした。ほかの人間がやったのなら脅迫と受け取られかねないジェスチャーだ。しかし警備員たちは「話はわかった」というように笑顔を見せ、車を通した。
「彼らに伝えたんだ。わたしは人類初の頭部移植手術をしようとしている男だってね」
と、カナベーロは言う。
「イタリア人はセレブに弱いのさ」
カナベーロは今年、2人の頭部を切り離すという長年の計画の詳細を公表し、世界的に有名になった。
1人目は(たとえば下肢の麻痺などの)病んだ身体をかかえた生きた人間。2人目は死亡した直後かまたは(事故で脳死になるなどして)死が避けられなくなった者だ。その後に、「1人目の頭」を「2人目の体」に接合する。脊髄をつなぎ、1人目の頭の持ち主が2人目の体を動かせるようにする。
医学用語で言うなら、人類初の「頭部身体吻合
(ふんごう)」ということになる。
”国外追放”の憂き目に
彼はかつて、このトリノの病院で世界初の頭部移植を行うつもりでいた。1980年代に医学生として採用されて以来、ここでキャリアの大半を過ごしてきたのだ。やがてカナベーロは、本人が言うところの「大騒ぎ」を巻き起こす。
頭部移植に関する論文を医学誌に発表する一方、リマソルとベローナでTEDの講演を実施。それでメディアの注目をあつめ、一躍「セレブ」になったのだ。カナベーロの計画は国際的な教会から公然と批判され、イタリア医学会の主流派からも攻撃された。
今年(2016)2月、カナベーロは長年つとめてきた病院に、雇用契約を打ち切られた。
「わたしはノケ者にされたのさ」
イタリア国内で施術する道を断たれ、カナベーロは国外に目を向けなければならなくなった。
長い交渉の末、中国北部の都市ハルビンで行なわれることが決まった。ハルビン工業大学とハルビン医科大学が支援に回ることになっており、後者は早くもカナベーロに名誉教授の地位を与えている。中国側から病院とスタッフが提供されることになったおかげで、手術の準備は大方の予想より早く整う予定だ。カナベーロは2017年のクリスマスを目途
(めど)にしている。
カナベーロは施術について極めて具体的なイメージをもっている。
近未来の手術室。
特殊なフレームにしっかりと固定された2人の身体。1人は麻酔をかけられた患者で、もう一人は脳死状態のドナーだ。
「特別あつらえのダイヤモンド製の係蹄
(けいてい、針金の環を締めて組織を切断する器具)」か、「窒化ケイ素の破片でつくったナノナイフ」を使い(どちらにするかはカナベーロもまだ決めていない)、第5頸椎と第6頸椎とのあいだで首を切断する。麻酔をかけられた患者は、首を切断される前、摂氏10℃に冷やされる。
切断後は2つの身体を固定していたフレームが上下に分かれ、上部のパーツは頭部と一緒に回転する。それにより患者の頭部がドナーの身体の上に据えられる。
次は36〜72時間を要する長時間の外科手術だ。
医療スタッフは150人ほど必要で、そのうち約80人は外科医でなければならない、とカナベーロは考えている。手術費用はおよそ1,500万ユーロ(約20億円)で、彼も認めるとおり依然として民間のスポンサーが必要だ。
「当初は高額になるだろう。しかし技術が向上するにつれてコストは下がっていく」
その80人の外科医が、責任者の指示にしたがい、交代で手術室に詰める。脳内の血流をとり戻すために、頭部と身体をつなぐ動脈がまず接合されるだろう。カナベーロは気管や食道や脊柱などがつながれるあいだは脇で見守り、脊髄をつなぐ段になったら前面に立つつもりだ。機能的脳神経外科手術(神経機能障害を改善するための手術)が彼の専門なのだ。
月面着陸を超える「偉業」
患者が最終的に運動機能をとり戻すためには、2本の脊髄の内部に収まった何百万本という神経の一部をつなげなければならない。カナベーロは施術中にそうした接続を急速に増やす斬新なアイディアをもっている。
たとえば脊髄の接続箇所に弱い電気ショックを与えたり、ポリエチレングリコールと呼ばれる物質を満たすことで、このプロセスを加速したりするといった方法だ。
カナベーロの見るところ、脊髄内のすべての神経をつながなくても患者は一定の運動機能を取り戻せる。たとえば10〜20%でもいいという。
手術後は、動きを抑制するためもあり、患者は3週間ほど人為的に昏睡状態におかれる。つづいて数ヶ月間のリハビリだ。カナベーロは何らかの仮想現実シュミレータが、患者が見知らぬ身体に慣れるのに役立つはずだと期待する。催眠療法は有効かもしれない。
その後は回復、記者会見、ノーベル賞受賞(?)という流れだ。
「この手術のことは、100年後までテレビで報じられるだろう。月面着陸をはるかに超える偉業になる。その点は間違いないよ。人類史上で最も偉大な革命になるんだ。期待どおりの結果がでれば、だがね」
この計画に 絶対に欠かすことのできない「あるピース」は、すでにそろっている。
アメリカの学会で、カナベーロは
ワレリー・スピリドノフという人物を舞台上に呼んだ。ロシア出身のこの31歳のグラフィック・アーティストは重度の脊髄性筋萎縮症をわずらっており、生まれたときから車椅子の生活だ。
カナベーロのほうの準備がととのったら、スピリドノフは「いつでも実験台になる」と申し出ている。「首にナノナイフを入れられる最初の人物」になるのだ。
頭部移植を試みた例は過去にもあった。
1950年代にはソ連で「子犬」が、70年代にはアメリカで「サル」が、そして2013〜2014年には中国で何百匹という「マウス」が実験台にされた。子犬は一週間も生きられず、サルもそれをわずかに超える程度で死んだ。マウスの多くは約1日しかもたなかった。
ただし、これらのケースはいずれも頭部移植が可能かどうかを実証することが主目的であり、患者の生存は二の次だった。
カナベーロを招聘した中国ハルビンの医師、任小平はこの20年間、独自に頭部移植を研究し、前述のマウスの実験もおこなった。彼は、こうした大規模なプロジェクトではカナベーロのような「一匹オオカミ」が、よりいっそう重要になると語る。
「大人数のチームが必要になります。そこにはリーダーが必要です」
中国は近年、医学研究に巨額の金を注ぎ込んできた。わたしが取材した西側の医師たちは、中国の関与によってカナベーロの計画がかなり現実味のあるものになったことを認める。アメリカの医学誌『サージェリー』の編集者マイケル・サーは、以前からそれを見越していた。
「中国はある意味で、開拓時代の西部のようなものです。ほかの場所に比べて規制がかなり緩いんですよ」
カナベーロは近々ハルビンに旅立ち、2017年のクリスマスに向けて2年間の集中作業にとりかかる予定だ。妻と2人の子供たちを祖国にのこして。
カナベーロは言う。
「人生の2年間ぐらい、なんてことはない。代わりに世界を変えることができるんだから」
カナベーロは子供のころから、これを夢想していた。アメリカで猿の頭部移植が試みられたという新聞記事をよみ、人間の頭部移植は「自分が真っ先にやってみたい」と思ったのだ。
当時の彼は貧しく、育った環境は荒れていた。「それで強くなった」と彼は言う。18歳で医学校にはいり、2年もたたずして学術誌に論文を送るようになった。その頃から「すでに頭部移植を視野にいれていた」という。
80年代半ばにトリノの病院にうつり、機能的脳神経外科医としての修行をはじめた。
「わたしは昔から一匹狼だった」
それでも、同僚のなかに友達はいたのでは?
「ときには交流したさ。『交流』としか言えないな。学ぶ必要のあるときには交流し、その後は『我が道』に戻る。そういう道は一人で歩くしかないんだ」
変人か、超変人か
カナベーロは自分が「変わり者」であることに気づいている。
「人はわたしを変人あつかいするかもしれない。その通りさ! 変人でなければ、すべてを変えることなどできないんだ」
社会にとっての課題は、彼に言わせれば「変人と超変人を選り分けること」だ。
「どちらであるかは、たぶん事が終わってからでなければわからない」
命を賭してカナベーロの「最初の患者」になることを申し出ているスピリドノフも、よく似たことを言っている。
「天才もいれば、頭のおかしな人間もいます。プロジェクトが終わるまで、その区別はつかないかもしれません」
スピリドノフがこのプロジェクトに加わったのは2年あまり前だ。自宅でネットサーフィンをしていて、カナベーロのインタビューを見つけた。
「昔から科学にたずさわりたかったんです。でもロシアのラボで働くのは困難でした。障害者が働きやすい環境ではありませんからね。それでも大きな科学研究に参加することを、いつも夢みていたんですよ」
グーグルでカナベーロのメールアドレスを探し出すのに15分しかかからなかった。そのあいだに、スピリドノフは心を決めていた。
「かれは最初の志願者だった」
とカナベーロは言う。
「メールやスカイプで対話をかさねるうちに、『彼こそは打ってつけだ』と確信した」
心理テストも第三者の鑑定もなしに?
「ワレリー(スピリドノフ)は重い病気をかかえている。脊髄性筋萎縮症だ。心理的には、2人でずいぶんと話した。かれは強い男だよ」
カナベーロは「術後に何が期待できるか」を、スピリドノフに説明した。
「歩くことはできるだろう。走れるかどうかはわからない。それで満足かな?」
と。
スピリドノフは「満足だ」と答えた。
「手術して特別なことができるようになりたいわけではありません。望むのは、ごく普通のありふれた生活です。今のわたしは障害をかかえ、多くの限界に直面しています。術後はその限界がすこしでもなくなるように願っています」
スピリドノフの願いはどれほど実現性があるのだろうか?
中国ハルビンの任小平は「パーセンテージを示すことは難しい。ワレリー(スピリドノフ)は勇敢ですよ」と言う。
一方、米『サージェリー』誌のサーは、生存率を「98〜99%」と予想している。
そもそも施術地の第一候補はヨーロッパかアメリカだった、という。中国の後援を受けることについて、気がかりはないのだろうか。カナベーロは「施術の全過程を公開する」とかねてから公言してきたのだ。
「中国は中国だ。メディアは統制をうけている。しかし中国はこのことを喧伝し、西洋を悔しがらせたいはずだ。そのための計画が密かにすすめられていることは間違いない」
施術がテレビ中継されることさえあり得る、と彼は言う。
カナベーロは出し抜けに、
「おそらくスピリドノフは施術をうける最初の患者にはならないだろう」
と明かした。
「おそらく中国側は、中国人の患者でやりたがるだろう」
かれの予想では、それは末期ガンの患者になるはずだ。
「余命わずかな人間でテストをおこなうんだ。それがいわば アポロ10号で、ワレリー(スピリドノフ)は『アポロ11号』になる」
命は続いていく
カナベーロはこうした話を、どれも軽い口調で話す。「倫理的なためらい」は本当に感じないのだろうか。
「私はなんら非難されるいわれはない。手術をうけることを決断できるのは、それによって利益をえられる人間だけなんだ。君でも社会でもない。患者が決めるのさ」
手術が失敗しても、そこに価値はあるのだろうか?
「もちろんだとも。失敗しても、やはりそこから価値あるものを導き出せるはずだ」
彼は、人類初の心臓移植手術をうけた患者が、18日後に死亡したことを指摘した。それでも大きな進歩だった。
スピリドノフが回復して「新しい身体」に慣れ、やがて子供をもうけたら、それは誰の子供になるのか?
「問われてもいい唯一の倫理的な問題はそれだ。だが想像してほしい。きみの子供がいつか自動車事故に巻き込まれ、病院で脳死を宣告される。もはや手の施しようがない。しかし、こう考えてくれ。当直の医師のわたしが、君にこう告げる。
『お子さんの脳を救う手立てはありませんが、身体を譲っていただけるなら、いつか”新たな頭”とつながったその身体が、子をもうけるでしょう。その子はあなたの孫にあたります。命は続いていくんです!』
」
これはカナベーロにとって重要なテーマだ。彼がそのことを考えはじめたのは、わが子が誕生したときのことだった。
「2人の子供をこの世界に迎え入れたとき、わたしは『子供たちをより長く生かすために全力を尽くす』と誓ったんだ」
かれの施術が成功したら、いずれはそれが商業的に行われるようになる可能性もあるだろう。最終的にはヒトの寿命を延ばすことにもつながる、とカナベーロは考えている。死後に自分の頭部を冷凍保存する楽観主義者もいるほどだ。
施術にともなって派生する諸問題については、カナベーロは「われ関せず」の立場をとる。科学の世界では
「実行されることは実行される」
のだ。
カナベーロが自分の義務だと感じるのは、人々にそうした諸問題を熟考するよう促すことだけだ。たとえばヒトの寿命が延びるのなら、人口過密の問題はどう解決すべきか。カナベーロは、ほかの惑星を征服することも考えるべきだという。
すべての移植をまかなうだけの身体が手に入るのかと聞くと、彼はこう答えた。
「クローン技術を利用すればいいじゃないか」
…
from COURRiER Japon(クーリエジャポン) 2016年 01 月号