2016年9月22日木曜日

ウルトラマラソン、最後の1マイル [ディーン・カーナゼス]



話:ディーン・カーナゼス







ロビーポイントへの最後の上りは強烈だった。僕は残っていた水をすぐに飲み干してしまい、喉がカラカラだった。僕はよろよろと登り、何度も転んだ。両手は切り傷だらけ、両脚はあざと擦り傷だらけだった。

身体がもうこれ以上耐えられないというような過酷な上りを乗り切ると、ようやくロビーポイントの灯りが見えてきた。登り切るまであと少しというところで、僕は泥と自分のよだれにまみれ、目はほとんど閉じられていた。目先の数フィートの地面しか見えていなかった。



計測記録を手にした男が立っており、彼は僕を見るやいなやクリップボードを手から落として駆け寄ってきた。僕は彼の差し伸べた腕に倒れ込み、彼はゆっくりと僕を地面に降ろした。彼は僕にほとんど叫ぶように何か言っていたが、意識が朦朧としていた僕はその言葉を理解できなかった。

そしてもう一つ、別の見慣れた顔が視界に入った。

「父さん?」

「息子よ」

父は心配そうに聞いた。

「何があったんだ?」

父は僕の横にひざまずき、両手で僕の頭を抱えた。彼の頬からは涙が伝わり落ちた。彼は僕の中に残っている魂を守ろうとするかのように、優しく僕の身体を揺らした。

「母さんはどこ?」

僕はつぶやいた。

「母さんにこんな姿を見せたくない」

父はすすき泣きながら言った。

「心配するな、母さんはゴールで待っているよ」



「父さん」

僕は弱々しく言った。

「僕はどうすればいいの? もう動けないよ」

「息子よ」

父は思いつめたように言った。

「もし走れないのなら歩きなさい。歩けないなら這ってでも進め。やるべきことをやりなさい。前に進むんだ。決して諦めるな」

父は目を閉じ、僕をしっかりと抱き締めた。僕は父の肩に手をかけた。

「父さん、わかった」

僕はつぶやいた。

「諦めないよ」

父は手をほどいて、僕は腹這いになった。僕は腕と足を地面につけ、父に言われた通り、道を這いはじめた。僕が身体を引きずると、父の嗚咽が聞こえた。



コースは舗装路に変わったが、まだ真っ暗だった。町はずれの田舎道には街灯一つなかった。もちろん歩道もないので、僕は暗い道の真ん中を這い進んだ。這いながら脚が役に立たなくなると腕の力で進んだ。

ゴールまで1マイル(1.6km)もあるのに、こんな状態を続けるのは無理がある。だが僕を止めるものは何もなかった。道路を近づいてくる自動車でさえも。

僕は這うのをやめて、手にしたハンドライトを振った。クルマは急ブレーキをかけて止まり、僕のそばで急停車し、カップルが飛び出してきた。

「大丈夫か?」

僕は路上に仰向けになり、顔を傾けてつぶやいた。

「ずっと最悪だ」

女性が泣き叫んだ。

「何てこと! もう少しであなた、轢かれるところだったわ」

「大丈夫さ、気を付けていたから」

僕は唸った。



僕はやっとのことで座り直し、状況を説明した。二人を助けを申し出てくれたが、実際にやってもらうことは何もなかった。ゴールはすぐそこなのに、別の大陸にあるように思えた。僕は疲れ果て、彼らの前で温かいアスファルトに横たわった。

だが背中が路面についた瞬間、今日あった出来事が心の中で蘇った。痛みと疲労の中で、ここまでの99マイル(159km)の間に、僕に温かい手を差し伸べてくれた人々の記憶が次々と思い起こされた。

「足の修理屋」ジム、ラストチャンスで水をくれたネイト、魔法のブラウニーを作ってくれた女性、僕に命の輝きを与えてくれて、今日ここまで導いてくれた妹のペリー。最後はフォーズバーでのエイドステーションで出会った、あのネイティブアメリカンともう一人の言葉だった。

「君ならやれる」



僕は夢から覚めたように何かに打たれ、これが夢でないことに気が付いた。僕はクルマの傍らに立つカップルに向かい、挑むように叫んだ。

「僕はやれるんだ!」

二人は僕をじっと見つめた。僕はもっとはっきりした口調で繰り返した。

「僕はやれるんだ!」

彼らはまじまじと僕を見たが、男の方が同調してくれた。彼は厳かに言った。

「そうだ、君ならやれる」

僕は跳ねるように立ち上がり、腕と足をブルブルと動かした。僕は頭をぐるりと回して野獣のように叫び声を上げると、

「やれるんだ、やれるんだ!」

と叫びながら道路を駆け出した。



最初の数歩は苦痛だったが、少しも驚くことではなかった。この段階ではもはや予期していたことで、痛みはこれまでにないほどひどかったが、僕はこれまでのように痛みにただ甘んじることをしなかった。僕は痛みを求め、痛みを追いかけた。痛みは体の細胞の全てから発生するようだったが、形勢は逆転した。

痛みよ、さあかかってこい!

僕はいつ自分が最後の壁を越えたか記憶にないが、おそらくこの格闘の時だと思う。初めの壁を越えたのは肉体的なもので、疲労や苦痛にかかわるものだったが、50マイル(80km)を過ぎると精神的な闘いになった。さらに最終段階でのそれは、自分の中のもっと深い部分で起こったことで、覚醒のようなものだった。



100マイル(160km)を走り切ることは、サバイバルを学ぶ以上で、生きることの素晴らしさを学び取ることだ。ランニングは一人でやるスポーツだが、もはや僕だけのものではなくなった。僕の格闘は、一人のランナーがこの底知れない苦難を乗り越えるだけではなく、人間がいかに困難に打ち勝つかという偉大な能力を問うものとなった。

たくさんの勇気と力をくれた多くの応援者たちは、本当は僕を応援しているわけではない。本当は僕なんてどうでもいいのだ。彼らが見ているのは、全身全霊を傾けて夢を実現させるためにトレーニングをし、犠牲を払い、自分を律している人間の姿なのだ。

これは非常に強いメッセージで、僕はそれを伝えているだけに過ぎない。そして僕はそれを誇りに思う。僕が果たす任務の最終 形は、ゴールインすることであり、今まさにそれを実現しようとしている。僕らみんなのために。



僕は今、覚醒した状態にあって、目の前の道や痛みは意識していない。

もう少しで失おうとしていた夢が、こんなに力強く復活するなんて不思議だ。夢の再生は、僕に喜びと信じられないような強さを吹き込んだ。突然、目の前の障害は消え去り、あとは夢を実現するだけだった。

プレーサー高校の競技場までの半マイル(800m)で、靴は脱げ、足の指からは血を流し、シャツはボロボロだったが、そんなことは関係なかった。とにかくゴールインするだけだった。



競技場に入場して最後の一周を回る時、大粒の涙が僕の頬を伝わり落ちた。

最後の何歩か、僕は泣き、そして笑っていた。

時刻は朝の2時をちょうど回ったところで、競技場は生の興奮を求めるわずかばかりの偏屈者を除いてガラガラだった。彼らは椅子の上に立ち上がり、手を叩いて、誇らしげに泣きながらゴールする僕に歓声を送った。もしこの連中が純粋な感動と情熱を求めていたのなら、彼らはまさにそれに立ち会うことになったのである。



気持ちの面でも僕は大きく成長した。スタート地点にいたライフルの男は正しかったのだ。

僕はウェスタンステーツで生まれ変わった。目にするもの全てが今までと違って見えた。僕の態度からイライラがなくなって、生きる世界で重要なことが、前よりはっきりとしてきた。僕は以前より前向きになった。他人に対しても気を使うようになり、我慢強くなって、より謙虚になった。

僕はレースが自分にもたらした変化を嬉しく思い、もっと上を目指したくなった。レースを終えて1ヶ月も経たないうちに、次の挑戦を求めている自分に気が付いた。



僕のウェスタンステーツ公式記録は、21時間1分14秒で、順位は15位だった。世界でも最難関の長距離レースで、初出場でこの記録は素晴らしかった。順位はどうでもよかったが、情熱が向上心に火を付け、さらなる高みを望んだ。

自分が100マイル(160km)以上走れると考えるのは、特にあのように過酷な状況下ではかなり楽観的だったが、僕は人間の耐久性を試すと同時に、自分の限界を伸ばしたかった。僕は自分の心に耳を傾け、居場所を探した。

もし可能性があるのであれば、やってみたい。自分がどこまでできるかを知りたい。








引用:ディーン・カーナゼス『ウルトラマラソンマン』




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