2013年4月4日木曜日

煙突を曲げ、薪を移す。「曲突徙薪」の教え



中国のある村に旅籠があった。

旅人が通りかかると、その旅籠の煙突から火の粉が飛んでいるのを見た。

その先にはなんと薪(たきぎ)が積んである。



「火事になるといけない。煙突の向きを換えて(曲突)、薪を移しておいた方がいいよ(徙薪)」

その旅人は親切にも、旅籠の主に声をかける。ところが…。

「余計なお世話だ!」と怒った主は、茶の一杯も旅人に出さずに追い払う。



ところが、また別の旅人が旅籠を通りかかると、その旅籠は燃えていた。

髪を焦がし、額に火傷して懸命に消化協力した第二の旅人。



「ありがとうございます。ありがとうございます」

平身低頭、旅籠の主は第二の旅人を下にも置かぬ上客扱いで、豚を出し酒を出した。



その一部始終を見ていた近所の人たちは、主にこう言った。

「危険を忠告してくれた第一の旅人こそ、上客として遇するべきではないのか?」

その言葉に、主は大変に恥じ入ったとのことである。






以上、「曲突徙薪(きょくとつ・ししん)」の教え(漢書・霍光伝)。

災難は未然に防いでこそ…。





出典:致知2013年5月号
「安岡正篤師の曲突徙薪の教え 佐々淳行」



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2013年4月3日水曜日

漢詩「雨中即事」袁枚



「雨中即事」袁枚(えんばい)



青蛙抱仏心

踏上蓮花坐



青蛙(せいあ)仏心を抱き

踏んで蓮花(れんげ)に上って坐す



「青蛙が仏さまのように、蓮の葉の上に坐っている」



漢詩「初冬」陸游



「初冬」陸游



楓葉欲残愈好

梅花未動意先香



楓葉(ふうよう)残(く)ちんと欲するも看(み)ればいよいよ好く

梅花未だ動かざるも意まず香(かんば)し



「朽ちようとする楓(かえで)の葉は見るほど好く、梅の花は咲かぬ先からよい香りがする」


2013年4月2日火曜日

米仕事と花仕事。水戸岡鋭治



デザイナーの水戸岡鋭治(みとおか・えいじ)さんは、仕事には2つの種類があると言う。

「簡単に言うと『米仕事』と『花仕事』の2種類です」



経済性を求める、つまり稼ぐための仕事が「米仕事」。

文化や感性を大切にするのが「花仕事」。



「日本では経済重視の『米仕事』の人が圧倒的に多いんですが、私はできるだけ文化を持ち込んだ『花仕事』をしていきたいと考えているんです」と水戸岡さんは話す。

しかし、「花仕事」というのは、どうしても目先の利益が下がってしまう。



たとえば、水戸岡さんの手がける鉄道車両などで、床材をプラスチックにすれば低コストでメンテナスも容易になる。

「そこに木材を使おうとすると、高コストでメンテナンスが大変」

それでも敢えて木材を使おうとする理由は、そこに文化を持ち込みたいからだ、と水戸岡さんは言うのである。



というのも、たとえ目先の利益が下がろうとも、木材で魅力的なものを作っておけば、それに惹かれた人たちが「本当のファン」になってくれる。そして、それは結果的に長続きにつながっていく。

「経済性と文化性のバランスを保つようにしていくと、皆がそこそこ好むものが出来上がってきます。実際にそのバランスを追求することが、最終的に一番いい結果を生む可能性が高いのです」と水戸岡さんは語る。



米仕事と花仕事。

経済と文化。

その妙を水戸岡さんは問うのであった…。






出典:致知2013年5月号
「仕事の真髄・人生の妙味 水戸岡鋭治」

2013年4月1日月曜日

神中の神「アマテラス」、神社中の神社「伊勢神宮」



人の世界において、天皇は諸王や廷臣たちに「位階」を与え、その最高位を「正一位(しょういちい)」としていた。

神々の世界にも同様、位階なるものが存在する。それを神階という。

最高位は人同様、正一位の神であり、官幣大社(かんぺいたいしゃ)と呼ばれる上位の神社を統べるのは、正三位以上の神でなくてはならなかった。その格下の官幣中社となれば従四位以上の神々である。



ところで、日本には数多くの「神宮」が存在するが、その頂点に君臨するのは「伊勢神宮」である。

ちなみに、古来より神宮と名乗っているのは鹿島神宮と香取神宮だけであったが、明治の王政復古以降、多くの神社が名前を神宮に変更し、そのうちでも伊勢神宮が最上位とされるようになったのだという。



その伊勢神宮に祀られるのは「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」。

じつは、この神中の神、神階(位階)をもたない。というのもアマテラスはいわば、人の世の天皇のような存在であり、八百万の神々に神階を授ける立場にあるとされているのである。

人界の最高位である天皇に位階を授ける人間がいないように、アマテラスに神階を授けられるほど偉い神様は存在しないのである。



アマテラスは天上界の主宰神であり、人界の天皇の皇祖神(皇室の祖先)でもある。つまり大本の大元だ。

「アマテラスを主祭神とする伊勢神宮は、神社の格や神階をはるかに超えた別格の存在なのである(井上宏夫)」



ところで、それほどの神がなぜ、都ではなく、伊勢の地に置かれているのだろうか?

どうやら、神々同士にも相性というものがあるらしく、崇神天皇が都に祀った倭大国魂(やまとおおくにたま)とアマテラスとは、ともに我慢がならなかったようである。



都を去ったアマテラスは、いったん大和の笠縫邑(かさぬいむら)に遷るのだが、最終的には伊勢の地に至ることになる。

伊勢に着いたアマテラスは、この地がお気に召す。

「不死の国である常世(とこよ)からの波が、伊勢の国には絶えず打ち寄せる。この美しい国に私は住む」と日本書紀にはある。これが伊勢神宮の起源とされる。



さて、今年2013年は、伊勢神宮の式年遷宮(しきねん・せんぐう)の年である。

式年とは一定の期間という意味であり、伊勢神宮の場合、20年に一度、内宮・外宮をはじめ、神宮所蔵の神宝にいたるまで、そのすべてが新調されることになる。

大昔に、天武天皇がそうせよと命じたのだという。



なぜ、つくり替えられるのか?

古代の技術・技法の伝承という側面もあるように、遷宮のたびに「古代の記憶」が蘇る。



ドイツの建築家ブルーノ・タウトは、蘇った神宮の印象をこう語っている。

「これらの建造物は簡素に見えるので、それに捧げられる尊称の念が不思議にさへ思はれるほどである。それは農家を想起せしむるものであり…」



古代より脈々と受け継がれきた建造物は、西洋人の目に「農家のような簡素さ」として映ったようだ。

確かに、アマテラスが祀られている正殿には「古代人の素朴な匂い」が漂っているようであり、まさかそれが神中の神の場とはブルーノには思えなかったのかもしれない。



しかし、それこそが「農耕に生きた日本人の根源」であった。

「田圃に黄金色の稲穂が垂れた里山の光景を連想させる伊勢神宮は、日本人にとっての原風景なのである(井上宏夫)」



華やかさとは無縁な、素朴な社殿に祀られているアマテラス。

アマテラスが五十鈴川の上流に鎮座してから、すでに二千年以上。よほどにこの地がお気に召したようである。

そして、アマテラスを祖先とする皇室は、神の香りを人の世へと伝えているかのようである…。






出典:大法輪 2013年 04月号 [雑誌]
「伊勢神宮を知るために 井上宏夫」