2014年4月6日日曜日

「曲突徙薪」のいさめ [民間さとし草]


事は未然に防ぐべきこと『曲突徙薪(きょくとつししん)』の喩え


 漢の宣帝のとき、霍光(かくこう)大功ありし故、帝に重んぜらる。霍光の妻顕はななだ良からぬ人にて、わが女(むすめ)を后に立んために、許皇后を毒害す。霍光あとにて是を聞、驚きながら、その妻をそのままにさしおけり。

 霍光死後、霍氏奢侈(おごり)甚しかりしに、徐生といふ人上書して、霍氏が権勢を抑へたまはんことを申上ける。その後、霍氏悪逆ますます甚しくて、天子を廃せんと謀りけるが、この陰謀をしる人、多くありて、追々これを告るより、事みなあらはれて、霍氏が一族、残らず誅せられ、かの陰謀を告るものに、皆重き賞を下されける。



 その時ある人、徐生に第一の賞あるべきを恨み、帝に書を奉りて申上けるは、「ある人わが知人の方に至り、厨下のかまどのいき出しのそばに、薪を積置たるを見て、主人に云やう、『この竈のいき出しを曲突にして、薪を竈遠き所に移されよ。さあらずば、かならず火の難あらん』と心つけけるに、主人耳にもとめず、そのままありしが、果してかの孔より薪に火移る。

 その近隣近村より人多く集りて命を限りにはたらき、からふじて打消したり。これにより、主人酒肴をおびただしく設けてかの集りてはたらきしものの、髪ひげを焦し手足に疵つきたる者を上座としてさまざま饗応せり。

 さて、かの曲突を云し人はおもひ出しもせず。ある人主人に云やう、『先に曲突をいひし人の言に従がはば、火の難もなく饗応の費もあるまじ。然るに、今、髪をこがし身に疵つけるものを上客として、曲突をいひし人を賞せぬか』と云ければ、主人やがてかの人を請じける。



 徐福(徐生)が霍氏の変あるべき兆しを見て、その威勢を抑へたまへと申あげたるとき、その言を用ひたまはば、霍氏も滅びず、褒賞の費もあるまじきに、今、霍家を誅滅せしとき、功ある者を賞して徐福を賞せられぬはいかが」と申あげしかば、帝聞しめし、やがて徐福に賞をたまひ、官職をすすめられしとなり。

 身の健やかなる時、病を醸する兆しを察し、家富栄ふるとき、衰へんずる萌を知て、その防ぎする人まれなり。さて、病あらはれて苦き薬、鍼灸をもとめ、神仏を祈 、その苦しみいふばかりなく、父母妻子にも心を苦しめさするなり。我はこころつかでも、他人のその兆を察していさむるを用ひば、我しるに同じくて、未病を治して病苦をのがれ、身をよく保つべし。

 大小軽重のことにつきて、曲突のいさめをおもふべきなり。



【解説(湯城吉信)】

 漢の時代、霍光(かくこう)は武帝に重んじられ、その一族はそれを頼みに横暴を働くようになった。それを憂えた徐福(徐生)は、霍氏を抑えるよう上書したが聞き入れられなかった。その後、天子の退位を企てる霍氏の陰謀が明るみになって初めて、(霍氏は)誅せられた。

 その時、陰謀を暴露した人だけを賞し、徐福が賞せられないのに納得がいかなかった人が、「曲突徙薪(きょくとつ・ししん)」の喩えを引いて、徐福こそ賞せられる人物であると主張した。以下、「曲突徙薪(煙突を曲げ、薪をうつす)」の喩えである。

 ある主人が、火事の危険性(煙突の先に薪が置かれていたこと)を指摘されていたにも関わらず、その言を聞き入れずに、果たして火事になった。幸い消火には成功し、主人は消火に功があった人々(ヒゲを焦がし、手足に傷を負った人々)に御馳走を振る舞った。

 その時、ある人が主人に「火事の危険性を指摘した人の言を聞き入れていれば、火事にもならなかったであろうし、馳走の出費もなかったであろう」と言って諌めた。

 

出典:
『民間さとし草』加藤景範
漢書『霍光伝』
『民間さとし草 翻刻・註釈』湯城吉信



2014年4月5日土曜日

「本願が昇ってきたぞ」 [鈴木大拙]


話:内藤喜八郎


 鈴木大拙先生は、昭和41年(1966)の7月12日に95歳で逝去されたが、その一ヶ月前の6月13日に松ヶ岡文庫で、京都から上京された金子大榮先生と対談しておられる。同席した加藤辨三郎理事長は「世紀の対談」と称賛された。


 対談の最後に、加藤先生が一つ問いを出された。そのときの問答を加藤先生が自ら追悼号に書いておられる。


「”この身即ち仏なり”ということも理の上ではわかるのですが、実感としてはどうしても私は凡夫としか思えないのです。それはどうしたことでしょうと申しますと、(鈴木大拙)先生はこうおっしゃった。


『凡夫か、凡夫ね。ふーむ、誰がそう思わすか、そこがまことに微妙なところでね』


 これが私にとりましては、期せずして、先生の遺偈となったのです。私は終生、先生のあの温顔とともに、この遺偈を忘れないでありましょう」




 昨年の秋、その「世紀の対談」の舞台となった北鎌倉の松ヶ岡文庫を訪ねた。鈴木先生ご生前のままにのこされた洗面室のある二階へも通していただいた。そこには、先生ご逝去の年のカレンダーが書き込みを遺したまま張られ、洗面具もまだ棚にあった。


 洗面台の上に、東に向かって小さな窓が開いていた。そこから峡をへだてて円覚寺の山が見える。卒然と、その山の上に真紅の朝日が昇ってくる幻想にかられた。


 鈴木先生がひげを剃っておられた時、秘書の岡本美穂子さんに「本願」を問われ、顎に手を当てたまま考えておられた先生が、昇ってくる朝日を見ると、「ほーら、美穂子さん、本願が昇ってきたぞ」とおっしゃったという。単刀直入の本願であった。


 先生はいつも全体を全体のままつかまれる。分析したらいのちがなくなるのだ、と。「人は考えながら、しかも考えない。彼は空から降る夕立のように考える。じつに彼は夕立であり、海原であり、星であり、木の葉である」と。


 対象を裁断しない。全体まるごとの中に、無心に飛びこむ。その消息は、朝日そのものが自らに飛びこんでくる消息でもあった。






出典:『鈴木大拙 (道の手帖)』


2014年4月4日金曜日

赤いニシンに騙されて [内田樹]


話:内田樹「初学者を極意に導く方法について(抜粋)」


 いったいどういう方たちがこの本(『天狗芸術論・猫の妙術』佚斎樗山)を買うのでしょう?

 

たぶん武道の稽古を始めて数年というくらいの人たちが購入者のヴォリュームゾーンではないかと思います。武道を稽古して五年、十年という人々が、この本のタイトルを知らないということはありえません。

 もし、あなたがかなりの年数にわたって武道を稽古してきたにもかかわらず、この2つの武芸伝書(『天狗芸術論・猫の妙術』佚斎樗山)の話を、師匠からもまわりの道友の口からも「一度も聞いたことがない」としたら、あなたが稽古しているのは武道ではなく、なにか別のものです。それは『風姿花伝』という書物の話をまわりの誰からも聞いたことがないという人が稽古している芸能は、たぶん能楽ではないというのと同じくらい確実なことです。

 武道家にとっての必読文献というものがあります。澤庵(たくあん)禅師の『太阿記』、『不動智神妙録』、柳生宗矩の『兵法家伝書』と並んで、この佚斎樗山(いっさい・ちょざん)の『天狗芸術論』と『猫の妙術』は、たぶんそのリストの初めの方に掲げられるものです。



 なぜ、この2つのテクスト(『天狗芸術論・猫の妙術』)が江戸時代から久しく武芸を志す者にとっての必読文献とされてきたのか? その理由について個人的意見を述べて、本書の解説に代えたいと思います。

 佚斎樗山(いっさい・ちょざん)は『天狗芸術論』の中で、当今の武芸者についてずいぶん手厳しい評言を下しています。
「今人情薄く、志切(せつ)ならず。少壮より労を厭ひ、簡を好み、小利を見て速やかにならんことを欲する(巻之一)」。今の人は速成を好む。面倒が嫌いで楽をしたがり、「どうやったらさっさと巧くなれますか」と聞いてくる。少ない修業で効率的に極意に達することのできる費用対効果のよい稽古をしようとする。それが当今の趨勢である、と佚斎樗山は嘆いています。

 江戸時代の半ばにして、すでに武士たちは昔のように「いいから黙って修業しろ」というだけでは稽古に励まなくなってしまいました。しかたがないので、師匠のほうから手を差し伸べて、初心者に極意のありかを示し、手をひいてそこまで連れて行くような教え方をせねばならなくなった。この書は、初学者の「手を執って」極意まで曳いて行くための本なのです。

 でも、極意というのは初学者に「はい、これが極意です」とお見せできるようなものではありません。極意が何かを知らない人間をあやまたず「極意のある方向」に導いてゆくにはどうすればいいのか?

 たとえて言えば、「京都がどこにあるか知らないで東京駅をウロウロしている旅行者を、西行きの新幹線ホームにまで連れて行く」ようなことをしなければならない。佚斎樗山のこの本が優れているのは、その点においてです。つまり、「京都がどこにあるか知らない旅行者」をとりあえず京都行きの新幹線に乗せてしまう。その実践的有効性において、本書は卓越しているのです。



 江戸に幕府がひらかれて平安の時代がすでに100年。武士たちにも、白刃をまじえる斬り合いのなかで極意を会得するというような機会はなくなってしまいました。でも、先人が命がけで完成した武芸の伝統は継承されなければならない。

 そういう特異な歴史的状況が要請したのが「初心者フレンドリーな伝書」です。そんな本が書かれたのは日本武道史上たぶんこの時が最初です。ですから、著者(佚斎樗山)はまったく独特の、それまでに前例のない構成上・文体上の工夫を余儀なくされました。

 それは初心者を”正しい方向にミスディレクトする”という方法です。「ミスディレクト」というのは「間違った方向に導く」ことですから、「正しい方向にミスディレクトする」という言い方は理論的に矛盾しているように聞こえるでしょうけれど、本当にそうなのです。

 もう一度さっきの比喩を使いますけれど、東京駅でウロウロしている旅行者を「正しい方向」に連れて行くために「京都はこっちだよ」と言ってもダメなんです。だって、「京都って何?」というレベルの旅行者なんですから。でも、とにかく西行きのホームに連れて行かなければならない。見ると、どうもお腹が空いているようである。すると「駅弁買いたいんじゃない? 駅弁こっちだよ」と手を曳いて、西行きホーム近くの売店に導く。

 そういうふうに、初心者でもわかるその都度の実践的な課題に解答するかにみせかけつつ、ほんとうの目的地に連れて行く。この「京都に連れて行くために駅弁屋に連れて行く」というのが、「正しい方向にミスディレクトする」ということです。



 極意というのは、先人がそれだけ身銭を切って獲得した知見です。初学者がぱらぱらと本を読んだくらいで、「なるほど、そうか。相わかった」と膝を叩くというような安直なことは起こりません。それなりの手間暇をかけなければ「たいせつなこと」はわからない。

 でも、はじめから「手間暇がかかる」と言ってしまうと、「労を厭ひ、簡を好む」初学の人は「そんな面倒なことなら、僕はいいです」と修業をやめてしまう。それでは困る。そこで、初学者をして、それと気づかぬうちに、彼らの理解を絶した境地へと誘うための「仕掛け」を施したわけです。正しい旅程を歩むために、初学者は”大いなる迂回”をしなければならない、というのが著者(佚斎樗山)の戦略でした。

 そのために「わかりにくいことを、わかりやすい言葉で書く」という戦略を著者は採用したのです。どうしてこの戦略が有効かというと、それは「わかりやすい言葉」が「レッドヘリング(赤いニシン)」として機能するからです。



 「レッドへリング(赤いニシン)」というのは、ミステリーなどで読者を間違った解答へ導くミスディレクションのことです。

 もともとは狩りの用語です。狩猟犬を訓練するとき、赤い薫製ニシンを途中に仕掛けておきます。ニシンの匂いにつられて、本来の獲物を追うのと違うコースに逸脱してしまった犬は飼い主にこっぴどく叱られます。「レッドへリング」はあやまたず目標をめざして走る能力を育成するために、わざと仕掛けられるのです。

 アルフレッド・ヒッチコックは「レッドへリング」の名手でした。映画の前半で「いかにも犯人らしい人間」を前景に押し出し、観客自身に「謎解き」をさせるのです。観客は映画を観ながら「あ、こいつが犯人で、事件の真相はこうなのだ」と得心して膝を打ち、「監督を出し抜いた」とほくそ笑みます。そして、これから後の物語が自分の予想通りの展開になることを予測して、わくわくしながら映画を観つづけます。

 もちろん、映画はそのあと予想もしない大ドンデン返しに突入して、観客は仰天させられることになるのですが、ヒッチコックは別に観客を愚弄してそんなことをしているわけではありません。これは間違いなく観客へのサービスなのです。

 というのは、何も考えずにぼんやりプロットを追っている受動的な観客よりも、この「レッドへリングにひっかかった観客」の方がはるかに深く映画に没入し、はるかに多くの映画的悦楽を享受することができるのです。



 「ミスディレクトされた観客」の方が、騙されなかった観客よりも遠く、深くまで映画の中に参入することができる。行き先を「勘違い」した旅人の方が、行き先がわからないでぼんやりしている旅人より歩みが速く、踏み込みが深い。

 おわかりでしょうけれども、伝書における「わかりやすい言葉」は「レッドへリング」なのです。「わかりにくいこと」を教えるときにわざと「わかりやすい言葉」を使うのは、初学者を「ミスディレクト」するためなのです。「なるほど、修業の目的はこの方向なのだな。わかった!」と膝を打たせるために、わかりやすい言葉、つまり誤解されやすい言葉をちりばめてあるのです。

 久しく座右にあった伝書を取り上げて読んでみたときに、10年前と同じような読み方しかできないということは、どんな凡庸な武道家にもありえません。必ず「自分はなんと浅い読み方しかしていなかったのだろう」とひとり赤面することになります。必ず、なります。それが伝書の効用です。「わかった」と「ひとり赤面」を繰り返す。その反復を通じて修行者はしだいに武道修業の要諦について自得していくことになるのです。

 それは、”自分がかわったつもりでいることは、だいたい間違っている”ということでもあります。これが武道修行者が繰り返し、骨身にしみて会得しなければならない修業上の大原則です。





 本書収録の二編(『天狗芸術論』と『猫の妙術』)はいずれも「読んでわかったつもりになる」ための本です。それでよいのです。何年かして読み返して、以前の自分の「わかったつもり」に赤面すればいい。それを何度も繰り返せばよいのです。そのために書かれた本なのですから。

 『天狗芸術論』も『猫の妙術』も、中学修了程度の古文の知識があれば読めます。出てくる鍵語の大半も日常語です。「所作」も「気勢」も「無心」も「自然」も「精神」も、僕たちはその語義を熟知しているものとしてふだん用いています。ですから、初学者はかならず現代語の語義を当てはめてこれを読みます。自分の知っている言葉が「現代語の語義とはまったく違う意味」で使われている可能性を吟味したりはしません。

 ですから、逆説的なことですけれど、「意味がわかりそうな箇所」が伝書を読むときのピットフォール(落とし穴)なのです。「自分の日常感覚の延長でなんとなく類推できること」についての話はうっかりわかったつもりにならない方がいい。

 逆に、「自分の日常感覚ではまったく類推できないこと」については、気にしなくいい。そこにはピットフォールもないし、レッドへリングも仕掛けられていないからです。たとえば、「存在しないもの(大天狗や説教を垂れる老描など)」について書かれた箇所には誤解の余地がありません。



 私たちが誤解できるのは、「正しい理解」と「間違った理解」が併存する場合だけです。そうした箇所は全部「謎」です。すべてが「レッドへリング」であるというくらいの警戒心をもって読む方がいいです。

 でも、繰り返し言うように「レッドヘリング」に騙されて、自分なりの「読み筋」を作り上げるというのは、修業上の必然なのです。騙されて、誤読して、いいんです。そのために書かれて本なのですから。

 そういう迂回をスキップして、「レッドへリングなどに惑わされたくない、まっすぐに極意に達したい」と望むことこそ、佚斎樗山の言う「労を厭ひ、簡を好む」ことに他ならず、まさに初学者の初学者たる所以なのです。



 僕が書いているこの解説ももちろん、この二篇の解説としては間違っていることでしょう。

 ”間違っているに決まっている”

 僕程度の武道家に、こんなに簡単に「解説」されてしまうような文書が300年も読み継がれているはずがありませんからね。

 でも、それでいいんです。

 修業というのは「オープンエンド」なんですから。






知るものは言わず、言うものは知らない。 [猫の妙術]


話:古猫


昔、わが隣郷に猫あり。
むかし隣村に、ある猫がいた。

終日眠りいて気勢なし。木にて作りたる猫のごとし。人、その鼠を取りたるを見ず。
その猫は一日中寝てばかり。まるで木で作った猫のようにやる気がなく、村人たちは、その猫がネズミを獲ったところを見たことがなかった。

しかれども彼猫の至る所、近辺に鼠なし。処を替えても然り。
しかしそれでも、その猫のいる辺りにはネズミが一匹もいなかった。猫が居場所を替えると、またネズミはいなくなる。


我行きてその故を問ふ。
そこで私はその猫のところへ行き、その理由を訊いた。

彼猫、答へず。
けれども、その猫は何も答えない。

四たび問へども、四たび答へず。
四度きいても、四度とも返答がない。

答ふる処を知らざるなり。
というのも、その猫はどう答えてよいか分からなかったのだ。



是をもって知る。
そして、私はよく分かった。

知るものは言わず、言ふものは知らざることを。
知っている者だからこそ言葉にならず、言葉にする者のほうが実は知らないということを。

彼猫は、己を忘れ物を忘れて、物なきに帰す。
その猫は自分も何も無くなって、空(くう)となっていたのである。

神武にして殺さずといふものなり。
神のごとき武に達すれば、殺すということがなくなるのであろう。

我もまた、彼に及ばざること遠し。
自分はまだまだ、かの猫には遠く及びもしないのだ。






出典:『猫の妙術』佚斎樗山

窮鼠、猫をかむ [猫の妙術]


話:古猫


窮鼠かえって猫を噛むといふことあり。
追い詰められたネズミは、逆にネコを噛むということがある。


彼は必死に迫って恃(たの)むところなし。
そうしたネズミはまさに必死であり、誰かを頼りにするということがまるでない。


生を忘れ、慾を忘れ、勝負を必とせず、身を全うするの心なし。
もはや生きようとすることを忘れ、勝とうとも思わず、身を守ろうとすらしない。


ゆえにその志、金鉄のごとし。
だからこそ、その気概は金や鉄のごとく強靭である。


かくのごとき者は豈(あに)気勢をもって服するべけんや。
それほどの者を、どうして気の勢いだけで負かすことができようか。





引用:『猫の妙術』佚斎樗山