2015年10月30日金曜日
フンドシの霊力か[玄侑宗久]
話:玄侑宗久
『サンショウウオの明るい禅』
ふんどしの霊力
私は高校以来、下着は褌(ふんどし)しかつけたことがない。それがどうしたと言われそうだが、これから書くことはそんな褌(ふんどし)慣れした私でも驚いたという褌(ふんどし)の話。
さて驚いたというのは、厄払いのため、日本三大奇祭の一つといわれる会津柳津(やないづ)の裸祭りに行ったときのことだ。1月7日のそのお祭りには、毎年お経をあげる僧侶として拝請(はいしょう)していただくのだが、その年は厄年なので裸になって鰐口(わにぐち)の前の綱をよじ登ることになった。何人かの同級生たちも一緒に参加した。
数組の夫婦で酒を飲みながら夕食をとり、さて褌(ふんどし)を締める段になったのだが、
「神聖な儀式のための褌(ふんどし)であるから、熟練者に締めてもらえ」
という。大勢の男たちが数珠つなぎに登るから、
「未熟な緩い締め方では途中で外れ、失敬になる」
というのだ。
中居さんに言われた部屋に行ってみると、熟練者といわれる人も大勢の連れと飲んでいた。しかし気軽に引き受けてくれ、当たり前のことのように言った。
「はいはい、じゃあ全部脱いで」
女性も混じった大勢の中で全裸になり、回転しながら締込(しめこみ)をしてもらったのも未曾有(みぞう)のことだが、じつはもっと驚くべきことが、その後で起こった。
頭がクラクラするくらい緊(きつ)く締められ、思わず裸足の足を爪先立ちにして雪の道を早足に進み、石段を登る。
その間、何が起こったのか?
石段を登りきって習(なら)わしどおり、大きな手水鉢(ちょうずばち)に身を浸したが、
「ぬるい」
そして本堂の綱も、女房の計測によれば「8秒」で登りきってしまった。夕方試しに登りかけた時には、まったく登れなかったのに、である。
あれは一体なんだったのか?
昔から褌(ふんどし)は
「締めれば締めるほど神に近づく霊力を発揮する」
という。今となっては、あの神業(かみわざ)のような勇姿が「褌(ふんどし)の霊力」だったとしか思えないのである。
…
引用:玄侑宗久『サンショウウオの明るい禅』
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