日曜美術館
アートシーン
2015年9月6日
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ブラジル、リオデジャネイロ郊外の海辺。
絶壁にあるのは「不時着した宇宙船」?
曲がりくねったスロープに導かれ
中に入ると、そこは美術館です。
「ニテロイ現代美術館」
海にせり出すよう、カーブを活かした空間。
曲線の魔術師
と呼ばれた、ある天才建築家の設計です。
建築家
Oscar Niemeyer
オスカー・ニーマイヤー
(1907~2012)
ニーマイヤーの代表作といわれるのは、リオデジャネイロにある自らの別荘です。
「Casa das Canoas(カノアスの邸宅)」1953年
ニーマイヤーが構想したのは、
自然に溶け込むような家。
そのために注目したのが「曲線」でした。1950年代に発達した鉄筋コンクリートの技術が、自由な造形を可能にしました。ニーマイヤーは山の稜線や海の波、愛する女性の体に曲線の美をみいだし、建築に取り入れました。
オスカー・ニーマイヤー(当時100歳)
あるとき、「人生とは何ですか?」と聞かれた。
私は「女性がいればいい」と答えた。
私も地球の生き物だからね。
1956年、ニーマイヤーのもとに前代未聞の一大プロジェクトが舞い込みます。標高1200mの高原に、新しい首都をつくる、ブラジリア首都計画。のちに世界遺産に指定される、その主要な公共建築すべての設計を任されました。得意の曲線を活かし、次々と斬新な建築を創りあげていきます。
国民の声を受けとめるという下院は「おわん型」。
これはニーマイヤーの最高傑作とされる建築。
祈る手
を表しているともいわれるこの建築は、人々の祈りの場である大聖堂です。
「ブラジリア大聖堂」1970年
Catedral de Brasília
16本の支柱を、40mの高さの円錐形に組み、広い空間を生み出しました。
ステンドグラスを通じて360°、光が降り注ぎます。柔らかな曲線が祈る人々を優しく包み込みます。
小高日香理さん(東京都現代美術館・学芸員)
「いろんな立場や目的をもった人々が集まりますよね。そういった人々をですね、直線的な仕切りで分断してしまうのではなく、隔離してしまうのではなくて、
ゆるやかな曲線をつないでいって共存させる
というようなことをしています」
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話:島田晴雄
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ブラジルは南米ですから、第2次世界大戦の戦火から逃れました。しかも、非常に広大な土地がある、ということで、1950年代初頭に、世界から投資が殺到します。当時は大変な経済活況で、
「われわれは北のアメリカに対して、南のブラジルという先進国だ」
というくらいの気概が、ブラジル人の中にあったと思います。それを代表したのが、1950年代中頃に政権に就いたジュセリーノ・クビチェックという大統領です。1955年にこの人は、それまで海岸にサンパウロとリオデジャネイロという二つの土地しかなかったブラジルの広く開いた高原に、日本で言うと軽井沢のようなところですが、そこに
まったくの人工による大首都を築く
と公約をしたのです。それをブラジリアと名付けました。そして、なんと1960年に実際に完成したのです。そのときに建築を任されたのが、オスカー・ニーマイヤーという、ブラジルが世界史に誇る名建築家、名建築デザイナーです。
みなさんの知識に即して申し上げれば、ニューヨークの国連ビルは、このオスカー・ニーマイヤーさんが若い頃に作ったビルです。あの国連ビルも半分は曲線ですが、彼の建築は、ほとんどが曲線ですね。あるとき彼に、
「なぜ曲線にするのですか」
と尋ねた人がいるのですが、ニーマイヤーさんは、
「自然を見てみたまえ。波も風も砂漠も、みんな曲線ではないか。そして、天が私どもに与えた最高の曲線は、女性のヌードの曲線である」
と、言い放ったそうです。この人は100歳以上まで現役で活躍されて、亡くなるまでに何人も奥さんを替えた人で、巨人ですね。ブラジルは、この人に存分に仕事をさせたわけです。
したがって、上下両院議事堂も、大統領府も、劇場も、裁判所も、そしてブラジルが誇る大教会も、全部オスカー・ニーマイヤーさんの作品です。他にもたくさんの作品があるのですが、要するに、
ブラジリアは、ほとんどオスカー・ニーマイヤー氏の個人展のようなもの
です。54年前にできているわけですが、今でも多くの国々、特に開発途上国にとっては、ブラジリアは首都を作るときのお手本になっています。
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