戦国武将「上杉謙信(うえすぎ・けんしん)」。
彼は僧衣を脱ぎ捨てたのではなく、そのままに鎧を重ねた。
自らを北の守護神「毘沙門天」の転生と信じ切っていた謙信。
「北条の小田原城を囲んだ折は、矢弾の中を城門の前まで進み、そこで弁当をつかい、茶を三杯まで喫したという」
毘沙門天だと思い込んでいなくば、できぬことである。
「友軍の城へと救援に向かう際、『とりあえず』と将みずから、わずか23騎の共を従えて、敵軍の中を駆け抜けた」
川中島では、鎧の上に僧衣をまとった武田信玄を、「ただ一騎、陣中に大将みずから馬を乗り入れて、斬りつける」。
「利」を追い求める戦国武将の中にあって、謙信ばかりは「信」と「義」を高らかと掲げ、彼らの前に立ち塞がった。
「通常なら、群と異なる価値観はすぐさまに撲滅されるであろうが、謙信の場合は違いすぎたために、近寄り難い高みにまで浮き上がった(黒鉄ヒロシ)」
あの織田信長でさえ、贈り物などしながら、謙信を避けまくる。
そんな漢(おとこ)、上杉謙信の辞世の句。
「四十九年 一睡夢 一期栄華 一杯酒」
(49年の生涯は、一瞬の夢のようなものであった。栄華は一杯ほどの酒にひとしい)
この句を遺し、毘沙門天はこの世から消えた…。
出典:
千思万考(黒鉄ヒロシ)
「謙信的 美」
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