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2018年5月9日水曜日

人間とサルにしかない細胞【感情の小さな秘密】


From:
レイ・カーツワイル
シンギュラリティは近い




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人間の脳のもっとも複雑な能力――わたしはこれがもっとも決定的なものだと思う――が、感情に関わる知能だ。

われわれの脳の複雑で相互に連結された階層の最上部に不安定に位置するのは、さまざまある高次の機能の中でも、感情を知覚し適切に反応し、社会的な状況において互いに交流し、道徳観をもち、冗談を理解し、絵画や音楽に感情的に反応する能力だ。

知覚や分析のより低次の機能が脳の感情のプロセスに送り込まれているのは確かだが、脳のこの領域についての理解はようやく始まったばかりであり、こうした問題を扱う特殊なタイプのニューロンのモデル化も着手されつつある。

これらの新たな洞察は、人間の脳が他の哺乳類の脳とどのように異なるのかを理解しようとした研究から最近になって得られたものだ。人間と他の哺乳類との間の差異はごくわずかではあるが決定的なものだというのが、その答えである。

その違いから、脳がどのようにして感情やそれに伴う気持ちを処理するのかを知ることができる。違いのひとつに、人間にはより大きな皮質がある、という点がある。そのために、計画や、判断、その他の形の分析的な思考を行う能力が高くなっている。

もうひとつの重要な違いを表す特性は、感情をかきたてる状況が、紡錘細胞と呼ばれる特殊な細胞で処理されているらしい、ということだ。この細胞は、人間と、数種類の類人猿にしか見つかっていない。この神経細胞は大きく、先端樹状突起と呼ばれる長い組織をもち、それが、他の多数の脳の領域から入ってくる広範な信号とつながる。

こうした類いの「深い」相互連結、つまり、ある種のニューロンが多数の領域にわたる連結を確保している、という特徴は、進化の梯子を上に登るにつれ、ますます多く目につくものだ。このように感情や道徳判断の処理に関わっている紡錘細胞が、深い相互連結の形態をもっているということは、われわれの感情的な反応の複雑さに鑑みれば、驚くことではない。

ところが、驚くべきことは、この働きを担う脳の領域もそもそも小さいが、紡錘細胞がその中にごくわずかしかないことだ。人間の脳にはおよそ8万個しかない(右半球に約4万5千、左半球に約3万5千)。左右の半球で数に差があるのは、感情的な知能は右脳の領分だとする認識を裏づけるものに思われる。ただし、その差はわずかであるが。

ゴリラにはこの細胞が約1万6千個あり、ボノボには約2,100個、チンパンジーには約1,800個ある。残りの哺乳類には、この細胞はまったくない。



アリゾナ州フェニックスにあるバロー神経学研究所のアーサー・クレイグ博士は、最近、紡錘細胞の構造についての論考を発表した。

皮膚や筋肉や器官やその他の領域にある神経など、身体からの入力(毎秒数百メガビットと推定)が、上部脊髄に流れ込む。これらの入力は、手触りや温度、酸の量(筋肉中の乳酸など)、胃腸管を通る食物の動き、この他さまざまな種類の情報を、メッセージとして運んでいる。

このデータは、脳幹と中脳を通じて処理される。ラミナ1ニューロンと呼ばれる重要な細胞が、最新の状態を反映した身体マップを作成する。これは、航空管制官が飛行機の経路をたどるのに使う図に似ていなくもない。

そのあと情報は、後腹内側核(VMpo)と呼ばれる豆粒ほどの大きさの領域に流れ込む。ここは、身体の状況にたいして複雑な反応を計算するところだ。たとえば、「まずい味だ」とか、「くさいぞ」とか、「この軽いタッチが刺激的」とか。

ますます高度になった情報は、大脳皮質の中の、島(とう)と呼ばれる2つの領域にたどりつく。小さな指くらいの大きさのこの構造は、皮質の左右にそれぞれ位置している。クレイグは、VMpoと2つの島の領域を「モノ的なわたしを表すシステム」だと描写する。

メカニズムはまだ解明されていないが、これらの領域は、自己認識や複雑な感情にとって非常に重要なところだ。他の動物のこれらの領域は、ずっと小さい。たとえばVMpoは、マカクでは砂粒ほどの大きさだし、もっと下等な動物ではさらに小さい。

こうした発見は、われわれの感情は脳の中でも身体マップをもつ領域と密接に関連している、とするアイオワ大学のアントニオ・ダマシオ博士が提唱し、広く受け入れられつつある考え方と一致している。さらにまた、われわれの思考の多くは、身体に向けられていて、身体を保護し強化するとともに、身体の無数のニーズや欲求に応えている、とする見方とも一致している。

つい最近、もともとは身体からの感覚情報として生じたものが、さらにまた別のレベルの処理を施されている事例が見つかった。

2つの島の領域から発せられたデータは、前部島皮質と呼ばれる右島の前方にある小さな部分に向かう。ここは紡錘細胞のある領域であり、fMRIのスキャンから、愛情や怒りや悲しみ、性的な欲望などの高次の感情を覚えるときには特に活発になることが明らかにされている。紡錘細胞が強く活性化される状況には、被験者が恋人を見たり、自分の赤ん坊が泣く声を聞いたりしたときなどがある。

人類学者たちは、紡錘細胞は1千万年前から1千5百万年前に、いまだ発見されてはいない、サルと初期のヒト科の共通の先祖の中に初めて登場し、およそ10万年前あたりにその数を急速に増やした、と考えている。

おもしろいことに、紡錘細胞は新生児には存在せず、4ヶ月目ぐらいになってようやく出現しはじめ、1歳から3歳までのあいだに著しく増える。子どもが道徳的な問題を考えたり、愛情などの高いレベルの感情を察知したりする能力は、これと同じ時期に発達するものだ。

紡錘細胞は、長く伸びた先端樹状突起が脳の他の多くの領域と深く相互連結することからパワーを得ている。したがって、紡錘細胞が処理する高次の感情は、知覚や認識に関するすべての領域の影響をうけていることになる。よって、紡錘細胞が接続している多数の領域のモデル化を改善しないかぎり、紡錘細胞の正確な働きのリバースエンジニアリングは難しいだろう。

それにしても、感情に専門で関わっているこうしたニューロンの数が、これほど少ないとは驚きだ。技能育成に関わるニューロンは、小脳のなかに500億あり、知覚や合理的な計画のための変換をおこなうニューロンは大脳皮質のなかに数10億あるというのに、高次の感情をあつかう紡錘細胞が、たったの8万個ばかりとは。

銘記しておくべきは、紡錘細胞は合理的な問題解決をおこなわない、ということである。音楽に反応したり、恋に落ちたりするのを、合理的にコントロールできないのはそれゆえである。だが、脳の残りの部分は、謎の多い高次の感情をなんとか理解しようと懸命に努力している。

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From:
レイ・カーツワイル
シンギュラリティは近い



2018年4月28日土曜日

ノコギリで手足を切り落とされても…


From:
Samga Japan Vol.29





話:バンテ・ボーディダンマ


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このようなたとえ話があります。

もし盗賊たちがやってきて、ノコギリで私たちの腕や手足の一本一本を切り落としたときに、たとえ一筋でも怒りや憎悪の念を感じたなら、仏さまの教えに従っていないのだ…、というものです。





痛みを感じたら、その痛みによって引き起こされる嫌な気持ちや、恐れの感情に気づいて、はっきりと認識し、嫌な感情が消えていくまでを、しっかりと経験します。

痛みに対する反応が消えて無くなったときに初めて、痛みを痛みそのものとして、あるがままに観察することが可能になります。

瞑想が十分に安定して、痛みに動じなくなったその時に、痛みの内に入って、痛みと呼ぶものが一体なにから成り立っているのかを観ることが可能になります。

そして、不快なもの、嫌なものという痛みに対する認識が覆されるのを目の当たりにして、驚かされることでしょう。「痛み」や「不快さ」の代わりに、「緊張」「熱」という、よりシンプルな身体的感覚が体験されはじめるからです。さまざまな身体的感覚が働きあって、「痛み」という感覚・感触をつくりだしているのです。

そして、このように痛みが経験されるとき、そこには苦しみがないことに気づいてください。この認識はとても重要ですから、忘れないでください。このように観察され体験された「痛み」は、もはや「dukkha(苦しみ)」ではありません。

痛みから生じる「苦」というのは、実際には「痛みとの関わり方」「自分と痛みとの関係性」のことなのです。

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From:
Samga Japan Vol.29

「イラッ!」としたらば…


From:
Samga Japan Vol.29





話:バンテ・ボーディダンマ


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あなたはイライラする瞬間に気づきますか?

たとえば、このような場面をみてみましょう。

あなたはリトリートに参加して瞑想しています。静けさのなか、心がゆっくりと落ち着いていくのを感じています。その時、ドタバタと遅れた人が部屋に入ってきました。

「なんと不注意な!」

あなたは深く息を吸って、気を取り直し、ゆっくりと集中を高めていきます。すると今度は、すぐ背後で誰かが大きく咳をしました。これにはやはり、イラッとします。

さらには、数々の無明のベールを通り抜け、いよいよ真理の深みに到達せんとする、その時、力強いクシャミが鳴り放たれます。…もう、たくさんです。

「ここにいる瞑想者には、マナーというものがないのか!」

このような小さな苛立ちが起こったら、ただちに他の誰も自分を怒らせることはできないことを思い出さなければいけません。そして、邪魔をした人に心から感謝をしましょう。なぜなら、その人はそうと知らずに、私たちがどこでつまずいているかを教えてくれたからです。

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ヴィパッサナー瞑想を正しく行じるならば、私たちをイラッとさせるものなど、何ひとつないでしょう。「イラッ」とする感覚それ自体も、観照され経験される瞑想の対象になるからです。

もし、瞑想の邪魔をされたと感じてイラッとしたときは、修行に対して狭い視野になっていないか、確認しましょう。「修行はこうあるべきだ」「瞑想者ならこうするべきだ」といった理想に陥っている自分の心の状態に気づいてください。

これらの「~すべき」「~ねばならない」などの言葉は、自分のつくりあげる「理想」から生まれます。そして、この理想に縛られた狭い視点をよりどころに、私たちは関わる人や事柄を思い通りにしようと試みます。それは瞑想意外の時間、日常の生活のいたる場所で当然おこることです。

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私たちの注意を引きつけながら、森羅万象は生じては消えてゆきます。

今日一日、明晰な気づきの内にとどまって、すべての「すべき」と「ねばならない」を捨ててしまいましょう。

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「すべての現象は過ぎ去っていく」ということを、もう一度思い出してください。

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From:
Samga Japan Vol.29

「嫌!」という心の反応が消えはじめると…


From:
Samga Japan Vol.29





話:バンテ・ボーディダンマ


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自分以外には誰も、心理的な苦痛を自分に与えることはできないことを、まずは正直に認めなければなりません。

私たちの「dukkha(苦)」――苛立ち、不満、苦しみ――の答えは、心の中にあるからです。

この事実は、他人のせいにすることで得てきた安堵感を奪いますが、代わりに自分の心に責任を持ち、困難なことであっても、状況を解決するための力が与えられるでしょう。

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私たちは、これらの感情・感覚を、機嫌を損ねた子供のように扱う必要があります。

自然界の台風と同じように、感情や感覚のエネルギーを現れるままにまかせると、エネルギーを使い果たしたあとで、自ずと消滅するものです。

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仏さまは「feeling in feelings(感覚を感覚の中で)」経験するという言葉で、感覚に開いていくことを説いています。

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何よりも大切なのは、自分自身が苦しみを作り出す、そのカラクリにしっかりと気づき、その気づきと認識を、苦しみを終わらせるための、さらなる動機づけとしていくことです。

これは、私たちにできることです。

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瞑想中の姿勢から生じる、身体の痛みというものがあります。

膝の痛みは、過ぎ去るのを待つことができないほど、ひどい痛みになりがちです。ずいぶん昔のことになりますが、禅の修行をはじめたばかりの頃、痛みを我慢して座りつづけたことが原因で、私の膝は脱臼するクセがついてしまいました。

このようなときは無理をせず、椅子に座り、痛みがひくのを待つことも、とても大切なことです。

その一方で、脈打つ膝の痛みは、気づきや智慧にとっては、非常によき友であると言えます。何より、痛みは忍耐と寛容を教えてくれます。加えて、強い痛みは感覚への集中を助けてくれます。

そして、観察と経験を通して「痛み」が、私でも、私のものでもない「無我」であることを教えてくれます。私たちの好き嫌いにかかわらず、また私たちの意向に関わりなく、痛みはそれ自体の不満(苦)を表現するのですから。

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「痛み」と、その反応としての「苦」を識別します。

この身体の痛みからくる「苦」は、仏さまが「dukkha-dukkha(苦苦)」と呼ぶ、苦痛を苦とする状態のことです。

この「痛み」と「苦」を識別することは、とても大切なことです。そして、悟りに至ったときに消滅するのは、この2つのうちの「苦」のほうだと言われています。

身体がある限り、身体の痛みは自然なこととして起こりつづけることでしょう。しかし、「嫌!」という心の反応が消えはじめると、「痛み」との新しい関係がはじまります。

痛みがあっても、完全に落ち着いた穏やかさのなかに留まりつづけることが可能になります。心の平安と静けさが、痛みが私たちを苦しめているのではなかったことに、気づかせてくれるでしょう。

痛みではなく、心の反応の仕方が「苦」をもたらしていたのです。

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実際のところ、「痛み」というものは存在しません。

存在しているのは、さまざまな身体的感覚だけです。この気づきとともに、「痛い」という感覚さえもが消滅していきます。

この段階において、「無常」の真理がはっきりと認識されはじめます。あらゆる感覚が、一瞬一瞬に生じ、そして消え去っていきます。すべてが束の間に過ぎていく一連のエネルギーでしかありません。

その時には、身体の痛みは瞑想者にとって祝福となるでしょう。

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From:
Samga Japan Vol.29

2018年4月22日日曜日

明るい灰色、暗い灰色【目の錯覚】


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この目の錯覚は ご存じかもしれませんが
You might have seen this illusion before, 

新たな方向から 考えて頂きたいと思います
but I'd like you to think about it in a new way. 

AとBの2つの区画を 見ていただくと
If you look at those two patches, A and B, 

灰色の濃さが非常に異なって 見えるはずです
they should look to you to be very different shades of gray, right? 



でも実際は全く同じ濃さなんです
But they are in fact exactly the same shade. 

それを示すことができます
And I can illustrate this. 

第2バージョンの絵では 2つの区画を 灰色のバーで繋いでいて
If I put up a second version of the image here and join the two patches with a gray-colored bar, 

全く違いがなく見えますね
you can see there's no difference. 

灰色の濃さは全く同じなんです
It's exactly the same shade of gray. 



もしまだ信じられないなら
And if you still don't believe me, 

バーをずらして 区画に重ねてみましょう
I'll bring the bar across and join them up. 

一色の灰色の塊になり
It's a single colored block of gray, 

違いは全くありません
there's no difference at all. 



これは手品でも何でもなく
This isn't any kind of magic trick. 

灰色の濃さは同じです
It's the same shade of gray, 

でも バーを取りのけると
but take it away again, 

また違って見えるようになります
and it looks different. 



何が起きているのかというと
So what's happening here is 

脳は事前の期待を 用いているのです
that the brain is using its prior expectations 

それは視覚野の回路の中に 深く構築されており 「影がかかると 物の表面は より暗く見える」ということです
built deeply into the circuits of the visual cortex that a cast shadow dims the appearance of a surface, 

それでBが実際より 明るく見えるんです
so that we see B as lighter than it really is.

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引用:

アニル・セス
Anil Seth
脳が「意識された現実」という幻覚を作り出す仕組み
Your brain hallucinates your conscious reality



脳による Best Guess【TED】




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まずは身の周りの世界 という経験と 予測エンジンとしての脳という 重要な考えについて考えてみましょう
Let's start with experiences of the world around us, and with the important idea of the brain as a prediction engine.

脳の身になって 想像してください
Imagine being a brain. 

固い頭蓋骨に 閉じ込められ
You're locked inside a bony skull, 

外の世界で何が起きているのか 理解しようとしています
trying to figure what's out there in the world. 



頭蓋骨の中には 光はありません
There's no lights inside the skull. 

音もありません
There's no sound either. 

唯一利用できる電気的インパルスに 頼らざるを得ないのですが
All you've got to go on is streams of electrical impulses 

これは何であれ 世界の事物とは 間接的に関わっているに すぎません
which are only indirectly related to things in the world, whatever they may be. 



ですから何がそこにあるかを 知るという「知覚」は 情報に基づく推測の過程に ならざるを得ません
So perception -- figuring out what's there -- has to be a process of informed guesswork 

そこでは脳は これらの感覚的な信号を 世界がどんなものかについての 事前の期待や信念と結びつけて 何がその信号を起こしたのか 最善の推測を構成します
in which the brain combines these sensory signals with its prior expectations or beliefs about the way the world is to form its best guess of what caused those signals. 

脳が音を聞いたり光を見たり している訳ではありません
The brain doesn't hear sound or see light. 

私たちが知覚するのは 世界で起きていることに関する最善の推測です
What we perceive is its best guess of what's out there in the world.


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引用:
アニル・セス
Anil Seth
脳が「意識された現実」という幻覚を作り出す仕組み
Your brain hallucinates your conscious reality




2017年4月7日金曜日

ゲシュタルト崩壊


ゲシュタルト崩壊とは?




「ゲシュタルト(Gestalt)」はドイツ語で「まとまった全体としての形」と言う意味。「ゲシュタルト崩壊(Gestaltzerfall)」とは、いままで普通に見えていたものに違和感を感じるようになること。「自我の崩壊」とも心理学では言われる。

たとえば、同じ文字をずっと見つづけていると「あれ、これってこんな字だったっけ?」と、文字が文字に見えなくなったりする。







2015年10月28日水曜日

大空襲と「不死身感」 [マルコム・グラッドウェル]



話:マルコム・グラッドウェル
『逆転! 強敵や逆境に勝てる秘密』






「爆撃が怖くなくなる」理由


第二次世界大戦の気配が濃厚になってきたころ、イギリス政府には大きな懸念があった。

In the years leading up to the Second World War, the British government was worried. 

戦争になったら、ドイツ空軍がロンドンに猛攻を仕掛けるだろう。それを止めるすべはない。

If, in the event of war, the German Air Force launched a major air offensive against London, the British military command believed that there was nothing they could do to stop it.

軍事戦略家のバジル・リデル=ハートは、ドイツ軍による空襲が始まれば、最初の一週間でロンドン市民の死傷者は25万人にのぼると推測した。

Basil Liddell Hart, one of the foremost military theorists of the day, estimated that in the first week of any German attack, London could see a quarter of a million civilian deaths and injuries.

ウィンストン・チャーチルは、

「ロンドンは敵の格好の標的であり、猛獣が舌舐めずりをする丸々と肥えた立派な牛(a kind of tremendous, fat, valuable cow)だ」

と表現し、30〜400万人が地方に疎開すると計算した。

Churchill described London as 

"the greatest target in the world, a kind of tremendous, fat, valuable cow, tied up to attract the beast of prey."

He predicted that the city would be so helpless in the face of attack that between three and for million Londoners would flee to the countryside.






開戦前夜の1937年、イギリス軍司令部が不吉な報告書を発表する。

In 1937, on the eve of the war, the British military command issued a report with the direst prediction of all:

ドイツ軍の空襲が継続的に行われると、死者は60万人、負傷者は120万人になるというものだ。

a sustained German bombing attack would leave six hundred thousand dead and 1.2 million wounded and create mass panic in the streets.

ロンドン市民は恐怖のあまり職場を放棄して、工業生産が立ちいかなくなるだろう。

People would refuse to go to work. Industrial production would grind to a halt.

政府はロンドンの地下に防空壕網を張りめぐらせることを検討したが、すぐにあきらめた。防空壕に入った市民が、二度と出てこなくなると思ったからだ。

The army would be useless against the Germans because it would be preoccupied with keeping order among the millions of panicked civilians. The country's planners briefly considered building a massive network of underground bomb shelters across London, but they abandoned the plan out of a fear that if they did, the people who took refuge there would never come out.

空襲の恐怖で心理面に打撃を受ける人が続出することが予想され、郊外に精神科病院がいくつか新設された。

They set up several psychiatric hospitals just outside the city limits to handle what they expected would be a flood of psychological casualties. "There is every chance," the report stated, "that this could cost us the war."



1940年秋、恐れていたことがいよいよ現実になった。

In the fall of 1940, the long-anticipated attack began.

ドイツ空軍の爆撃機がロンドン上空に来襲し、高性能爆弾と焼夷弾を投下したのだ。なかでも最初の空襲は57日間続いた。

Over a period of eight months -beginning with fifty-seven consecutive nights of devastating bombardment- German bombers thundered across the skies above London, dropping tens of thousands of high-explosive bombs and more than a million buildings were damaged or destroyed.

死者は4万人、負傷者は4万6000人。損壊した建物は100万棟になり、とりわけイースト・エンドは壊滅的な被害を受けた。

In the city's East End, entire neighborhoods were laid waste. 

すべてはイギリス政府の予想どおりだった。たったひとつ、ロンドン市民の反応を除いては。

It was everything the British government officials had feared -except that every one of their predictions about how Londoners would react turned out to be wrong.







人びとはパニックに陥らなかった。

The panic never came.

郊外に建てられた精神科病院は閑古鳥が鳴いていたので、軍事施設に転用された。

The psychiatric hospitals built on the outskirts of London were switched over to military use because no one showed up.

女性と子どもは多くが疎開したが、市内に残らざるをえない人たちはそのまま残った。

Many women and children were evacuated to the countryside as the bombing started. But people who needed to stay in  the city by and large stayed.

政府が驚いたのは、市民が空襲に勇敢に立ちむかう姿もさることながら、彼らが見せる無頓着に近い不思議な態度だった。

As the Blitz continued, as the German assaults grew heavier and heavier, the British authorities began to observe -to their astonishment- not just courage in the face of the bombing but something closer to indifference.



イギリスのある精神科医は終戦後すぐの時期にこう書いている。

One English psychiatrist wrote just after the war ended:

1940年10月、数度にわたる空襲を受けた直後のサウスイーストを訪れる機会があった。

In October 1940 I had occasion to drive through South-East London just after a series of attacks on that district.

…

100メートルごとに、爆弾でできた大きな穴や、住宅や商店の廃墟が現れる。空襲警報が鳴りだし、成りゆきを見守った。

Every hundred yards or so, it seemed, there was a bomb crater or wreckage of what had once been a house or shop. The siren blew its warning and I looked to see what would happen.

子どもの手を引いて歩いていた修道女が先を急ぐ。だが彼女と私のほかは、誰も警報に気づいていないかのようだった。

A nun seized the hand of a child she was escorting and hurried on. She and I seemed to be the only ones who had heard the warning.

少年たちは通りで遊び、買い物客は値段交渉に余念がない。警官はいかめしい面もちで交通整理を続け、自転車は死の恐怖も交通ルールもおかまいなく疾走していく。

Small boys continued to play all over the pavements, shoppers went on haggling, a policeman directed traffic in majestic boredom and the bicyclists defied death and the traffic laws.

私の見るかぎり、空を見上げる者は皆無だった。

No one, so far as I could see, even looked into the sky.


そんなバカなと思うだろう。

I think you'll agree this is hard to believe.

戦時下である。

The Blitz was war.

爆弾が炸裂して、四方八方に飛びちる破片が直撃したら即死だ。焼夷弾が毎夜あちこちを燃えあがらせ、100万人が住む家を失っていた。

The exploding bombs sent deadly shrapnel flying in every direction. The incendiaries left a different neighborhood in flames every night. More than a million people lost their homes.

間に合わせの防空壕となった地下鉄駅には毎夜大勢の人が詰めかけ、外では爆撃機の轟音や爆発音、高射砲の発射音が響き、救急車や消防車のサイレンがひっきりなしに聞こえてきた。

Thousands crammed into makeshift shelters in subway stations every night. Outside, between the thunder of planes overhead, the thud of explosions, the rattle of anti-aircraft guns, and the endless wails of ambulances, fire engines, and warning sirens, the noise was unrelenting.

1940年9月12日の夜に実施されたある調査では、ロンドン市民の3分の1が前夜は一睡もできず、もう3分の1が眠れたのは4時間未満だったと答えた。

In one survey of Londoners, on the night of September 12, 1940, a third said that they had gotten no sleep the night before, and another third said they got fewer than four hours.

これがもしニューヨークだったら? 自分の働くオフィスビルが瓦礫と化す生活が2ヶ月半ずっと続く生活に耐えられるだろうか?

Can you imagine how New Yorkers would have reacted if one of their office towers had been reduced to rubble not just once but every night for two and a half months?








ロンドン市民のこの冷静な態度は、少々のことでは動じない「ジョン・ブル魂」の発露と言うこともできる。

The typical explanation for the reaction of Londoners is the British "stiff upper lip" -the stoicism said to be inherent in the English character. (Not suprisingly, this is the explanation most favored by the British themselves.)

しかし他の国でも、同じように激しい空襲下で住民は平然としていることがわかってきた。つまり空襲は、当初想定されていたような打撃を与えていないということだ。

But one of the things that soon became clear was that it wasn't just the British who behaved this way. Civilians from other countries also turned out to be unexpectedly resilient in the face of bombing. Bombing, it became clear, didn't have the effect that everyone had thought it would have.

この謎を解明したのが、カナダの精神科医J.T.マカーディとその著書『モラールの構造(The Structure of Morale)』だった。

It wasn't until the end of the war that the puzzle was solved by the Canadian psychiatrist J. T. MacCurdy, in a book called The Structure of Morale.







マカーディによると、爆弾を落とされた人は3つのグループに分かれるという。

MacCurdy argued that when a bomb falls, it divides the affected population into three groups.

ひとつは「死ぬ人」。

The first group is the people willed.

空襲体験で最悪の被害をこうむるグループだ。当たり前だが。

They are the ones for whom the experience of the bombing is -obviously- the most devastating. 

このグループに関して、マカーディはこう書いている。

But as MacCurdy pointed out (perhaps a bit callously),

「共同体のモラールは生存者の反応に左右される。ゆえに死者は関与しない。死体は走りまわってパニックを拡散しないのである」

"the morale of the community depends on the reaction of the survivors, so from that point of view, the killed do not matter. Put this way the fact is obvious, corpses do not run about spreading panic."



次が「ニアミス・グループ」である。

The next group he called the near misses:

爆風を受け、目の前で建物が破壊され、死体の山に恐れおののき、自らも負傷しながらも生命は失わなかったグループである。彼らは強烈な印象を受けている。

They feel the blast, they see the destruction, are horrified by the carnage, perhaps they are wounded, but they survive deeply impressed.

ここでの「印象」は空襲にまつわる恐怖反応を補強するものであり、その結果「ショック」を引き起こすこともある。この「ショック」も意味の広い言葉で、茫然自失、感覚麻痺、神経過敏、それに目にした恐怖が頭から離れないといったことがすべて含まれる。

"Impression" means, here, a powerful reinforcement of the fear reaction in association with bombing. It may result in "shock," a loose term that covers anything from a dazed state or actual stupor to jumpiness and preoccupation with the horrors that have been witnessed.



第3は「リモートミス・グループ」。

Third, he said, are the remote misses.

サイレンは聞こえるし、敵の爆撃機が上空を飛ぶのを見たし、爆発音も耳に飛び込んでくる。

These are the people who listen to the sirens, watch the enemy bombers overhead, and hear the thunder of the exploding bombs.

でも爆弾が落ちるのは通りをずっと行った先か、隣のブロックだ。

But the bomb hits down the street or the next block over. 

これを2度、3度と繰りかえすうちに、彼らが空襲体験で抱く感情はニアミス・グループとは正反対になる。

And for them, the consequences of a bombing attack are exactly the opposite of the near-miss group. 

それは「どこか不死身感の漂う興奮」だとマカーディは指摘する。

They survived, and the second or third time that happens, the emotion associated with the attack, MacCurdy wrote, "is a feeling of excitement with a flavour of invulnerability."

ニアミスは心身に深い傷を残すが、リモートミスは無敵感覚を植えつけるのである。

A near miss leaves you traumatized. A remote miss makes you think you are invincible.



大空襲をくぐりぬけたロンドン市民の日記や回想には、こうした現象を裏づける記述がたくさんある。

In diaries and recollections of Londoners who lived through the Blitz, there are countless examples of this phenomenon. Here is one:

初めて空襲警報が鳴ったときは、子どもたちを連れて公園の防空壕に逃げこみました。「このまま死んでしまうにちがいない」と思っていました。でも何ごともなく終わって防空壕を出たときは、「何があっても死なない」と思うようになっていました。

When the first siren sounded I took my children to our dug-out in the garden and I was quite certain we were all going to be killed. Then the all-clear went without anything having happened. Ever since we came out of the dug-out I have felt sure nothing would ever hurt us.

別の女性は、爆発で家が激しく揺れたときのことをこう回想している。

Or consider this, from the diary of a young woman whose house was shaken by a nearby explosion:

ベッドに横たわったまま、何ともいえない満ちたりた勝利感を味わっていました。「いま爆撃されてる!」そう何度もつぶやいていました。まるでおろしたてのドレスのぐあいを確かめるように。その夜はたくさんの人が死んだり、けがをしたりしました。だから不謹慎かもしれないんですが、あのときほど純粋で完全無欠な幸福感を味わったことはありません。

I lay there feeling indescribably happy and triumphant. "I've been bombed!" I kept on saying to myself, over and over again -trying the phrase on, like a new dress, to see how it fitted. "I've been bombed!..I've been bombed -me!" It seems a terrible thing to say, when many people were killed and injured last night; but never in my whole life have I ever experienced such pure and flawless happiness.



なぜロンドン市民は大空襲にもひるまなかったのだろう?

So why were Londoners so unfazed by the Blitz? 

ロンドンは800万人以上が暮らす大都会だ。それで死者4万人、負傷者4万6000人ということは、ニアミスで心身に傷を負った人よりも、リモートミスで強烈な高揚感を覚えた人のほうがはるかに多かったと言える。

Because forty thousand deaths and forty-six thousand injuries -spread across a metropolitan area of more than eight million people- means that there ware many more remote misses who were emboldened by the experience of being bombed than there were near misses who were traumatized by it.

マカーディは解説する。

MacCurdy went on.

私たちはただ怖がるだけではなく、怖がることを怖がってもいる。それだけに恐怖を克服すると気持ちが高揚する。

We are all of us not merely liable to fear. We are also prone to be afraid of being afraid, and the conquering of fear produces exhilaration....

空襲になったらパニックに陥ると思っていたのに、実際の場面では落ちつきはらった態度を周囲に見せることができて、なおかつ無事だった。

When we have been afraid that we may panic in an air-raid, and when it has happened, we have exhibited to others nothing but a calm exterior and we are now safe,

事前の危惧といまの安堵感の落差が自信につながり、それが勇気の源になったのだ。

the contrast between the previous apprehension and the present relief and feeling of security promotes a self-confidence that is the very father and mother of courage.



大空襲が最も激しかったとき、ボタン工場で働いていた中年の男性は疎開の打診を受けた彼の自宅には二度も爆弾が落ちていたが、そのたびに妻ともども助かった。男性は疎開を断った。

In the midst of the Blitz, a middle-aged laborer in a button-factory was asked if he wanted to be evacuated to the countryside. He had been bombed out of his house twice. But each time he and his wife had been fine. He refused.

「こんな経験、いままでになかったし、この先も二度とない。それをみすみす見逃せというのかい? 冗談じゃない!」

"What, and miss all this?" he exclaimed. "Not for all the gold in China! There's never been nothing like it! Never! And never will be again."

同じできごとなのに、心身に深い傷を受ける人もいれば、反対に幸福感や充実感で舞いあがる人もいる。ボタン工場の男性も、爆発の衝撃で揺れる家にいた女性も、胸がわくわくしていたはずだ。

The idea of desirable difficulty suggests that not all difficulties are negative.

MacCurdy's theory of morale is a second, broader perspective on this same idea. The reason Winston Churchill and the English military brass were so apprehensive about the German attacks on London was that they assumed that a traumatic experience like being bombed would have the same effect on everyone: that the only difference between near misses and remote misses would be the degree of trauma they suffered.

But to MacCurdy, the Blitz proved that traumatic experiences can have two completely different effects on people: the same event can be profoundly damaging to one group while leaving another better off. That man who worked in a button factory and that young woman whose house was shaken by the bomb were better off for their experience, weren't they? 

どう言いつくろってもこれは事実だ。ただ、そのとき彼らのなかに恐怖心は存在しなかった。だからこそ戦時下の耐えがたい生活を乗りきることができたのかもしれない。

They were in the middle of a war. They couldn't change the fact. But they were freed of the kinds of fears that can make life during wartime unendurable.

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私たちは開戦前のイギリス政府と同様、深刻な損害をもたらす不幸な出来事が、一種類の結果しか引きおこさないと思いこんでいる。

Too often, we make the same mistake as the British did and jump to the conclusion that there is only one kind of response to something terrible and traumatic.

だがそうではなく、結果にはプラスとマイナスの2種類が存在するのだ。

There isn't. There are two.



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出典:
マルコム・グラッドウェル『逆転! 強敵や逆境に勝てる秘密』
Malcolm Gladwell: David and Goliath: Underdogs, Misfits, and the Art of Battling Giants