2013年2月21日木曜日

「天国」には逃げぬ(ブッダ)



「天国」というのは、「逃げ場所」なのか?

少なくともブッダは、そうだと考えた。



ブッダの生きた時代のインドでは、「バラモン教」が広く知られていた。

その聖典によると、こう説かれていた。

この宇宙は梵天が中心になっていて、人は死んで火葬に付されると、その魂は煙に乗ってまず「月」の方へと上っていく。そして、月からさらに神の道をたどれば、「天国」へ生まれ変わることができる、と。



しかしブッダは、こうした天国志向を「逃避主義」として、真っ向から批判した。

そんな理想主義は捨ててしまえ。その代わりに、苦しみのこの現実世界にこそ、「楽土(天国)」を建設せよ、そうブッダは教えたのであった。






出典:大法輪 2013年 03月号 [雑誌]
「仏教は天国に生まれることを目指す宗教?」

2013年2月20日水曜日

何もせぬ間(ま)。世阿弥と現代



私たちは誰しも、「4つの間(ま)」に生きている。

それは「時間・空間・世間・人間」という4つの「間」である。



しかしながら現在、これらの「間」はギチギチに詰まってしまい、はなはだ息苦しく、居心地が悪くなってしまっている。

現代文明はあたかも「密度を高めることが進歩発展」と思い込んでいるかのようだ。あらゆる隙間は「ロスやムダ」として埋められていく一方である。



かつて能の世阿弥は、芸と芸との間の「何もしない間(ま)」を至芸とした。

逆に、演じすぎる芸を見苦しいとしたのである。

世阿弥の言う「何もしない間」とは、「せぬ隙(ひま)」とも呼ばれるものだ。



「せぬ隙」とは、芸を生かすための空虚の間、充実した空である。

この「せぬ隙」が芸にあることにより、能が抜群の生気を帯び始めるのである。






ところで現在、ギチギチに詰まってしまった4つの間(時間・空間・世間・人間)に、間を入れ、間のびさせ、遊びを入れようとする人たちもいる。

それはたとえば、落ちこぼれやニート、オタクなどと呼ばれる人々かもしれない。

そうした人々は、世間では「間抜け」とも蔑まれる。俗世のルールや価値観に従わず、日常の約束事も守らぬのだから…。



しかし、4つの間に隙間があってこそ、やっと人は息をつける。

「意味」でぎっしり詰め込まれた俗世に、「無意味」を忍び込ませることで、ようやく息がつけるのだ。

「せぬ隙」によって、能が生気を帯び始めるように、人々は間が抜けて初めて、生き生きとしてくる。



この世で、一番きれいなこととは?

「何がきれいといって、空っぽにまさるものはない」






出典:大法輪 2013年 03月号 [雑誌]
「空っぽ賛 藤原成一」

2013年2月19日火曜日

愛犬と大蛇と…。多賀大社に伝わる物語

「お伊勢に参らば、『お多賀』に参れ。

お伊勢はお多賀の子でござる」

そう俗謡に歌われる通り、多賀大社(滋賀県)の祭神は「イザナギ(男神)とイザナミ(女神)」。その夫婦の子供がアマテラス、伊勢神宮の祭神である。



「伊勢へ七度、熊野へ三度、お多賀さまへは月参り」

伊勢・熊野と並んで、多賀大社への参詣はかつて庶民たちで賑わったのだという。

そうした賑わいが描かれた、多賀大社の「参詣曼荼羅図(さんけい・まんだらず)」。そこには、多賀大社の位置する「犬上郡」という地名の由来についての物語も描かれている。






むかし昔、不知也(いさや)川のほとりには、一人の狩人が住んでいた。鹿やイノシシを射ることを生業とする猛々しい男だ。

ただ、その荒くれ男も、いつも狩りに連れていく「犬(小白丸)」ばかりは、とりわけ大切に可愛がっていた。



ある日、鳥籠山(とこのやま)で鹿を追っていたその狩人は、奇岩だらけの淵を下るうちに、日が暮れてしまった。

しかたなく、朽ち木の根元で一夜を明かそうと思った男は、弓矢を揃え置き、愛犬・小白丸(こじろまる)を傍らに眠りに就いた。



ところが深夜、小白丸が突然はげしく吠え始めるではないか。

男がいくら宥めても、叱りつけても、ますます吠え狂う小白丸。

思わずカッとなってしまった男。腹にすえかねて刀を抜くと、あろうことか、小白丸のクビを跳ね飛ばしてしまった…!



暗闇に飛んだ小白丸のクビ。

それは男の頭上の大枝に食らいつき、そして落ちた。

ん? 落ちた愛犬のクビがくわえている大枝をよく見ると、それは枝ではなかった。「大蛇」であった。



きっと、この樹上の大蛇は、狩人を狙っていたのであろう。

幸いにも愛犬・小白丸のクビは、その大蛇のノドにがっちりと噛みつき、大蛇を即死させていた…。

その健気な愛犬のクビを見るや、狩人は大いに嘆き、そして悲しんだ。



のちに男は、その場に祠(ほこら)を建て、命を救ってくれた愛犬・小白丸を神として祀る。

この祠の名が「犬神明神」。それがそのまま地名となる(犬神郡、現在は犬上郡)。

ちなみに、その淵は「大蛇の淵」、その川は「犬上川」と呼ばれている。



こうした絵説法は、多賀大社の僧侶(坊人)たちによって語り継がれてきた。

坊人たちは、こうした物語の描かれた「参詣曼荼羅図」を携えて全国各地を行脚し、その先々で多賀大社にまつわる話を語り聞かせて歩いたのだ。

紙芝居のような坊人たちの話は、行く先々でたいへんな評判になったそうである。






出典:大法輪 2013年 03月号 [雑誌]
「神と仏の物語 多賀明神」

2013年2月18日月曜日

何度も何度も蘇る。「生田神社」



「神戸(こうべ)」という地名は元々、同地に昔からある「生田神社(いくた・じんじゃ)」に由来するのだという。

平安時代に著された「新抄格勅符抄」には、「大同元年(806)、神社に奉仕する封戸である神戸(かんべ)四十四戸が朝廷より与えられた」との記述が見られる。

この地一帯を社領としていた神戸(かんべ)が、時代を経て紺戸(こんべ)になり、ついには「神戸(こうべ)」になったというわけだ。



なるほど、神戸は「生田神社」あっての地であったわけだ。

では、その生田神社の由来はというと、遠く神功皇后(じんぐう・こうごう)にまでさかのぼる。日本書紀などによれば、神功皇后は妊娠したまま新羅(朝鮮半島)にまで出兵したという勇ましさを持つ。

ちなみに、神功皇后に攻められた新羅は、戦わずして降伏。ついで朝鮮半島の残りの二国(百済、高句麗)をも日本の支配下に入ることとなる(三韓征伐)。



その神功皇后が瀬戸内海を通り、大和へと帰る途上であった。今の神戸あたりで船が進まなくなってしまったのは。天候の変化で風がなくなり、潮の流れも止まってしまい、人の力ではどうしようもなくなってしまったのだった。

この苦境に登場するのが「稚日女尊(わかるひめのみこと)」。この女神は文字通り、稚(おさな)くみずみずしい日の神。地上に生まれた万物を守り、その成長を加護する神である。



この女神は言った、「活田(いくた)に居りたい」と。

その通りに女神をお祀りすると、翳っていた天候は回復。風が生まれ、潮が流れ始めて、めでたく神功皇后の船は大和へと帰り着くこととなる。

女神・稚日女尊が居りたいとおっしゃた「活田(いくた)」、それが今の生田(いくた)神社ということだ。



延喜式によれば、生田神社には各地から稲が集められて、神職によって「酒」が造られたことが記されている。瀬戸内海に面したこの土地は、新羅から海を渡って訪れる使者に酒をふるまっていたのだという。それが灘(なだ)五郷の酒造りの起源となる。

ところが延暦十八年(799)、生田神社は山全体が崩壊するほどの「大洪水」に見舞われてしまう。

現在の生田の森は、その大洪水の折りに、御神体を安全な場所に移したところなのだという。つまり、生田神社の移転は、先人たちから伝わる重要な「防災のメッセージ」なのでもあった。



ちなみに、現在の生田の森には「松の木」が一本もない。

それは、延暦の大洪水のとき、社の周囲に植えられていた松の木が、洪水を防ぐのにまったく役に立たなかったから、それ以後、決して松の木が植えられなくなったからなのだそうだ。

今でも、元旦には門松は立てずに、「杉飾り」を立てているほどの徹底ぶりである。



生田神社の受難は、この大洪水ばかりではない。

その後、何度も何度も天災、そして人災に見舞われる。



第二次世界大戦の最末期(1945)、アメリカ軍による神戸大空襲。市街地は絨毯爆撃の標的となり、都市部の2割以上が壊滅。死者は8,831人、負傷者は15万人という未曾有の大被害を受けた(計128回もの空襲)。

むろん、生田神社もその無差別な爆撃を免れることはできなかった。社殿も鳥居もすべて全焼。残ったのはわずかな石垣だけだった…。

黒焦げの焼け跡となってしまった境内は、焼け出された市民の避難所になり、日々の糧を得るための芋畑となった。仮の本殿はしばらくはバラック作り。再建された本殿が今のかたちに整うまでには、じつに14年もの月日を必要とした。



そして18年前の阪神大震災(1995)、せっかく復興を果たした本殿はまたもや全壊。

それでも生田神社は蘇った。

「今、生田の森をバックに甍(いらか)をそびやかす朱の拝殿こそ、あの日燃えた神戸の『復興のシンボル』であるのは紛れもない」。



何度でも蘇り、何度でも生まれ変わる生田神社。

その主神である稚日女尊(わかるひめのみこと)は、先述したように、つねに若々しく新しい命をもつ女神。万物が育ち、生い立つのを加護する神である。

やはり、この蘇りの神の力であろうか、何度でも生田神社が生まれ変わるのは…。



現代の世においても、なお崇敬を集める生田神社。

盛者必衰の理(ことわり)をものともせずに、この神社は今も変わらず、市民たちから親しまれる祈りの場として受け継がれている。






出典:大法輪 2013年 03月号 [雑誌]
「航海に祈りをこめて 瀬戸内に臨む神仏 生田神社」

2013年2月17日日曜日

「整った体」とは?



「身体を整える」というのは、どういうことか?

そのためのキーワードは「中心に集めること」だと言うのだが…。



「整った体」は力が中心に集まって充実している。

その反対に、疲れれば疲れるほど、力は外側へ逃げていく。



そのようにして疲れが溜まって、中心から逃げてしまった力は、本来であれば休息や睡眠をとることで元に戻るはず。

しかし、疲れが溜まりすぎてしまうと、「整体」などの力を借りる必要も出てくる。



「体を整える技術としての整体は、まず、中心にあるはずの力がどこに逃げているのかを見極めます」

そう語りるのは、整体師の「谷澤健二(たにざわ・けんじ)」先生。

「そして、体のあちこちにある急所を刺激することで、逃げている力を末端からドンドン集めて、中心に戻していくのです」



たとえば、腰へ力を戻すために足先の急所を使うこともあれば、腕の急所を使ってお腹を変化させることもあるという。

「ですから例えば、ヒザを痛めて来院された患者さんのヒザを、まったく触らないということもよくあります」と谷澤先生。

一般的な西洋医学であれば、腰が痛ければ腰を、ヒザが痛ければヒザを診るのが普通であろう。しかし整体では、「逃げている力を中心に戻すこと」を最大の目的にして全体的なバランスを整えるのだそうな。



「中心に力が戻ると、体は自然治癒力を発揮して、勝手に治っていきます」と谷澤先生。

どこか痛いところがあったとしても、必ずしもその部分が悪いとは限らないのだという。

「薬に頼らずに、体が自力で乗り越えていくことで、筋力や持久力ではない、本当の意味での体力が養われるのです」



ちなみに、中心に力が集まっている体とは、「腰にバネのような弾力があり、無駄な力が抜けている状態」だという。

はたして、あなたの腰には「弾力」が十分に保たれているだろうか?





ソース:1日1分1体操だけ! 腿裏を伸ばせばカラダが変わる!