2014年12月12日金曜日

木挽頭の一念 『火天の城』より



山本兼一「火天の城」より






 天正五年(1577)の正月は、静かに明けた。新春とはいえ、湖国はまだ冬めいた気候で、北から重い雲のたれ込める日が多い。安土でも、ときに雪がちらつく。そんな日は、墨で描いた山水画の世界にいる錯覚をおぼえた。

 又右衛門は、到来物の赤かぶの漬け物を持って、浜の木場をたずねた。木挽頭(こびきがしら)の庄之介は、飛騨山中の生まれでこれが大の好物である。



「まこと、よい材木がそろうたな。悔しいが、飛騨の檜(ひのき)より上物じゃ」

 いつ訪れても、庄之介は木曾檜の話からはじめた。よほど、気に入ったらしく、八間の大丸太のそばに掛け小屋を作り、いつもそこで丸太を眺めていた。

 大鋸(おが)くずの火で手をあぶり、麦湯を飲み、赤かぶを食った。又右衛門と同じ申年(さるどし)生まれの庄之介は、なんの気負いも衒(てら)いもなく、ただ木だけを見つめて生きている男だ。どの材木をどこに使うべきかには、庄之介の助言が欠かせない。

「正直なところ、わしはあの丸太を見とると、逃げだしとうなるんじゃ」

「そんなものかな。どうしてだ」

「木目を数えてみたのよ。いっとう太いのが2,583本、あとの二本が、2,467本と2,432本だ。年輪の数でいえばな、もっと太いのを挽いたこともある。それでも、この檜は特別だ。まるで違うとる」

「やはり、御神罰が気にかかるか」

 大丸太が、伊勢神宮の御備木(おそなえぎ)であることは、庄之介に話してある。

「そのことではない。御遷宮に使うかどうかは、所詮、人の世で決まったこと。木に関わりはない。それより、これを見てくれ」

 取り出したのは、六尺四方はある大きく薄い雁皮紙(がんぴし)だ。そこに、髪の毛ほどの線で、同心円が隙間なく描いてある。円と円の間隔は、わずか一厘か。

「木口に紙を当て、年輪を写し取ったのだ。どこぞに歪みでもないかと目を凝らしたが、そんなものはありゃせん。おそろしいほど丸い。ただただ、ひたすらどこまでも丸いのだ。信じられるか、これが」

 檜の年輪の丸さより、それを克明に写し取った庄之介の執念に、又右衛門は感嘆した。

「凄いな」

「おそろしいほど素直でまっすぐな木だ」

「いや、檜ではない。おぬしの一念だ」

「そんなもの、あの檜に向き合うには、屁のつっぱりにもならぬ。一寸百目のこの線で言えば、わしらの一生は、わずか五分じゃ」

 庄之介と話していると、又右衛門はいつも愉快になる。心がときほぐされる気がしてくる。常人が見落とすなにかを、この頭(かしら)はいつも見すえている。

「これだけきちんと丸い檜だ。柱にして、もすもわずかでも柾目(まさめ)がゆがんでおれば、どんな言い訳もきかぬ。すべて、わしのせいだ。わしの心胆が曇っておるせいだ。八間の長材、よほど腹をすえてからでなければ、とてものこと挽(ひ)けぬな」

 又右衛門は頭をさげた。庄之介の意地がありがたかった。

「柱立ては夏のつもりだ。まだ時間があるゆえ、ゆっくりやってくれ」

「親柱は、三本でよいのか」

「三角に立てれば天主は歪まぬ。案ずることはない」

「なら、折れた一本はどうする。仕口で継ぐのか。せいぜい五間か六間にしかならぬだろうが」

「それで頼む。こんど届いた朽木谷(くつきだに)の松はどうだ。すこし脂(やに)が多い気がするが...」

 いくら話しても、木の話は尽きない。庄之介は、自分が見た木のすべてを記憶しているようで、又右衛門が、あの時のあの木は...、と水を向けると、その木を挽いたときの大鋸(おが)の感触まで、鮮明に語るのだった。

「そうだ。このあいだ柿を挽いたら、黒柿であった。珍品だ。まだ見せてなかったな」

 黒柿は、茶室の炉縁に珍重される。使えば信長がよろこぶだろう。銘木ばかり保管してある場所に見に行くことにした。


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出典:山本兼一「火天の城




美と沈黙 [小林秀雄]


〜話:小林秀雄〜


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美は人を沈黙させます。

どんな芸術も、その創り出した一種の感動に充ちた沈黙によって生き永らえて来た。どの様に解釈してみても、遂に口を噤むより外にない或るものにぶつかる、これが例えば万葉の歌が今日まで生きている所以である。つまり理解に対して抵抗して来たわけだ。

解られて了えばおしまいだ。解って了うとは、現物はもう不要になるということです。


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言霊を信じた万葉の歌人は、 言絶えてかくおもしろき、と歌ったが、外のものにせよ内のものにせよ、言絶えた実在の知覚がなければ、文学というものもありますまい。


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出典:小林秀雄「栗の樹」