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2017年4月21日金曜日

わたしは決してピアノを選ばない[リヒテル]





”わたしは決してピアノを選ばない”

スヴャストラフ・リヒテル




2017年4月17日月曜日

和時計[菊池昌宏]


不定時法腕時計(和時計)



from:THE HOMEPAGE OF MASAHIRO KIKUNO HANDMADE WATCHES

  2011年、日本人時計師・菊野昌宏が開発・製作に成功した「不定時法腕時計(和時計)」は、12の干支が書かれた駒(インデックス)が季節の変化に伴って自動的に移動する「自動割駒式和時計(じどうわりごましきわどけい)」です。

 不定時法とは、夜明けと日暮れ(昼)、および日暮れと夜明け(夜)までの間を6等分し、それを一刻(いっとき)とする時刻の表示機構ですが、日の出と日の入りの時刻が季節によって変化するため、一刻の長さは日々、変化していきます。江戸時代に日本で製作された和時計は、これに対応するため、季節ごとに干支の間隔が異なる文字盤に交換したり、移動式の駒を手動調整する機構などを開発しましたが、菊野昌宏が製作した「不定時法腕時計(和時計)」はかつての和時計を参考に、この機構を腕時計サイズにまで凝縮した世界初の腕時計です。この機構における駒は、夏至では昼の駒の間隔が広がり、夜の駒の間隔が狭まります。冬至では逆に、昼の駒の間隔が狭まり、夜の駒の間隔が広がります。

 また、この時計にはブルースチール仕上げされた不定時法針の他に、通常の時分針も装備され、定時法による正確な時刻も同時に読み取れるように配慮されています。










2017年2月15日水曜日

バッハと庖丁、達磨





話:齋藤孝

…

バッハは、どうしたらそんなにうまくオルガンが弾けるのかと訊かれて、

「楽譜どおりに定められたタイミングで、定められたところに指を置くだけ」

と言ったという逸話が残っています。いま置くべき位置に置くべき指を置く。つぎのタイミングでも置くべき位置に指を置く。ひたすらこれを積み重ねていくことがすばらしい演奏につながる。一つ一つの鍵盤タッチだけを考え、後のことも先のことも考えない。

…

『荘子』に庖丁(ほうてい)という料理の名人の話が載っています。彼の刀は19年使っても刃こぼれがしなかったといいます。肉の筋にそってすすーっと求められるがままに切るので、まったく力が入らず、刃こぼれがしなかったからだそうです。

頭で考えずに、瞬間瞬間に求められるがままに手を動かしているゆえのことです。

…

達磨(だるま)は、

「外に所縁(さまざまな因縁)を止(とど)め、内に心が喘(あえ)がぬこと、心は牆壁(しょうへき、囲い)のようになって、はじめて道に入ることができる」

と説いています。達磨から数えて六代目の祖(六祖)慧能(えのう)も、外に向かって心の思いが起こらないのを「坐」と言い、自分の内側に本性を見て動じないのを「禅」と言うと定義しています。

不動の壁を見つづけることで、外に向かっていた心が内に向かい、何事にも動じない不動の心になり、雑念や妄念に惑わされない境地に落ち着いていく。自分があたかも壁のようになり、自分が壁を見ているのか、壁が自分を見ているのかわからなくなる。

達磨の「壁観(へきかん)」を柳田聖山氏は、

「壁が観(み)るのである、壁を観るのではない。壁となって観るのである。何を観るのか、空を観るのである」

と説いています。





…


出典:声に出して読みたい禅の言葉




2017年2月7日火曜日

百人一首[スペイン語]






CIEN POETAS,
CIEN POEMAS
百人一首(スペイン語版)

翻訳: Jose Maria Bermejo, Teresa Herrero



Emperatriz Jito
持統天皇

Se fue la primavera
y ha llegado el verano:
¡ mira las blancas ropas 
de seda soleándose
sobre el celeste Kagu!

春過ぎて夏来にけらし白妙の
衣ほすてふ天の香具山



Abe no Nakamaro
阿倍仲麿

Alzo los ojos y contemplo
la llanura del cielo,
y la luna es la misma que ahora asoma
sobre el monte Mikasa
en las lejanas tierras de Kasuga.

天の原ふりさけ見れば春日なる
三笠の山に出でし月かも



Ki no Tomonori
紀友則

En la serena luz
de un sol siempre radiante
en los días primaverales,
¿por qué las flores nuevas del cerezo
se dispersan como agitados pensamientos?

久方の光のどけき春の日に
しづ心なく花の散るらむ








『沈黙』[Martin Scorsese]







The less you know about the other person's culture, the more you fear.
他者の文化を知らなければ知らないほど、あなたは彼らに恐れを抱くだろう。

The more you fear, the more there's violence.
そして、恐れれば恐れるほど、暴力につながっていく。

And here, it's total clash.
ここ(この映画)では、完全に衝突してしまっている。

And one has to give to the other.
どちらかが相手に譲らなければならないのに。


映画監督 Martin Scorsese
マーティン・スコセッシ






「映画の原作は、遠藤周作による歴史小説。江戸時代、キリスト教弾圧下の日本を訪れた宣教師の苦悩をとおして、信仰とは何かを問いかけています」





「自然のなかに直線はない」[Hundertwasser]


Friedensreich Hundertwasser
フリーデンスライヒ・フンダートヴァッサー
1928-2000

彼のデザインした「ウィーン市の住宅施設」
Wohnhausanlage der Gemeinde Wien







フンダートヴァッサーは言う。

"In der Natur gibt es auch keinegeraden Linien"
自然のなかに直線はない

「フンダートヴァッサーは自然を愛し敬ったことで知られる芸術家。彼は常々『自然のなかに直線はない』と語り、自らの作品からも機械的な直線をできるだけ排除しました。この建物にある曲線や不揃いのモチーフ、カラフルな配色は、彼にとってまさに自然や生命の象徴なのです」

「確かにこれ、ウィーンの街並みの建造物のところに、緑があり木があり、そして少しずつグラデーションで変わっていくんですね。なんか、どれ一つとっても、窓の形も全部ちがうから、一人一人の人間の個性がここにあらわれているみたいです」

「その奇抜さゆえに批判もうけたフンダートヴァッサーですが、今ではウィーンを代表する芸術家として世界中の人に愛されています」




出典:NHK「旅するドイツ語」




2016年10月5日水曜日

2016年8月24日水曜日

芸術は「みんなのもの」[岡本太郎]



芸術は完成するまでは "作家のもの" だが

できあがった瞬間から "みんなのもの" だ






「いいな」と思ってもいいし

「なんだこんなもの」と悪口言ったっていい



芸術とはそんなものだ

道端の石コロと同じなんだよ



岡本太郎






2016年5月9日月曜日

正身端座、懸腕直筆 [田邉古邨と吉田鷹村」



話:吉田鷹村


…


わたしが(田邉古邨に)入門を申しでたとき、最初に言われたのが

「一生やるか」

というお言葉でした。思わず

「はい」

と答えて、それから今日まで70年以上つづけてきたわけです。50年ちかく師事してきました。







(田邉古邨)先生の指導は

「正身端座(しょうしんたんざ)」

「懸腕直筆(けんわんちょくひつ)」

といって、体をグッと正して筆をまっすぐに立て、歴代の諸々の古典、漢字では楷書、行書、草書、それに日本の仮名をひたすら臨書する、という方法です。



半紙をわきに積んで、きれいな水を硯(すずり)に落として墨をする。

そこで気持ちをととのえて、毎日4〜5時間、黙々と書きつづける。

それを4年ほど徹底してやりました。



どのくらい続けたころからか、書いていくうちにフッと自分というものを忘れて、ただ筆が動いていく感覚になることがありました。

いま考えると、禅の修行そのものなんです。

しかも、非常に立派な人が書いた古典を手本として臨書するわけですから、みずから古人の情操の追体験ということになります。そんなとき、「書によって自分というものを自分で一段高いところに持ちあげることができるんだ」という実感をもちましたね。

古人の性情をくみ、みずからの性情をたかめ、豊かにすることが大切なんです。



…







引用:致知2016年6月号
吉田鷹村「94歳、まだ前進せねば」




2016年5月7日土曜日

「画を望ば我に乞うべし」 [曾我蕭白]







画を望ば我に乞うべし

絵図を求んとならば円山主水よかるべし

曾我蕭白(そが・しょうはく)

本当の絵を求めるなら、私に頼め
ものを写すだけでよければ、応挙でよかろう








2016年4月30日土曜日

「近藤勇」と土門拳



話:長谷川如是閑


主観性と客観性


写し手の主観性や、カメラの機械性が踊りを踊っている写真を私は好まない。

文楽の人形使いは、人形を躍らせるが、自分は踊らない。見せるものは人形であって、人形使いではないからである。







写真も同じわけで、写し手の主観性の優秀さは、いかに客観性を示すかにかかっているのである。

土門拳君の写真は、優れた主観の眼をもっていると同時に、われわれの平凡な主観の眼を盗み取ったかと思われるような眼をもっている。

達人の口から聞く平凡な言葉の味、

そういったものが、土門君の写真にはあると思った。










話:土門拳


…


肖像写真にかぎらず、いい写真というものは、写真家の主観に感銘するのではなくて、写真化されたところの、モチーフの真実が見るものの胸を打つのである。つまり写真におけるリアリティの問題である。


…


モチーフのリアリティをつかむためには、総ての機械的な技術の条件を、写真家の主観によらずに、モチーフの持つ客観的な条件に至上命令権を与えること、

「三本の皺のあるおでこ」は、三本の皺のあるおでことして、決して三本の皺を二本にしたり、ないものにしたりすることではなしに、ライトを考えなければならないということにする。

「尖った頬」も、尖った頬なりにすらりと瓜実の頬にするということなしに、カメラ・アングルを決定しなければならない。



社会的に写真が最も大事な条件は、その写真における写真家の主観的な解釈ではなしに、その写真がAならAという男の写真であるということである。

いわば路傍の水たまりが、空の電線や流れる雲を写すように、

Aという男の顔が写っていることが大事なのである。

つまり写真家の主観を一切ぬきにして、Aという男のつめたい機械的な記録であればあるほど、その一枚の写真の価値は深く広いということである。


…


幕末頃の写真に新撰組のテロリスト、近藤勇の全身座像がある。

虎徹であろうか、長刀を左膝に引きよせて、神経質な顔でこちらを睨みつけているその写真は、このテロリストの風貌を今日に伝えてあますところのない立派な肖像写真である。







この近藤勇の肖像を誰が撮ったかぼくは知らないが、これを撮った人にせよ、あるいはナダールにせよ、写真初期の肖像写真は、総てが実に優れたリアリスティックな肖像写真であることは、今日のぼく達に深く考えさせるものがある。

それは一体なぜであろうか。



写真術発明の初期においては、レンズも感光材料も非常に幼稚で不便なものだった。

当時の写真家はもちろん、時代の尖端を行く進歩的な知識人だったが、モチーフたる人物に対する解釈をどう写真化するかというよりは、何よりもまず写るか写らないかということが一大事だった。何とかして写そうという機械的な科学的な操作だけでせい一杯だった。

写される方も自分の姿を写真として残そう、写されようとしてむきになっていた。されば近藤勇のように、虎徹を膝に引きよせて何十秒も息を殺して、レンズを睨みつけていたのだった。

主観とか解釈とかそういう抹消的な思いつきが問題ではなく、撮る者も撮られるものも、写るか写らぬか、つまり記録という機械的、技術的操作の中に一体となってしがみついていたわけだった。



像はすなわち形である。つまりその生きた姿を、生きた形を如何に残すか、ということで必死だったわけだった。

明治頃、写真を撮られると寿命が縮まるという俗説が生まれたのも、写真というものが、生きた姿をそのままに写し撮るということ、それだけにまた撮られた者の生きた姿が、つまりは生命がうすれるという恐怖をあたえたにちがいなかった。

撮る者、つまり写真家の主観的な解釈などというものは、問題にすらなかった。写真術発明の初期においては、リアリズム以外に写真というものはあり得なかったのである。








2016年4月29日金曜日

「撮りすぎる」土門拳



話:土門拳


…


大体ぼくは昔から撮りすぎる癖がある。写真のやりはじめ、日本工房にいたときも、

「土門君、フィルムを使いすぎるよ。もう少し倹約しても、いい写真が撮れないものかね」

と編集長の飯島実さんからしょっちゅう文句をくったものだ。



そんな時ぼくは

「ライフのマーガレット・バークホワイト女史は一週間出張すると、手札判、6×6判、ライカ判こきまぜて3,000枚も撮ってくる。その3,000枚の中からたった15枚か20枚厳選して編集するから、ライフはいいグラフができるのだ。それにくらべたら、ぼくの撮る枚数なんかものの数ではない」

と言い返した。







「それはライフのような世界的大資本だからできるので、日本の小さな出版社でライフ並にやられたら、たちまちつぶれてしまうよ」

と飯島さんも負けずに言い返した。そう言われればまさにその通りで、ぼくは「日本的条件」にベソをかいて屈服するほかなかった。

それでもやっぱりぼくの撮りすぎる癖は、くびになるまで直らずに続いた。



…



昔、ドイツにマルチン・ムンカッチという偉い報道写真家がいた。ナチスに追われてニューヨークに渡った。はじめはライフの仕事などもしたが、後にはほとんどハーパース・バザーなどモード雑誌の仕事を主にやっている。

或る時ムンカッチは、当時アメリカ第一の人気女優だったクローデット・コルベールのイヴニング姿を撮ることになって、彼女の家の二階に待たされていた。待つほどに、着付けのすんだコルベールが彼の前に現われて、

「お待たせいたしました。では、早速撮影お願いいたしますわ」

と言った。するとムンカッチは

「もう撮影はすみました。どうも有難うございました」

といって、さっさと帰ってしまった。コルベールが呆気にとられたことはいうまでもない。



実はコルベールが彼の待っている二階へ向かって庭を横切ってくるときに、たまたま二階のバルコニーに出ていたムンカッチは、4×5判のアンゴーで上からパシャリと一枚撮ったのだった。

その一枚だけで、撮影はおしまいなのだった。

やがてハーパース・バザーには、一面の芝生の庭をコルベールがイヴニングの白い裳裾をひるがえしてさっそうと歩いている。素晴らしく動的なモード写真が一頁大に発表された。

その写真はモード写真の歴史の上でも画期的な写真となったし、ムンカッチの鮮やかな撮りっ振りも有名になった。







昔のぼくは、この話に感激した。自分の撮りっ振りは是非そうありたいと思った。

一枚、ドンピシャ

それこそが理想だと思った。ムンカッチはその時分のぼくの偶像だった。

しかし相変わらず、もう一枚、もう一枚という、にぶい、しつっこい撮りっ振りから抜けられなかった。ついに今日に至るまで、ムンカッチの方法論はぼくのものにならずじまいである。



雑誌のグラフでぼくに撮られる文化人は、

「土門君の撮影はしつっこいからね」

とか

「時間がかかるからね」

とみんな閉口頓首するのがならわしだ。なかには梅原龍三郎みたいに、籐椅子を叩きつける人まで現われた。そしてぼくはすっかり嫌われ者になってしまった。少なくともリアリズム以前のぼくはそうだった。

絶対非演出主義の今の撮りっ振りは、昔ほど文化人たちを苦しめなくなったはずとは思うが、撮る枚数はふえこそすれ、減りはしない。



…





引用:「フォトアート」昭和31年1月号