2014年3月22日土曜日

外国人に意味不明。安倍首相の英語「積極的平和主義」


話:ジェラルド・カーティス


 安倍首相の語る英語には、非常に誤解を招きやすいものが多いのです。ぼくが一番気になる、というよりも早くやめてほしい表現は、「積極的平和主義」。これはもう、非常に誤解を招く言い方なのです。

 これを日本の外務省、官邸がどう英語に訳しているかというと、「積極的」が「proactive」、「平和主義」は「pacifism」。2つを足して「proactive pacifism」。これは英語としては全くノンセンスで、「何の意味?」ということになる。

 「pacifism」は「武力を使わない」という意味です。安倍さんは、できれば外交問題を平和的に解決したい気持ちはあるに違いない。しかし、絶対武力を使ってはいけないとも思っていない。自分の国が侵略されそうになったら、たとえば中国が尖閣諸島を獲ろうとしたら、やはり日本は武力を使いますよね。国を守るために武力使用が必要であるからこそ、日米同盟がある。アメリカは日本を守るために、必要であれば核兵器まで使うというのが日米同盟でしょう。「pacifism」ではないのです。

 ですから、その意味の「積極的平和主義」ならば、「proactive pacifism」ではなくて、「proactive peaceful diplomacy」でしょうね。ただ、これもまた意味のない言葉です。世界のどの国も、できればピースフルに問題を解決したい。そして、どうしようもない場合に、必要に武力・軍事力を使う。そのことを言うだけだったら、「proactive pasifism」だの「積極的平和主義」などと、あれほど言い続ける必要はないのです。




出典:10ミニッツ TVオピニオン
ジェラルド・カーティス(コロンビア大学政治学教授)
いまアメリカが日本に問う(2)誤解を招きがちな首相の表現・言語



2014年3月11日火曜日

最も完全な構成をなす『サンスクリットの50文字』



 サンスクリット語のアルファベットは、その構成が理想的で、”50の文字”から成り、その各々の発音は一定不変である。

 ジョージ・バーナード・ショーは、例のウィットに富んだ調子で、ラテン語を基本にした英語のアルファベットの表音上の不完全さをいみじくも指摘し、「そこでは26の文字が、音の表現を果たしきれずにもがいている」と述べている。

 彼はまた、「英語に新しいアルファベットを導入するためなら、いかなる文化的闘争も辞さない」と強調して、42文字から成る新しいアルファベットの採用を提案している(Wilson "Miraculous Birth of Language" の序文)。そうなれば、50文字で構成されている完全なサンスクリット語の表音体系にかなり近づくことになる。



 インダス河の渓谷から発見された印形は、サンスクリットのアルファベットがセム語から取り入れられた、とする多くの学者たちの説をくつがえそうとしている。最近、モヘンジョダロとハラッパーにおいて、2〜3の古代ヒンズー都市の遺跡が発掘されたが、それらは、われわれがわずかに想像できるにすぎない有史以前のころに、インドの土地にすぐれた文化の歴史が存在していたことを物語っている。

 もし大昔、この地球上にきわめて進んだ文明時代が存在した、というヒンズーの所説が正しいとすれば、世界で最も古い言葉であるサンスクリットが”最も完全な構成”をなしているという理由もうなずけることになる。

 アジア協会の創立者、ウィリアム・ジョーンズ氏は、「サンスクリットの起源が何であれ、それはまったく見事な構成をなしており、ギリシャ語よりも完全で、ラテン語よりも豊富で、また、そのいずれよりも優美に洗練されている」と語っている。



 サンスクリットの語源”Sanskrita”は、”洗練された、完全な”の意。サンスクリットは、インドやヨーロッパのどの言語よりも古いとされる。

 そのアルファベットの字体は”デーヴァナーガリ(神のすみか)”と呼ばれている。古代インドの偉大な哲学者パーニニは、サンスクリットのもつ数学的、心理的完全さを賞賛して「わが文法を知る者は、神を知る者である」と言っている。

 言語の源をあくまで追求していけば、最後には、宇宙のすべてを知ることになるのかもしれない。




引用:『あるヨギの自叙伝』訳注より


2014年3月10日月曜日

写真に写らぬ大師のおからだ [ヨガナンダ]



話:パラマハンサ・ヨガナンダ

 大師(ラヒリ・マハサヤ)は、写真を撮られるのがひどくお嫌いのようであった。あるとき、大師の反対を押し切って、ロイ氏を含む何人かの弟子たち(devotees)が、大師を囲んで写真を撮った。

 ところが、それを現像してみると、驚いたことに、弟子たちの姿はみなはっきりと写っているのに、ちょうど中央の、ラヒリ・マハサヤ大師の姿の写っているべき場所だけ空白(a blank space)になっていた。この現象は広く人々の話題になった。

 弟子の一人でガンガ・ダールという、名の知られた写真家は、これを聞くと、いかに大師の姿がとらえにくくても、自分なら必ず写して見せると公言した。翌朝、彼はカメラを携えてやって来た。大師はつい立てを背にして、瞑想の姿勢(lotus posture)で木のベンチにすわっておられた。ガンガ・ダールは、あらゆる周到な準備をして、なんと12枚も撮影した。

 だが、現像の結果は同じだった。そのどれにも、木のベンチとつい立ては写っていたが、大師の姿(master's form)は、またしても消えていた。すっかり面目を失ったガンガ・ダールは、悄然として涙を流しながらラヒリ・マハサヤ大師の前に出た。大師が、長い沈黙を破って彼に意味深い言葉をかけられたのは、かれこれ数時間もたってからであった。

「わたしは霊(spirit)だ。お前のカメラは偏在の見えざる霊(the omnipresent invisible)をも写すことができるのかね?」

「いいえ、それは存じております、聖なる大師様。しかし私は、神の宮(the bodily temple)としてのあなたのおからだの写真がどうしても欲しいのでございます。私は、きょうまで未熟のため、そのおからだがかくも完全な霊の宮であることを知らなかったのでございます」

「では、あすの朝来なさい。写るようにしてやろう」

 翌朝、この写真家は、再びカメラの焦点を合わせた。聖なるみ姿(the sacred figure)は、今度は神秘の幕(mysterious imperceptibility)に遮られることなく、くっきりと原板に写った。大師が写真の撮影に応じられたのは、私の知るかぎり、後にも先にもこの時だけである。




出典:『あるヨギの自叙伝』パラマハンサ・ヨガナンダ


乳児のころの記憶 [パラマハンサ・ヨガナンダ]


話:パラマハンサ・ヨガナンダ


 私は、乳児のころに味わわされた"やりきれない屈辱感(the helpless humiliations)"を、今でも覚えている。

 まだ歩くこともできず、思う事を自由に表現することのできなかった私は、いらだたしさによく腹を立てた。そして、肉体の不自由さ(my bodily impotence)を意識するにつれて、祈りの本能(prayerful surges)が大波のように湧いてきた。私の心の中には、強烈な感情を表現しようとするいろいろな言語が入り乱れた。こうした不自由さから来る内的混乱(inward confusion)を味わいながらも、私の耳はしだいに、まわりの人たちの話すベンガル語に慣れていった。

 乳児の心の中には、おもちゃや、たわいもない遊びに熱中するほかに、大人には想像も及ばぬ領域(the beguiling scope)があるのである。心理的不満と肉体的不自由さは、しばしば私を強情な泣き虫(obstinate crying-spells)にした。家族たちが私のかんしゃく(distress)をもてあまして途方に暮れていたのを、今でも思い出すことができる。

 乳児のころの記憶(memories of infancy)を断片的ながらもはっきりともっている例は、珍しいことではない。私は方々の国々に旅をして、誠実な人たちがそのころの思い出を語るのをよく耳にした。




 引用:『あるヨギの自叙伝』 パラマハンサ・ヨガナンダ


2014年3月7日金曜日

”一枚の葉っぱ” 安田靫彦


言葉:日本画家、安田靫彦(ゆきひこ)

「何年かかってもいいでしょう。

 自分を出そうとしなくても、見た感じを逃さぬように心掛けてゆけばその都度ちがう表現となって、いつの間にか”一枚の葉っぱ”が手に入りますよ。

 一枚の葉っぱが手に入ったら、宇宙全体が手に入ります」




2014年3月6日木曜日

風幡心動(ふうばんしんどう)


話:鈴木大拙



はじめの問答はどういうことかというと、一般に”風幡心動(ふうばんしんどう)”ということを言っている。

広東の市に出て来られると、ある寺で坊さんが涅槃経を講ずるというのである。仏教の経典でもだいぶ大切なお経の一つであるが、寺院には幡(はた)がよく立っている。ことに日本でも曹洞宗の寺院になると幡が立っているのを見る。その幡が風で動く。すると寺の前で坊さんが議論を始めた。

「幡(はた)が動くのか、あるいは風が動くのか」

というような塩梅に。よく鐘が鳴るのか、撞木がなるのかというが、それと同じように、風が動くのか、あるいは幡がうごくのかと、非常に議論をやっておった。

するとそこに六祖(慧能)が出て来て、「それは幡が動くのでもなければ風が動くのでもなくして、これは汝の心が動ずるのである」ということを言われたという話がある。

これを”風幡心動(ふうばんしんどう)”と言って伝わっているのである。





出典:『禅とは何か』鈴木大拙

2014年3月3日月曜日

現場ありき [原丈人]


話:原丈人


 父から聞いた話ですが、労働争議が非常に激しかった昭和30年代、父は電力会社からエアコンの売り込みにあった際、本社ではなく、真っ先に”工場”に設置したそうです。その理由は、

「いちばん暑いところで働いているのは工員だ。本社の社員や役員は、扇風機があって涼しく仕事をしているのだから、エアコンなんかなくていい」

ということでした。私は、それを聞いたとき、「当然だ」と思ったのですが、その次に父が発した言葉がいまでも頭から離れません。

「工場を働きやすくすると、会社は儲かり、経営者にとっても社員にとっても幸せにつながる」と。

 父は発想が変わっていて、社用車にクーラーを設置するときも役員の社用車ではなく、トラックからクーラーを設置しはじめました。それも工場にクーラーを設置した理由と同じです。父は

「現場がいちばん欲しいことをするのが経営者だ」

ということをしきりに言っていました。





引用:原丈人『だれかを犠牲にする経済は、もういらない


2014年3月2日日曜日

敗者への敬意 [野々村直通]


話:野々村直通


 たとえばメジャーリーグでは、ホームランを打った打者が派手なガッツポーズをしながらベースを一周すると、次の打席で頭部へのデッドボールを狙われると聞きます。対戦相手への敬意を欠くことで、倍返しされるわけです。

 私が高校野球の監督だったとき、ヒットを打って拳を突き上げて喜ぶ選手には、厳しく怒っていました。自分だけで打ったのではない。みんなが打たせてくれたのだ、と。もちろんスポーツでは、瞬間的に体で喜びを表現してしまうことがあります。だから、選手たちには「ガッツポーズはベルトよりも低い位置でしなさい」と指導していました。

 自分自身の態度にも気をつけていました。私は監督として、夏の甲子園の島根県予選で7回優勝しています。優勝直後にはメディアのみなさんから「グラウンドで胴上げを」とリクエストされます。もちろん私にも思い切り喜びたい気持ちはあります。それでも、胴上げはすべて断ってきました。

 なぜなら、グラウンドには敗れたチームがまだ残っているからです。最後の甲子園を目指して努力してきた対戦校のことを考えると、彼らの目の前で胴上げをすべきではないし、それがスポーツマンシップだと思いました。私が胴上げされることで良い写真を撮れるかもしれません。しかし、写真に写らない部分には、悔し涙を流している選手がいるのです。





 出典:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2014年 3/13号 [雑誌]