2019年5月15日水曜日

『澄む月のひかりに』 スッタニパータ 毎田周一 序


話:毎田周一


『澄む月のひかりに』
スッタニパータ
毎田周一





二千五百年前の釈尊にまの当り接する術のない私達にとって、在りし日のその優しい懇篤な力強いそして威厳に充ちたお声を耳にする如き経集(スッタ・ニパータ)の偈頌(ガーター)は、世にも貴重な仏教の文献である。

親鸞聖人がこれを見られたら、「夫れ真実の教を顕はさば則ち経集是れなり」と叫ばれたに違ひない。又私は道元禅師がこれを手にされて、「慈父大師釈迦牟尼仏」と驚喜されることをさへ思ふ。

歴史的仏陀をこれほどに明らかにする経典はないからである。それは現代の仏典である。西欧の学者たちが誠実に巴利(パーリ)の資料を探索した結果、遂に発掘した宝玉にも比すべきもの。基督教では福音書に相当するであらうか。



経集(スッタ・ニパータ)は巴利(パーリ)経律論三蔵のうち、経蔵五部ニカーヤの小部(クッダカ・ニカーヤ)に属し、五章より成る仏教最古の文献である。散文の部分は後世の附加であるが、ガーターはこれ以上に遡ることの出来ない最古層に属する。

いま私はその第一章と第四章とを選んで訳した。前者を序曲、後者を本曲として、この二章のみで経集(スッタ・ニパータ)の面目を充分に伝へ得ると思ったからである。

四行の詩は四行に、二行の詩は二行に、原典の行数に従った。それは何よりも詩である。従ってその簡潔な表現から限りない含蓄を読みとらねばならぬ。この世の穢れに染まぬ、正に世を超えし人の言葉として、それは「澄む月のひかり」にも似ている。以て本書の題名とせる所以。



第一章は仏教の全貌を直観的に示してそこへ私達を導入し、第四章は仏教の核心を論理的に示してそれを私達に徹せしめるともいふべきであらうか。

なほ第二・第三章は序曲としての第一章に提示された種々の主題のより以上の展開、第五章は本曲としての第四章の補充の意味をもつが、これらを略してここに訳出せるもののみで、経集(スッタ・ニパータ)の本質と骨格とは充分に表はされ、釈尊と仏教とを知るに余すところのない資料といひ切ることが出来る。



私は巻末に解説ならざる解説を「平常底の仏法」と題して附加した。

それは逐条的ないはゆる解説ではない。しかし私はそこで此の経集(スッタ・ニパータ)に於ける釈尊の説法を「平常底」として受けとめるの外、受けとめやうがないことをいはんと欲したのである。つまりそれは私の領解である。

経集(スッタ・ニパータ)の無限に深い人生に対する示唆を、如何なるカメラ・アングルで捉へるかは、それぞれの人の主体の問題である。私の主体の奥がどのやうにその教説によって剔抉されていったか。その過程の報告であるともいへよう。

否、それにもまして私はそこで釈尊の生ける「無」の姿に直接する、新鮮な喜びを、読者と共にせずには居れなかったのである。



※なほ翻訳は巴利聖典協会刊、アンデルゼン及びヘルマー・スミス編の「スッタ・ニパータ」を底本とした。



昭和38年12月23日
訳者しるす



『澄む月のひかりに』
スッタニパータ
毎田周一

2019年5月2日木曜日

「わたし」とは、川の流れが生じる模様のようなものなのだ【レイ・カーツワイル】


話:レイ・カーツワイル





わたしは誰? わたしはなに?


宗教なんて、犬のスマイルみたいなもの…
哲学なんて、つるつるする岩の上を散歩するようなもの
宗教なんて、霧の中の光みたい…

――エディ・ブリケル(英国出身の女性ボーカリスト)
「ホワット・アイ・アム」


意識と関連がありながら、また別の問題となるのが、われわれのアイデンティティである。個人の精神のパターン――知識や技術、人格、記憶など――を、他の基板にアップロードできる可能性については前に述べた。その結果生まれた新しい存在は、わたしそのもののように振る舞うだろうが、そこに問題が生じる。

それは本当にわたしなのだろうか?

画期的な寿命延長のためのシナリオのいくつかは、われわれの身体と脳を構成するシステムやサブシステムの再設計と再構築を必要とする。この再構築を行うと、わたしはその過程で自己を失うのだろうか? この問題もまた、今後数十年の間に、時代がかった哲学的対話から、差し迫った現実的課題へと変貌していくだろう。

では、わたしとは誰なのか?

たえず変化しているのだから、それはただのパターンにすぎないのだろうか? そのパターンを誰かにコピーされてしまったらどうなるのだろう? わたしはオリジナルのほうなのか、コピーのほうなのか、それともその両方なのだろうか? おそらく、わたしとは、現にここにある物体なのではないか。すなわち、この身体と脳を形づくっている、整然かつ混沌とした分子の集合体なのではないか。


だが、この見方には問題がある。わたしの身体と脳を構成する特定の粒子の集合は、じつは、ほんの少し前にわたしを構成していた原子や分子とはまったく異なるものなのだ。

われわれの細胞のほとんどがものの数週間で入れ替わり、比較的長期間はっきりした細胞として持続するニューロンでさえ、一か月で全ての構成分子が入れ替わってしまう("How Do you Persist When Your Molecules Don't?" Science and Consciousness Review 1.1 June 2004)。

微小管(ニューロンの形成に関わるタンパク質繊維)の半減期はおよそ10分である。樹状突起中のアクチンフィラメントに至っては約40秒で入れ替わる。シナプスを駆使するタンパク質はほぼ1時間で入れ替わり、シナプス中のNMDA受容体は比較的長くとどまるが、それでも5日間で入れ替わる。

そういうわけで、現在のわたしは一か月前のわたしとはまるで異なる物質の集合体であり、変わらずに持続しているのは、物質を組織するパターンのみだ。パターンもまた変化するが、それはゆっくりとした連続性のある変化だ。

「わたし」とはむしろ川の流れが岩の周りを勢いよく流れていくときに生じる模様のようなものなのだ。実際の水の分子は1000分の1秒ごとに変化するものの、流れのパターンは数時間、ときには数年間も持続する。

つまり、「わたし」とは長期間持続する物質とエネルギーのパターンである、と言うべきだろう。





2018年7月9日月曜日

「ネットフリックスの株は『神』と同じ」【The Economist】


From: The Economist July 6 2018




“If Jesus were a stock, he’d be Netflix,”

one savvy investor is said to have observed.


“You either believe or you don’t.”



ある名うての投資家は「ネットフリックスの株は神と同じ。信じるか信じないかのどちらかだ」と述べている。





2018年6月24日日曜日

惜敗率日本一と「アサガオの話」【野田佳彦】


From:
素志貫徹
内閣総理大臣 野田佳彦の軌跡
松下政経塾 (著)







惜敗率日本一の落選


1994(平成6)年4月、細川護煕(ほそかわ・もりひろ)が首相を辞任した。6月には、自由民主党、日本社会党、新党さきがけによる連立政権が発足。次回の選挙から小選挙区制が導入されるため、そのままでは不利になる小さな政党は、合流して新党を結成する流れとなった。

野田佳彦(のだ・よしひこ)が所属していた日本新党は、自由改革連合、民社党、新生党などとともに、新進党を結成した。こうして迎えた1996(平成8)年10月の衆議院選挙で、野田は国政二期目を目指し、新進党から出馬した。

野田の選挙区の千葉4区で、自民党からは田中昭一が立候補していた。野田の地道な活動に対する評価に、反「自社さ」政権の票を加えれば、さほど厳しい戦いとは思えなかった。しかし、この選挙区に、鳩山由紀夫や菅直人らが結成した旧「民主党」から立候補者が出たのである。反「自社さ」票が割れることが予想された。



開票率99%の時点で、野田は210票ほどリードしていた。

「当選確実」という報道も流れたため、メディアが事務所に来はじめていた。しかし、「残票が1%あるみたいですから、もう少し待ってください」と落ち着かせた。ちなみに「残票」とは、疑問票のうち、有効か無効かが一回では判断できずに残しておいた票のことだ。

残票の確認を終えた結果は、野田の逆転負けだった。

その差は、105票。惜敗率は、99.9%。惜敗率とは、負けた候補者の獲得票数を、最多得票者の獲得票数で割って算出する。数値が100%に近いほど「惜しかった」度が高いことになる。その選挙での野田の惜敗率は、全国一だった。

選挙区に立候補した候補者は、比例区に重複立候補していれば、惜敗率の高い順に比例復活するのだが、野田は重複立候補していなかったのだ。



しかし、「大敗」も「惜敗」も、敗北は敗北、落選は落選であった。

これは後でわかったことだが、疑問票のなかに、「野田佳彦」の名前とともに、「頑張れ」「祈る必勝」「毎朝、街頭ごくろうさま」「年金問題がんばってください」といった、手紙のような投票用紙がたくさんあったのだ。このような投票用紙は「他事記載」といって無効になってしまうのだ。

駅前演説などの、野田の地道な活動を知っている人たちの、野田に対する応援の気持ちが裏目にでてしまった。



当時の野田は、

「本当に負けた気がしない敗北です。しかし、これも天命と受け止めざるを得ません。いま、西郷南洲(隆盛)の次のような遺訓をかみしめています。

『人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽くし人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし』

やはり、私の思いがほんのわずか、有権者に伝わらなかった部分が敗因です」

と語っている。






落選後の浪人の日々


それから3年8ヶ月、野田は浪人生活を送った。

苦しかったのは、「何でこんな負け方をしたのか」と納得できなかった点だ。一万票や二万票の差があれば、負けたことを実感し、どこが悪かったのかを反省して、「次こそ頑張ろう」と思える。しかし、野田に大きな期待をかけてくれた人たちの票が無効になってしまい、ほとんど勝っていた選挙で負けてしまった。

「なんで俺はこんな負け方をするのか」というのが腑に落ちず、もやもやしていた。「松下(幸之助)さんは、『運はある』と言ってくれたのに、なんで俺はこんなに運がないんだ」と。このように思い悩んでいるときが、いちばん悔しいときだった。

「一人ひとりを大切に」「一票一票が大事だ」と口では言っていた。しかし、本当にそれがわかっていたのだろうか。「あのとき、もう少し強くお願いしていたら、50票ぐらい増えたのかな」「あの人に、もっと強くお願いしたほうがよかったな」「あそこでは、ちょっと遠慮してしまったな」などと、くよくよ考えた。



ストンと腹に落ちたのは、一年ぐらい経ったときだった。それは、倫理法人会の集いに行って「アサガオの話」を聞いたときのことだ。

「アサガオが、早朝に可憐な花を咲かすにには、何がいちばん必要か?」

という問いかけがあった。

野田は、

「いちばん必要なのは、太陽の光だろう」

と思って聞いていた。が、その講師は、

「あえて、いちばん必要なものといえば、その前夜の闇と冷たさである」

と話した。それは、女性のアサガオ研究者の話を引用したものらしかったが、野田は、「これはアサガオの話じゃない、自分のことだ」と感じた。



夜の闇を知ってはじめて、明かりが嬉しいと思う。

冷たさを知ってはじめて、ぬくもりが嬉しいと思う。



このときの落選まで、野田は選挙で負け知らずだった。自分なりに苦しい思いで戦っていたが、大きな挫折を経験したことがなく、闇や冷たさが大事であることは知らなかった。

「そのことに気づくために、こんな負け方をしたのではないか」

と思ったのだ。そして、松下政経塾の『五誓』を思い出した。

『万事研修の事』

すべてのことが師になり、どんな経験も教訓になる、という教えだ。「そうか、この負け方こそ『万事研修』の一つなんだな」ということが実感できた。そして、この時期、松下幸之助や政経塾のことをよく思い出した。



この浪人時代がいちばん苦しかったのだが、同時に、最も人情の機微に触れた時期でもあった。

野田はのちに、「負けて良かったとは言えないが、すごく大事な経験をさせてもらった
と語っている。





From:
素志貫徹
内閣総理大臣 野田佳彦の軌跡
松下政経塾 (著)



「ピンクの机」とアインシュタイン【野田佳彦】


From:
素志貫徹
内閣総理大臣 野田佳彦の軌跡
松下政経塾 (著)







今年はじめ、ある新聞の投書に目がとまりました。

ある小学校の図工の授業で、机の絵を描いたそうです。生徒はみな、机を茶色で描きましたが、一人の少女だけが「ピンク色」の机を描きました。

そうしたら、先生にこっぴどく叱られて、泣きながら家に帰ったという、少女の祖母の投書でした。

これを読んで、とても悲しい気持ちになりました。こんな教育をしていたら、日本からピカソみたいな芸術家は絶対に生まれません。



10年ほど前にも、似たような新聞の投書がありました。

テストで「雪がとけたら何になる?」という問題が出されました。答えは水。しかし、ある少女は「春」と答えました。雪国に住む子どもだったのかもしれません。でも、答案用紙には「X」がついていたそうです。



「ピンクの机」を描いた子も、「春になる」と答えた子も、いずれもユニークかつ素敵な感性の持ち主ではないでしょうか。でも、子供の個性や創造性は、いっさい評価されないのが、現状の教育です。





野田はまた、千葉県の高校における「退学者数の増加」にも心を痛めている。(中略)学業不振や学校不適応などが主な原因であるが、なかには、たった一教科の単位を落としたために留年し、最終的に中途退学になってしまった生徒もいたという。

野田は、物理学者のアインシュタインが子供のころに、理科と音楽以外の教科がまったく駄目だったという話を挙げて、

「もし、アインシュタインが本県の公立高校に通っていたならば、はたして進級・卒業できるでしょうか?」

と、画一的な教育に疑問を呈している。そして、「さらば平均点、伸ばせ個性の芽」をスローガンにして、たびたび教育問題に斬り込んでいったのだ。





From:
素志貫徹
内閣総理大臣 野田佳彦の軌跡
松下政経塾 (著)