2018年6月7日木曜日

「カーツワイル朗読機」との出会い【TED】




ロン・マッカラム
Ron MacCallum
私の読書を可能にした技術革新
How technology allowed me to read




 1974年にアメリカのレイ・カーツワイルが 本をスキャンして読み上げてくれる機械を 作り始めました
In 1974, the great Ray Kurzweil, the American inventor, worked on building a machine that would scan books and read them out in synthetic speech. 

当時のOCRは単一のフォントでしか 正しく動作しませんでしたが CCDのフラットベッドスキャナと 音声合成の組み合わせにより どんなフォントにも対応する機械を作ったのです
Optical character recognition units then only operated usually on one font, but by using charge-coupled device flatbed scanners and speech synthesizers, he developed a machine that could read any font. 

洗濯機のように大きな彼の機械は 1976年1月13日に発売されました
And his machine, which was as big as a washing machine, was launched on the 13th of January, 1976. 

1989年の3月に 商用化されたカーツワイル朗読機に 初めて触れた私は驚きました
I saw my first commercially available Kurzweil in March 1989, and it blew me away, 

1989年の9月に私はモナシュ大学の 法学部で準教授として 指名されたタイミングで 法学部は私が使えるようにと 導入してくれました
and in September 1989, the month that my associate professorship at Monash University was announced, the law school got one, and I could use it. 

生まれて初めて 本をスキャナーに置くだけで 読めるようになったのです
For the first time, I could read what I wanted to read by putting a book on the scanner. 

人々に親切にする必要はなくなりました! (笑)
I didn't have to be nice to people!








2018年6月2日土曜日

心は世界を「逆さま」に映す


心は世界を逆さまに映す。

われわれはその像を見て、常ならざるものを常と、楽ならざるものを楽と、「われ」と「わがもの」ならざるものをそれらと見、浄らかならざるものを浄らかだと錯覚している。

この「逆さまの見方」〈顛倒〉が苦をもたらす。





From:
ブッダの言葉



野田佳彦の「素志」


From:
素志貫徹 内閣総理大臣 野田佳彦の軌跡
松下政経塾







「わたしは政治を変えたい。知恵と体力のかぎりを尽くして」

これは、松下政経塾の卒塾提言発表会において、野田佳彦青年が発した最初の言葉である。いわば、かれの素志である。

本書は、地盤・看板・カバンなしの一青年が、文字どおり徒手空拳で政治に挑戦し、日本の内閣総理大臣になっていったプロセスを紹介している。





松下幸之助塾主がご存命であれば、

「かつてない難局は、かつてない発展の基礎となるものである」

とお話になるであろう。





「演説の名手」といわれている野田は、この演説(民主党代表選挙)で、みずからをドジョウにたとえた。

「わたしの大好きな言葉、相田みつをさんの言葉に、

『どじょうがさ、金魚のまねすることねんだよなあ』

という言葉があります。ルックスはこの通りです。わたしが仮に総理になっても支持率はすぐ上がらないと思います。だから、解散はしません。ドジョウはドジョウの持ち味があります。金魚のまねをしてもできません。赤いべべを着た金魚にはなれません。

ドジョウですが、泥臭く国民のために汗をかいて働いて、政治を前進させる。円高、デフレ、税制改革、さまざまな課題があります。重たい困難です。重たい困難ではありますが、私はそれをしょって立ち、この国の政治を全身全霊をかたむけて前進させる覚悟であります。

ドジョウかもしれません。ドジョウの政治をとことんやり抜いていきたいと思います」

開票作業がはじまり、みなが固唾を呑んで見守っていた。





From:
素志貫徹 内閣総理大臣 野田佳彦の軌跡
松下政経塾



山崎闇斎、最大の楽しみ[心の砥石]



From:
菜根譚講話 新訳
荻原 雲来






むかし会津藩主・保科侯がある日、藩の山崎闇斎(やまざき・あんさい)に向かい、

「先生は何をもって此の世の楽しみとなさるか」

と尋ねた。闇斎はしばらく考えたうえで、

「わたしに楽しみとするものが三つあります。一つは萬物の霊長たる人間と生まれたこと、二つは文治の天下に生まれて自由に書を読み、道を学ぶことのできること、三つは楽しみのなかの最も楽しいことでありますが、これは憚りあって申し上げかねまする」

と答えた。保科侯はそれを聞き、

「ぜひとも、その最大の楽しみを申してみよ」

といわれるので、闇斎は形を改めて、

「それでは申し上げますが、他でもありません。卑賤に生まれて大名に生まれたなかったことが、楽しみのなかの最も大なる楽しみでございます。

その理由は、大名の御殿のなかに生まれ、幼少のころから婦人の手でそだち、御側近侍の者どもから何事も御意(ぎょい)にかなうよう、御無理(ごむり)御尤(ごもっとも)と崇めたてまつられるから、事の善悪も物の道理も少しも知らず、自分ほど偉いものはないように思い、生まれつき賢明な君も、のちには東も西も知らぬような馬鹿殿様になってしまいます。

それに比べると、われわれ下賤の者は、上役からも同役からも、始終叱言(こごと)や忠告をうけるおかげで、是非善悪の何事たるかもわきまえ、自然と身を修め才を磨くことになります。人間としてこれほど有益なことはありません。それで私はこれを楽しみの第一としております」

と答えたので、保科侯も「なるほど」と感心されたという話がある。







「良薬は口に苦く、忠言は耳に逆(さから)ふ」

『菜根譚』に云う、

耳中常聞逆耳之言
耳中(じちゅう)常に逆(さから)ふの言を聞き

心中常有払心之言
心中(しんちゅう)常に心に払(もと)るの事あらば

纔是進徳修行的砥石
纔(わず)かに是(こ)れ進徳修行的(の)砥石なり


From:
菜根譚講話 新訳
荻原 雲来



2018年5月30日水曜日

中村元と『ソフィーの世界』


From:
仏教学者 中村元 求道のことばと思想
2014/7/24
植木 雅俊 (著)





それは、1991年の10月9日のことであった。その翌日の午後、出先で携帯電話が鳴った。妻の眞紀子からだった。緊張した声で、「中村先生が亡くなられたみたい」と告げた。86歳であった。





中村は、自らの最期について1986年に出版された『学問の開拓』に、

「わたくしは死の寸前まで机に向かい、自分のほそぼそとした研究をまとめ続けたいと願っている。筆をもったままコトリと息絶えれば、学者として、それはそれで本望であろう」(81頁)

と綴っていた。まさに、その通りの学者として本望の姿であった。



『ソフィーの世界』に学ぶ


中村の密葬が、10月12、13の両日にわたって行なわれた。

会場正面の向かって右側に、サールナートで発掘された穏やかな表情の初転法輪坐像」の写真(表紙カバーの写真)が掲げられ、その左側に左斜め前向きで合掌する中村の写真があった。中村の依頼で写真家の丸山勇氏の作品を引き伸ばしたもので、中村が初転法輪坐像に向かって合掌している構図になっていた。

会場では、アメリカから来日していたイナダの姿を見つけて驚いた人が多かった。筆者が、中村の病状を逐一知らせていたことで、駆けつけてきたと聞いて、「植木さん、ケンによく知らせてくれた。ケンとはもう三十年来、音信不通になっていた」と東洋大学教授(当時)の川崎信定(かわさきしんじょう)が喜んでくれた。イナダと同じ年齢の三枝も再会を喜んだ。





告別式で棺の中に花を添える時、中村の胸にヨースタイン・ゴルデル著『ソフ
ィーの世界』が置かれていた。

その理由を三木純子にうかがって、中村の学問に対する姿勢を改めて教えられる思いがした。その思いを本間に伝えると、「植木さん、それを書いてください」と言われ、『仏眼』に次のようにしたためた。



生涯求道の中村元先生を悼む

印度学仏教学の世界的大家、中村元博士が10月10日に亡くなられた。86歳であった。前号で紹介したように7月に決定版「中村元選集」を完結させたばかりであった。一つの大きな山を越えたことでホッとしたところへ、この夏の猛暑。8月末に体調を崩し、病床に臥す毎日だった。前号の記事「決定版r中村元選集』の完結に寄せて」を家族の方々が喜んで下さり、先生の枕元に置いて記念撮影をされたと、長女の三木純子さんからうかがった。恐縮の限りである。

10月12、13の両日、アメリカから駆けつけたケネス·K·イナダ博士夫妻をはじめ、三枝充悳、前田專學、奈良康明、川崎信定、田村晃祐(たむらこうゆう)、森祖道(もりそどう)博士ら、中村先生の教えを受けた人たちをはじめ、東方学院関係者、身内の方々で密葬が行なわれた。

式では中村先生が日ごろから日課として朗読していた「依文三帰(さんきえもん)」と「生活信条」を参加者全員で唱和した。その「生活信条」の全文は次の通りである。

み仏の誓いを信じ 尊い御名をとなえつつ、強く明るく生きぬきます
み仏の光をあおぎ 常にわが身をかえりみて 感謝のうちに励みます
み仏の教えにしたがい 正しい道をききわけて 誠のみのりをひろめます
み仏の恵を喜び 互いにうやまいたすけあい 社会のためにつくします

その一言一句を噛みしめながら朗読した。卓越した学者でありながらも、どこまでも謙虚で、慈愛溢れる中村先生の人柄の秘密の一端を垣間見る思いであった。

40歳にして初めて難解なサンスクリット語を学び始めた私に、中村先生は人生において遅いとか早いとかということはございません。思いついた時、気がついた時、その時が常にスタートですよ」と励ましてくれた。それは、中村先生自身の信条でもあったのだ。

30年近く前に出された「選集」に満足せず、大幅増補·改訂されて決定版「選集」を完結させた。80歳の時の年初の講義で「今年は9冊本を出します」と言って、本当に分厚い本を9冊出した。二百字詰め原稿四万枚がなくなって、8年がかりで作り直した『佛教語大辞典』の話は有名だ。中村先生は、「やり直したおかげで、ずっといいものができました。逆縁が転じて順縁となりました」と語っていた。その『佛教語大辞典』についても、晩年には「まだまだ手を入れたいところがある」とも口にしていた。





中村先生は、文字通り最後の最後まで研究の集大成に挺身しておられたのだ。告別式で奥様の洛子夫人が、「主人は、自分の何よりも好きな勉強を生涯続けられて幸せだったと思います」と一言挨拶した。短いが、生涯求道の中村先生のすべてを物語っている言葉だった。

お別れの時、開かれた棺の中の先生の胸の上にはヨースタイン・ゴルデル著、池田
香代子訳『ソフィーの世界』(上·下)が置かれていた。





中村先生と『ソフィーの世界』――その組み合わせがなかなか理解できなかった。「何でだろう?」。長女の三木純子さんにうかがうと、中村先生のお孫さんが持っていたその本に興味を示し、中村先生はお孫さんから借りて愛読していたそうだ。検査入院の時や、地方に出かける時、純子さんが、「荷物は何を入れますか?」と尋ねると、いつも

「筆記具と『ソフィーの世界』」

というのが答えだったという。純子さんは, 「父が読みかけだったようなので、 "向こう“でゆっくりと読めるようにと考えて、棺に入れてあげました」と話してくれた。ペーパーバックのカバーは少し擦り切れていた。哲学を分かりやすく書いたものとして、話題になった書である。

中村先生は、日ごろから「分かりやすく説くのは通俗的で、わけの分からぬような仕方で説くのが学術的であるかのように思われているが、これはまちがいだ。分かりやすく説くのが学術的なのだ」とよく話されていた。この本についても、「これからの学者は、このように子どもや一般の人にも分かるように書かねばならない」「ワシも勉強せねばならぬ」と話されていたという。

中村先生がこの書を愛読されていた事実を知って、改めて中村先生の学問への態度を教えられた思いである。

この精神を継承することが中村先生への追善となろう。
中村先生のご冥福をお祈り申し上げます。

一九九九年十一月一日
合掌
(『仏眼』1999年11月15日号)



池田香代子の涙の感動と驚き


この記事を、『ソフィーの世界』の翻訳者である池田香代子に、逸早く知らせたくて郵送した。そして、池田からメールが届いた。11月28日のことだった。それは中村の誕生日に当たり、中村の納骨の日であり、メールを受信したのは、その納骨が行なわれている時刻であった。

そのメールには

『佛眼』をお送りくださり、ありがとうございました。なんだろうと思ってページを繰っていき、ご文章に行き当たって、ほんとうに驚きました。とっさに、涙があふれました。このような大碩学が、晩年、あの入門書を楽しんでくださり、行く先々にお持ちまわりになったとは。この本にたずさわった一人として、生涯、光栄に存じます。しかも、遠い旅立ちに、ほかにいくらでも、それこそいくらでもおありだろうに、あの本を故人にお持たせになったご家族のやさしいお心、故人とご家族の深い愛の絆を思って、ご家族もまたすばらしい方々だと感じ入りました。

中村元氏は、私は直接ご本を読むような器ではありませんが、サンスクリットの詩のご翻訳は昔から拝見していました。友人にサンスクリット学者がおり、「日本には中村元しかいない」と常々言っていました。『ソフィーの世界』の編集者と監修者は、中村氏がお亡くなりになったとき、お噂をしていたそうです。その二人にもすぐさま電話で植木様のことを伝え、電話口でそれぞれに涙ぐんでしまいました。

池田香代子

と記されていた。





From:
仏教学者 中村元 求道のことばと思想
2014/7/24
植木 雅俊 (著)