話:古猫
勝軒これを聞きて曰く、
勝軒はこれを聞いて質問した。
何をか「敵なく我なし」といふ。
敵もなく我もないとは、どのようなことを言うのでしょうか。
猫曰く
古猫は次のように言った。
我あるがゆえに敵あり。
心の中に我があるから敵があるのです。
我なければ敵なし。
我がなければ敵はないのです。
敵といふは、もと対待の名なり。陰陽水火の類のごとし。
敵というものは、もともと相対するものの名称です。陰陽とか水火という種類のものです。
およそ物、形象あるものは必ず対するものあり。我が心に象(かたち)なければ対するものなし。
およそ物という物、形象のあるものには、必ず相対するものがあります。ところが、もし自分の心に何らかの象(かたち)がなければ、相対するものはありません。
対するものなき時は比ぶるものなし。これを「敵もなく我もなし」といふ。
相対するものがない場合は、比べるものもありません。これを敵もなく我もないと言うのです。
心と象と共に忘れて潭然として無事なる時は、和して一なり。
相手も自分も両方を忘れてしまって、深く静かに何事もない状態のときは、すべてが和して一つなのです。
敵の形をやぶるといへども我も知らず、知らざるにはあらず、ここに念なく、感のままに動くのみ。
たとえ敵の形を破ったとしても自分ではわからない。いや、わからないのではなくて、そのことに意識を留めることがなく、ただ感ずるままに動いているのです。
…
引用:佚斎 樗山『猫の妙術』
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