2014年4月22日火曜日

銅羅ひと打ち [鈴木大拙]


話:柳宗悦


 ある日日差しのよい秋のことであったが、差し込む日光を浴びつつ、その室で先生(鈴木大拙)と話をしていた時、たまたま来客の報らせがあった。絶えざる来客に悩まされている先生は、少し迷惑そうな顔をされた。

 野暮くさい身形をした通訳を伴って、西洋の婦人がまもなくその室に入ってきた。先生は「何御用かなあ」と英語で尋ねられた。すると、その婦人は「仏教のことをお伺いに上がりました」と答えた。

 その時、先生はすぐ仏壇のほうに向き直られて、朱塗りの握り手のあるバイ(打ち棒)を取って、いきなり備えつけてある平銅羅をひと打ちされた。この銅羅はとても良い音のする一個で、往年文庫のために私が京都で幸運にも探し出したものなのである。もとより静寂な丘上の文庫に急に余韻のある音が響き渡った。

 その時、先生はまた客のほうに向き直られ、「お聞きなさい、ここに仏教がある」と、ただ一言簡単に答えられた。響きが静かに余韻を残しつつ消えて行った時、その婦人はこの応答に気を奪われてか、何も言わず、ただ「サンキュー」といって、軽く会釈した。この瞬間の光景はなかなか劇的で、私には忘れ難い印象として残った。

 その婦人は、この会話であとは何も言わず、そこそこに辞して行った。何という名の人であったか、また何国人だったのか、そんな事は私も覚えていないが、その折の鐘の響きと先生の一語とが耳の底に残って、今も離れぬ。




引用:
「“かけがえのない人" 鈴木大拙先生のこと」柳宗悦


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