この頃、難波の北なる里に、つきぬき井(突き抜き井戸)といふをなせり。
まづ、その所を定めて、鉄の鉾の径一寸(3cm)あまり、長さ三丈(3m)、重さ二十四貫(90kg)なるを、一本づつ突き下し、四本をつぐ。その間に底の岩を三重つきぬく。深さ十丈(30m)ばかりにて、また岩(かなぶた)に当たるをとかく突き抜き、泉脈を得たりとて、鉾を抜き上ぐれば、泉(みず)地上へ六七丈(20m前後)ばかりほとばしる。その勢、水弩をもって弾きあげるよりも激し。
これ旱魃の備えなりとぞ。一簣(ふご)の土をも取らずして、九原底(地の底)の水をひき上ぐること、いかなる機知よりたくみ出せるぞと驚かる。
さて、つらつらおもふに、旱を救うは大なる益なれど、さほどめでたき技とも覚へず。
地中に水あるを知りて、水脈を通ずる所まで掘って得る水が、天の与へたまふ水なり。何にても天より与へたまふ外(ほか)に人の智力を用いて取り出すは、天の恵みを不足におもふなり。天の恵みを不足におもはば、天の心にいかにおもひたまふべき。
今、この突き抜きの技は、水脈の通ふところを越えて、地の底に幾重も抜くまじき岩(かなぶた)の隔(へだて)を、智力をもって無理に突き抜けて、得まじき水をあぐるなり。
さて、水は下へ下へと下がるが水の天性なり。今この涌水は地上より空に上がるは水の変なり。変をなすは水の自然に逆ふなり。されば、いったん利益を得ることありとも、ついにはその害を得ることあるべし。
また、これを羨みて国々にこれをせば、なおいかなる禍かあらんと、安からずおもふより、思ふところを書きつくるなり。博物の君子、この定めして、僻(ひが)ごとならば捨てよ。もし採るところもあらば、よく潤飾して世に伝へ諭さんことをねがふのみ。
引用:『民間さとし草』加藤景範
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