2016年9月23日金曜日

「筋違を入れるのは愚かなことです」[西岡常一]



話:西岡常一





在来工法でやっておけば、筋違(すじかい)はないほうがよろしいんです。

あのね、筋違というのはどういうものかというと、桁(けた)があるでしょ。そして柱が立ってるでしょ。在来工法でいけば柱石があって、柱石と柱石のあいだは壁を受けるために狭間石がずっと置いてある。と、どこでも筋違(すじかい)が入りますわな。

ところが、これが地震でゆがむとしなさい。下がずれると筋違(すじかい)は長さが長いから桁(けた)を押し上げることになります。すると桁(けた)をとめてある枘(ほぞ)がはずれる。人間が上げて下ろすんやなしに地震やから、横にも揺れてるし、そんな上がったやつが元の穴にすとんと入るちゅうことはありませんわな。そうすると桁(けた)がはずれ、倒れてしまう。



筋違(すじかい)を入れるのは愚かなことです。

在来工法でしっかりと壁をしておけば筋違(すじかい)はないほうがずっとよろしいですよ。筋違(すじかい)はまことに合理的な考えやけど、ちょこまかの猿知恵ですることはあきまへん。












話:持田武夫





「筋違(すじかい)が昔の建物にない」ということはありません。

600年前に建った如意寺三重塔では、二重と三重の柱間に当時の仕事として筋違(すじかい)が入っています。城郭建築にも隅柱のわきに筋違柱があります。

西岡さんが筋違(すじかい)についておっしゃるのは、地震で建物が横揺れしたさいに、筋違(すじかい)でもって桁(けた)が持ち上げられてしまったら、柱の枘(ほぞ)がはずれ、次の段階で桁(けた)が落ちてしまうことになるかもしれない、ということですね。



今回の地震(阪神淡路大震災)で、筋違(すじかい)のない、いわゆる貫(ぬき)の構造でしっかりして倒れなかった建物の一つに相楽園(そうらくえん、神戸市中央区)の主客門があります。

門の形は2本の本柱と、その後ろに控柱が立つ「薬医門」ですが、一般に伝統工法の建築では、柱に適当な間隔で丈夫な貫(ぬき)が入っていて楔(くさび)が締めてありますから、構造的には丈夫なつくりです。

柱の貫穴(ぬきあな)のなかで、貫(ぬき)の上端と下端がきちっと隙間なく取り付けておれば、少々の揺れでも貫(ぬき)は柱から外れないし、それで建物が傾くのを防ぐようになっています。

ところが、今の建築は柱に貫(ぬき)をちょこっとわずかに入れて釘付けするんです。これでは、貫(ぬき)っていうよりむしろ壁の下地の造作材のようなもので、軸組、構造材ではありませんね。



相楽園(そうらくえん)は兵庫県庁の北方にあって、その近くでは相当大きな家が倒れています。

相楽園の南側のレンガ塀も全長にわたって倒壊しています。あそこの辺りはそれほど地盤が揺れ動いたところだけど、この表門は柱が大きくて貫(ぬき)がしっかり入っていますから、きちっと建って残っています。

そういう点では、建物は柱と貫(ぬき)がしっかりと楔(くさび)で固めてあれば倒れないということがいえるでしょう。









話:山本昌弘





これから、檀家の人たちと本堂(宣勝寺、淡路島北淡町育波)の立ち起こしをするところです。建物自体は全体に北に、それと東側に傾いています。貫(ぬき)が効力を発揮したから、倒壊には至らなかったのだろうと思います。

(ぬき)の場合、初期剛性が低いんです。筋違(すじかい)は斜めの材料を入れるわけですよね。そのほうが初期剛性は強いんです。

ところが今回、倒壊した家、しない家を見てみると、振幅がかなり大きかったので、筋違(すじかい)に対し引っ張り方向に揺れたときに、筋違(すじかい)の端部の固定端が外れちゃってる。釘一本だけでとめてあったりしてるから、簡単に筋違(すじかい)が外れた。圧縮の方向に揺れた場合は、たわんで座屈しています。もうたわんでしまうと、筋違(すじかい)は力を発揮できませんから。

水平変形が大きくなったときに、貫(ぬき)が力を発揮しだして、貫(ぬき)が効いている家は傾いても倒壊には至らなかった、と考えました。





頭貫(かしらぬき)はそんなに力、発揮してないと思うから、足元と頭貫の下の飛貫(ひぬき)ですよね。足固め貫(ぬき)と言えばいいかな。この貫(ぬき)が効いていたと思います。

手水舎(ちょうずや)とか鐘楼とか、一方だけ、または四方の足固め貫(ぬき)を省いてる場合があるんですよ。出入りするためにね。やはり貫(ぬき)は四方きっちり固めといたほうが、こういう場合いいだろうと思います。



じつは僕は、西岡さんのところに5年ほどおりました。西岡さんに会って最初にいきなりね、

「おまえ、学校で構造力学、学習してきたか」

ってゆうてね。大工になるのになぜ構造力学と思ったんやけど、「力の流れっていうものを考えながら仕事しろ」ってことだったと思うんです。











引用:原田紀子『西岡常一と語る 木の家は三百年』




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