2016年9月20日火曜日

ガリレオとファラデー、すぐれた勘



話:V.S.ラマチャンドラン





古典的な例として、ガリレオが初期の望遠鏡を使用した話がある。

望遠鏡の発明者はガリレオだと思っている人がよくいるが、そうではない。1607年ころ、オランダの眼鏡職人ハンス・リッペルスヘイが、ボール紙の筒にレンズを2枚とりつけると遠くのものが近くに見えることを発見した。この装置は子どものおもちゃとして広まり、まもなくヨーロッパじゅうの見本市に登場するようになった。

ガリレオは1609年にこの道具のことを知り、たちまちその可能性に気づいた。彼は人のようすを探ったり、そのほかの地上の物体を眺めるのではなく、筒を空にむけた --それまでだれもしなかったことだ。



彼はまず月を眺め、月の表面のクレーターや谷や山がたくさんあるのを発見した。それは古来、天国のような場所と思われていた天体がそれほど完璧なものではないことを告げていた。天体は地上の物体と同様に、人間の眼で観察できる欠陥や不完全さに満ちていた。

ガリレオは次に望遠鏡を銀河にむけ、それが(それまで信じられていたような)均質な雲などではなく、無数の星からなっていることにたちまち気づいた。

しかし彼がいちばん驚いたのは、惑星すなわち「さまよう星」として知られていた木星を見たときだった。木星のそばに3つの小さな点を発見し(彼はただちにそれを未知の星と推定した)、数日後に一つが消えているのを見たときに、ガリレオはどれほどびっくりしたことか。さらに数日おいてもう一度見ると、消えていた点がまた見えたばかりか、もう一つ余分な点があり、全部で4つ見えるではないか。彼は一瞬のひらめきで、4つの点が(地球の月に相当する)木星の衛星で、木星のまわりを軌道を描いて回っていることを理解した。



それは途方もなく大きな意味をもっていた。

木星のまわりを回っている天体が4つある以上、すべての天体が地球のまわりを回っているのではないことが、一瞬のうちに証明されたからである。こうしてガリレオは、それまで君臨していた宇宙の地球中心説をしりぞけ、太陽が宇宙の中心であるとするコペルニクスの見解をその座につけた。

決定的な証拠が得られたのは望遠鏡を金星にむけ、それが月と同じように、ただし一ヶ月ではなく一年周期で満ち欠けをすることを発見したときだった。ガリレオはこの事実から、惑星はすべて太陽のまわりを軌道を描いて回っていることと、金星は地球と太陽のあいだに位置することを推定した。

以上のすべてが、2枚のレンズをつけたボール紙の筒から出てきた。方程式もグラフも量的な測定もない、「単なる」実例提示である。



医学部の学生にこの話をすると、たいていは、ガリレオの時代なら簡単にできただろうが、20世紀の現代では大きな発見はすでにされてしまっているし、高価な装置や細目にわたる測定なしでは新しい研究はできっこない、という反応が返ってくる。

まったくどうかしている!

今日でも驚くべき発見は、つねに目の前にぶらさがっている。むずかしいのはそれに気づくことだ。





たとえば電気や磁気に対する認識がどのように発展してきたかを考えてみよう。

人は何世紀ものあいだ、天然の磁鉄鉱や磁石について漠然とした理解をもち、それらを利用して羅針盤をつくっていたが、磁石を体系的に研究したのはヴィクトリア時代の物理学者マイケル・ファラデーが最初だった。

ファラデーは2つのきわめて単純な実験から驚くべき結果を引きだした。



一つめは小学生でも再現できる実験で、棒磁石の上に紙をのせ、そこに鉄やすりのくず粉をまくと、たちまち磁力線に沿ってならぶことを発見した(このとき初めて、物理の場の存在が実験的に示された)。

二つめの実験では、棒磁石を針金のコイルの中心に置いて前後に動かした。すると針金に電流が発生した。これらの形式ばらない実証的実験には深い意味があった。これによって初めて磁気と電気が結びついたのである。

これらの作用に対するファラデー自身の解釈は定性的なものにとどまったが、彼の実験が土台となって、数十年後にジェームズ・クラーク・マクスウェルの有名な電磁方程式 --近代物理学の基礎となる数式-- が生まれた。





学校の先生からファラデーの単純な実験のことを聞いたとき、そんな小さなことでそんな大きなことが達成できるのかと興味をそそられたのを憶えている。

ファラデーの実験の影響を受けた私は、以来ずっと高級な装置を好まず、科学の革命にはかならずしも複雑な機械は必要ではない、必要なのはすぐれた勘だけだと思っている。











引用:V.S.ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』




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