話:鈴木俊隆
…
日本語では「初心」と言いますが、それは「Beginer's mind(初めての人の心)」という意味です。修行の目的は、この初めての心、そのままに保つことにあります。
たとえば、たった一度「般若心経」を唱えたとしましょう。そのとき、とてもよく唱えられたかもしれません。けれども2度目、3度目、あるいはそれ以上唱えるときはどうでしょう。だんだん、初めて唱えたときの心を忘れていきます。
同じことが、禅のほかの修行でも起こります。しばらくの間は「初心者の心」を保ちつづけますが、2年、3年と修行をつづけていくうちに、向上するところもあるかもしれませんが、初心のもっている無限の可能性を失いやすくなるのです。
禅の修行でいちばん大事なことは「二つにならない」ということなのです。私たちの「初心」は、そのなかに全てを含んでいます。それは、いつも豊かで、それ自体で満ち足りています。この「それ自体で満ち足りている状態」を失ってはいけません。
これは、心を閉ざしてしまう、という意味ではありません。そうではなく、空〈empty〉の心、それゆえ、つねにどんなことも受け入れる用意がある心です。心が〈空〉であるとき、それはどんなことも受け入れる、どんなことにも開かれている、という状態にあります。
初心者の心には多くの可能性があります。しかし専門家といわれる人の心には、それはほとんどありません。
In the beginner's mind there are many possibilities, but in the expert's there are few.
引用:鈴木俊隆『禅マインド、ビギナーズマインド』
0 件のコメント:
コメントを投稿