時おり妻は、目からウロコが落ちるようなことを言う。
少し前、「どこまで食べるのか」を語った時も、そうだった。
「いったい、満腹まで食べてよいものか?」
その問いに対する妻の答えは「否」。
「空腹が収まれば、それで良し」と言うのであった。
なるほど、「満腹」という信号は、幸福感を刺激するその裏では、「警報」でもあろう。
「もうこれ以上入れたら、ヤバイですよ」という身体からの警報。言うなれば、掃除機のコードを引っ張り過ぎた時に現れる「赤いテープ」だ。
人類の永い歴史において、現代ほど頻繁に満腹になるのは稀有のことであろう。それゆえに、満腹感は幸福感と結びついてしまったのかもしれない(適当論)。
しかし現代、「食いすぎ」はあらゆる病の起爆剤となってしまっている。このままあと数百年も「満腹の時代」が続くのであれば、身体と脳が学習して、満腹感と不快感を結び付けるのかもしれない。
しかし、それまでに人類が支払うであろう代償は少なからぬものとなるであろう(すでに支払いは始まっている)。
満腹になろうとするのは、向上心旺盛な人類の性向なのかもしれない。
しかし一方、「最低ラインで良し」とするのも、ワビサビの美学であろう。
「空腹が収まれば良しとする」という姿勢には、そんな美しさが漂っている。
空腹とは何ぞや、満腹とは何ぞや?
面と向かったラーメンに問いかけるのであった…。
(ノビるよ!)
0 件のコメント:
コメントを投稿