「太陽が『冬眠』の準備をはじめたらしい…」
通常であれば11年周期で増減するはずの太陽の「黒点」の数が一向に増えてこない。
前回の極大値は2000年であり、2012年も終わろうとする本年は、通常であれば黒点の数が上向いていて然るべし。ところが、その気配がさっぱりない。
太陽の黒点は、太陽活動が活発なほど盛んに発生する。それは太陽が元気な証なのだ。
では、その黒点が少ないと、どうなるのか?
一言でいえば「寒冷化」する。
太陽が地球を守る力(磁力線)が弱くなって、地球の大気中に「宇宙線」と呼ばれるエネルギーの高い粒子が飛び込んで来やすくなる。すると、それらの粒子は水蒸気をイオン化したガスとなり、雨粒となり、雲となる。そして結果的には、雲が大量発生して地球を覆うことになり、太陽からの暖かい光を遮ってしまうのだ。
およそ350年ほど前(17世紀後半)に、太陽に黒点がほとんど現れない時代があった。あたかも太陽が冬眠してしまったかのように…。
それは「無黒点期」とも呼ばれる時代。当時の絵画に描かれた空はみな灰色で、ロンドンのテムズ川は完全に凍結してスケートリンクとなっている。こうした寒冷期はおよそ70年ほど続いたのだという。
おや? 今は温暖化による異常気象が騒がれているのではなかったか。
それなのになぜ、太陽の活動は「寒冷化」のような兆候を見せているのだ?
じつは現在、温暖化に向かっているのか、寒冷化に向かっているのかは定かではない。諸説入り乱れている。
たとえば、二酸化炭素が地球を温暖化させているという説があるが、それは国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)による一説にすぎない。その根拠はといえば、気温が上昇を始めた約120年前からずっと増え続けているのが二酸化炭素だから、きっと二酸化炭素が温暖化の原因なのだろうということだ。
しかし、二酸化炭素が地球の大気中に占める割合はわずか0.04%に過ぎないため、国連による二酸化炭素・温暖化説には当初から疑わしいところがあった。ただ、政治的なトピックスとして珍重されたために、あたかも最有力の説となってしまっているが…。
歴史をさかのぼってみると、二酸化炭素が今ほど多くない時代にも、温暖化している時期はたくさんある。
たとえば、日本の平安時代には温暖化により海水面が大分上昇していたらしい。鎌倉では鶴岡八幡宮の大鳥居前まで海岸線が迫ってきており、京都では九条通(現在の京都駅前)にまで大阪湾が入り込んでいたのだという。
西暦でいえば950〜1250年頃、太陽の黒点活動は非常に活発で、燃え盛っていた。
それが15世紀も半ば(西暦1450年前後)となると一転、太陽活動は弱まってしまう。シュペーラー極小期と呼ばれる寒冷期であり、当時の政権である室町幕府は不作続きにより弱体化してしまった。そして、長く暗い戦国時代へと続く応仁の乱が世を騒がせることとなる。
寒冷期というのは作物の生育が悪くなるために、時の為政者たちにとっては試練の冬となる。フランス革命が起こった時も、日清日露、第一次世界大戦が起こった時も、太陽活動が芳しくない寒冷期だったという。そうした時期には、少ない食糧を世界中で奪い合う時代となってしまうのだ。
食糧の奪い合いという争いの種は、今も昔も変わらない。
ここ数年世界を騒がせている「アラブの春」と呼ばれる北アフリカ一連の民主化運動も、食料価格の高騰が暴動の引き金になったとも言われている。
歴史は今なお、シンプルに繰り返しているのである。多少の文明化など気休めにすぎない。むしろ、情報の伝播が高速化しているために、世の変転は目まぐるしくもなっている。
そんな現代に寒冷化が起きたら?
もし、あと8年後の2020年までに太陽の黒点が増えぬままであれば、それは「完全に小氷河期に突入したと見ていいだろう」と専門家は言う。
まず考えなければならないのは、食糧の確保であろう。現代の科学力をもってすれば、寒さの中でも元気に育つ作物を増やすことができるかもしれない。
今後の地球はいったい温暖化へ転ぶのか、寒冷化に転ぶのか?
歴史を振り返ってわかることは、そのどちらも別に珍しいことではないということである。そして、時代がどっちに転がっても、過去の人々はたくましく生き抜いてきたという事実である。
歴史を生き抜くとは、きっとそういうことだ。
(了)
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出典:致知2012年12月号
「太陽の黒点の数が私たちに教えていることとは?」
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