その家に咲く花はじつに見事で、チョウたちも嬉しそうに乱舞している。
何故これほど美しく手間をかけているのかと、その家の主人に問えば、思わぬ深い意味が語られ出した。
「私の亡父は大江佐国(おおえのすけくに)という漢詩人で、花々をたいそう好み、手づから育て、花の詩を作っては楽しんでおりました。ですから、亡くなった後もこうして、息子である私が花をたくさん咲かせているのです。
すると、ある日、知り合いが『チョウになって花の上を飛んでいる父』の夢を見たというではありませんか。それ以来、もしかしたら花に集まるチョウの中に『父の生まれ変わり』がいるかもしれないと思い、花に蜜などもかけて、父が飢えないようにしているのです」
この話を聞いた鴨長明、「まことに恐れても恐るべき事なり」、恐れても恐れ切れないほど恐ろしいと身震いしているではないか。
というのも、仏教においては、何かに執着を残したまま死んでしまうと、次の世では「よからぬモノ」に生まれ変わると信じられていたのである(すべて、念々の妄執、一々に悪身を受くる事は、はたして疑ひなし)。
花に執着を残して死んだ大江佐国、そして、それを助長するかのような息子。
この話は、方丈記の作者と知られる鴨長明が、別の著作である仏教説話集「発心集」において描き出した「執着にまつわるエピソード」の一つである。
出典:鴨長明『方丈記』 2012年10月 (100分 de 名著)
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