皇室が果たされている役割とは?
千年を超える歴代天皇のお仕事とは?
「皇室は『祈り』でありたい」
皇后陛下はそうおっしゃった。
現在、皇室の執り行う祭儀は「恒例・臨時を併せると実に60回にも及ぶ」という。
その数ある宮中祭儀のうちでも最も古く、最も重要なのが「新嘗祭(にいなめさい)」。その年に新しく穫れた穀物を神々に供えて、天皇自らも召し上がる祭祀である。
「祭典は11月23日の午後6時から8時の間の『夕(よい)の儀』、次いで午後11時から翌午前1時ごろにかけて行われる『暁(あかつき)の儀』からなる」
明治天皇の御製に「我が国は神の末なり、神まつる昔の手振り、忘るなよゆめ」という一首があるが、祭祀の作法(神まつる昔の手振り)というのは、「いささかも忽(ゆるが)せにせず受け継がれている」ということだ。
明治時代のある新嘗祭(にいなめさい)の当夜、シンシンと冷え込み、篝火(かがりび)が焚かれてもなお、参列者たちは冷気に震えが止まらなかった。昔ながらの作法を大切にする祭祀の場には暖房設備などはもちろんない。
ところが、祭儀がお済みになった明治天皇は「汗をかかれていた」という。
「陛下には全身全神経を神のご奉仕に御尽くしになった御しるしと拝するより仕方がなかった」と当時の掌典長・宮地厳夫は語る。陛下は休息もなく激しく神事に務められたのだとのこと。
時は下り、昭和天皇の時代。年間60回ほどの宮中祭祀のうち、天皇の御親拝は33回で、ほかは代拝が慣例とされていた。しかるに、昭和天皇は御自身の意志で自ら行う親拝を57回にまで増やされたのだという。
昭和5年、冬季に入った旬祭は、例年になく「30cm以上の積雪」に見舞われた。それでも昭和天皇は定刻通りに御拝をなさったのだそうな。降り積もる雪を踏み分けて…。
「降る雪に心清めて、安らけき世をこそ祈れ、神の広間へ」
時は世界恐慌、満州事変勃発の前夜。激動の世に突入しつつあった…。
そして、日本が国際連盟を脱退する前年の昭和7年。
その年の新嘗祭(にいなめさい)の当日、昭和天皇は風邪を召されており、「あまりの高熱」に侍医は新嘗祭の出御とりやめを言上していた。
それでも陛下の御意志は固かった。「お前たちには分からぬ。この御祭はどうしても自分がやらなければならぬのだ…!」。そして、陛下は高熱のままに祭儀を完璧に務められたそうである。
「天地(あめつち)の神にぞ祈る、あさなぎの海のごとくに波たたぬ世を」
皇室の役割とは?
天皇陛下のお仕事とは?
「神がきに朝参りして祈るかな、国と民との安からむ世を」
これは明治天皇の御製の一首である。
出典:致知2012年12月号
「昔の手ぶり忘るなよゆめ」
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