東日本大震災による「大津波」に襲われた、ある小学校での話。
その小学校ではたまたま大震災の3日前に「避難訓練」をしていたこともあり、子供たちも上級生と下級生が手を取り合って、わりとスムーズに避難を開始することができた。
ところが、避難先である裏山に入った頃から、子供たちの動きがおかしくなり始める。
先頭を行く子供たちが、「行くはずでない別の山」へ向かって走っていくではないか!
あわてた担任の先生は、声を枯らして先頭の子供たちに叫びかける。
「おーーーいっ! そっちじゃないぞーーーっ! そっちは危険だーーーっ!!」
しかし、その叫び虚しく、先頭の子供たちはひたすらに「別の山」へと走り続ける。
事ここに至りてはやむなし。
その担任の先生も観念する。「自分一人だけが生き残るわけにはいかない…!」。そして、一心に子供たちの後を追い続ける。それが間違った道だと知りながら…、少しでも高い所へと…。
ところが、天は思わぬ形で子供たちに味方していた。
ふと、先生が後ろを振り返って見ると、はじめに避難するはずだった山が、すっかり津波に飲み込まれているではないか!
もし、訓練通りにその山へと避難していたら、全員が全員、大津波の餌食となってしまうところだった…。
なぜ、子供たちは訓練通りの山に避難しなかったかのか?
それは「動物的な直感」だったのか?
いまだ、その真相は謎である。
ある古老は語る。
「普段は何かに覆われて見えなくなっているけれども、人間には深い深い智慧がある…」
出典:致知2012年12月号
「無常の中の幸福を探る」
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