抜粋:NHK日曜美術館「バルティス 5つのアトリエ」
かのピカソをして、当代において最も重要な画家といわしめた巨匠。
バルテュス(1908-2001)
92歳で亡くなる間際まで絵筆を取りつづけた生涯は、つねに賞賛とそれと同等の誤解に満ちていました。彼の評価を二分してきたのは、少女をモデルにした官能的な作品の数々。
それをよりミステリアスにしているのが、彼のボヘミアンのような生涯です。旅するようにアトリエを移しながら、自らが信じる美を追求し続けました。
井浦新「バルテュスは、アーティストに愛されるアーティストというような印象が強いですね」
伊東敏恵「そうなんですよね。実際に、ミュージシャンのU2のボノやデビッド・ボウイが熱烈なファンだったそうで、ボノに関して言うと、実際にバルティスの葬儀にも参加をしていたり。あと、デビッド・ボウイは自分でバルテュスの肖像画を描いて、それをバルテュスにプレゼントしたりも」
ある時期から、まだ若い日本の女性を描いた作品を目立つようになります。彼女の名前は出田節子(いでた・せつこ)。のちに妻になる女性です。
2人の出会いは京都。バルテュスは、フランスで開く日本美術展の出展作品を選ぶため訪れていました。節子さんは上智大学でフランス語を勉強する20歳の学生。54歳のバルテュスは節子さんに心を奪われ、もう一度会って肖像画を描きたいと申し出ます。
以来40年、節子さんはバルテュスが息を引きとるまで側にいて、モデルとして妻として支えることになります。
節子「画家(バルテュス)は、画布に近づいて絵をかいて、そしてその絵がいいかどうかっていうのは、必ず離れて見るんですね。
”こうしたい”という強い思いがある場合は、思い込みの気持ちで物を見ることが多くなるので間違いがある。見つけられにくい、と。
で、(アトリエに)鏡が置いてございますけども、その鏡はやはり、その絵に写すことによって反対になりますでしょ。反対に絵を見ることによって、構図上の過ちというか、バランスの問題の間違いを見つけやすいということで、鏡をよく使って見てました」
彼が遺した言葉
「私は自分の絵を理解しようとしたことは一度もない。作品には何か意味がなくてはならないのだろうか? そう思ったから、私はめったに自分のことを話さなかった」
(了)
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