2014年5月29日木曜日

リラックスしていればこその不動 [藤平光一]




抜粋:藤平光一『氣の確立







 当時、中野から慶応がある日吉まで行くには、渋谷経由で電車を使っていた。

 そのときの車中でも私は、いつも統一体の稽古をしていた。

 電車は嫌でも揺れる。最初は空手のように全身に力を入れていたほうが強いと思っていたので、思い切り力んで立つ。すると電車が左右に揺れるたびに、ばたんとひっくり返ってしまう。



 そのうち、リラックスすることの重要性がわかってきた。

 きっかけは電車の中の鉄柱だった。

 電車の中で鉄柱を見ていると、電車が動くときに鉄柱も一緒に動いている。ならば、この鉄柱になってしまえばいいのではないか、と思ったのだ。

 それにはまず、全身をリラックスさせることが重要だ。

 電車が動くと、自然に身体も動揺するのに任せていた。するとおもしろいことに、いつまでたってもひっくり返らない。



 たとえば高層ビルは、常に微動するように設計されている。逆に不動に設計してしまうと、風や地震で簡単にひっくり返ってしまうらしい。

 ということは、やはりそれも天地の理なのである。

 リラックスしていればこその不動——もちろん、ほんの少し、振動で揺れるぶんにはかまわない——なのだ。

 電車が動けば、乗っている人間の身体も揺れるのが当たり前だ。ところがそれに逆らい、常に電車が動く方向の逆へ身体を動かしていなければ不安になるのが人間だ。そこに力が入っていれば、当然のようにバランスを失い、ひっくり返る。何のことはない、自ら理不尽なことをしているだけなのだ。



 それを覚えてからは、船に酔うこともなくなった。素人は必ず、船の動きに抵抗する。しかし、長年、船に乗りなれた船員を観察していると、船の揺れるとおりに身を任せている。なんとも当たり前のことである。ならば、自分もそのとおりにと思い、船と一緒に動いていれば、逆に身体はぜんぜん揺れなくなる。

 つまりはそれが、リラックスなのである。



 私が最初にこのリラックスを意識したのは、一九会でのことだった。

 みそぎで疲れ果てて、そのまま合気道の道場に行けば、身体も思うようには動かない。

 ところが不思議なもので、その状態のほうが、なぜか相手の技にかからなくなるのだ。

 これは簡単な理屈で、それまで力を入れて相手の技に逆らっていた。ところが疲れ果てていれば、嫌でも力など入らない。つまり、力を抜いたほうが強いということだ。

 では、力を抜くとはどういうことか?

 それこそまさに、リラックスにほかならなかったのである。










出典:藤平光一『氣の確立



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