2015年5月20日水曜日

熊、人を助(たすく) [鈴木牧之]



鈴木牧之『北越雪譜』より




熊、人を助(たすく)

 人熊の穴に墜(おちいり)て熊に助けられしといふ話、諸書に散見すれども、其実地をふみたる人の語りしは珍ければこヽに記す。

 余(よ)若かりし時、妻有(つまあり)の庄に魚沼郡の内に在用ありて両三日逗留せし事ありき。頃は夏なりしゆゑ客舎(やどりしいへ)の庭の木かげに筵(むしろ)をしきて納涼(すずみ)居りしに、主人(あるじ)は酒を好む人にて酒肴をここに開き、余は酒をば嗜(すか)ざるゆゑ茶を喫(のみ)て居たりしに、一老夫こヽに来り主人を視て拱手(てをさげ)て礼をなし後園(うらのかた)へ行んとせしを、主(あるじ)呼(よび)とめ老夫を指(ゆびさし)ていふやう、

「此 叟父(おやじ)は壮年時(わかきとき)熊に助られたる人也、危(あやふ)き命をたすかり今年八十二まで健(すこやか)に長生(ながいき)するは可賀(めでたき)老人也、識面(ちかづき)になり給へ」

といふ。老夫莞爾(にこり)として再(ふたたび)去(さら)んとす。余よびとヾめ、「熊に助られしとは珍説(ちんせつ)也、語りて聞せ給へ」といひしに、主人(あるじ)余が前に在し茶盌(ちゃわん)をとりて「まづ一盃喫(のめ)」とて酒を満盌(なみなみ)とつぎければ、老夫筵の端に坐し酒を視て笑(ゑみ)ふくみ続(つヾけ)て三盌(さんばい)を喫し舌鼓(したうち)して大に喜び、

「さらば話説(はなし)申さん、我廿歳(はたちのとし)二月のはじめ薪(たきぎ)をとらんとて雪車(そり)を引(ひき)て山に入りしに、村にちかき所は皆伐(きり)つくしてたまたまあるも足場あしきゆゑ、山一重(ひとへ)踰(こえ)て見るに、薪とすべき柴あまたありしゆゑ自在に伐(きり)とり、雪車(そり)哥うたひながら徐々(しずかに)束(たばね)、雪車に積(つみ)て縛つけ山刀(やまかたな)をさしいれ、低(ひくき)に随(したがっ)て今来りたる方へ乗下(のりくだ)りたるに、一束(いっそく)の柴、雪車より転(まろ)び落(おち)、谷を埋(うづめ)たる雪の裂隙(われめ)にはさまり …凍りし雪陽気を得て裂る事常也… たるゆゑ、捨て皈(かえら)んも惜(をし)ければ、その所にいたり柴の枝に手をかけ引上んとするに、すこしも動(うごか)ず、落たる勢(いきほひ)に撞(つき)いれたるならん、さらば重(おもき)かたより引上んと匍匐(はらばひ)して双手(もろて)を延(のば)し一声かけて上んとしたる時、足に蹈(ふむ)力なきゆゑ、おのれがちからに己が躰(からだ)を転倒(ひきくらかへし)、雪の裂隙(われめ)より遥(はるか)の谷底へ墜(おちいり)けるが、雪の上を濘(すべり)落たるゆゑ幸(さいはひ)に疵(きず)はうけず、しばしは夢のやう也しがやうやうに心付、上を見れば雪の屏風を建(たて)たるがごとく今にも雪頽(なだれ)やせんと …なだれのおそろしき事下にしるす… 生(いき)たる心地はなく、暗(くらさ)はくらし、せめては明方(あかるきかた)にいでんと雪に埋(うまり)たる狭(せまき)谷間(たにあひ)をつたひ、やうやうにして空を見る所にいたりしに、谷底の雪中、寒(さむさ)烈しく手足も亀手(かがまり)一歩(ひとあし)もはこびがたく、かくては凍死(こごえしぬ)べしと心を励(はげま)し、猶途(みち)もあるかと百歩(はんちやう)ばかり行たりけん、滝ある所にいたり四方を見るに、谷間の途極(ゆきとまり)にて甕(かめ)に落たる鼠(ねずみ)のごとく、いかんともせんすべなく惘然(ぼうぜん)として胷(むね)せまり、いかヾせんといふ思案(しあん)さへ出ざりき」



 「さて是より熊の話也、今一盃たまはるべし」とて自(みづから)酌(つぎ)てしきりに喫(のみ)、腰より烟艸帒(たばこいれ)をいだして烟(たばこ)を吹(のみ)などするゆゑ、「其次はいかに」とたづねければ、老夫曰(いはく)、

「さて傍(かたはら)を見れば潜(くヾる)べきほどの岩窟(いはあな)あり、中には雪もなきゆゑ、はひりて見るにすこし温(あたヽか)也。此時こヽろづきて腰をさぐりみるに握飯(にぎりめし)の弁当もいつかおとしたり、かくては餓死(うゑじに)すべし、さりながら雪を喰(くらひ)ても五日や十日は命あるべし、その内には雪車哥(そりうた)の声さへ聞(きこゆ)れば村の者也、大声あげて叫(よば)らば、助(たすけ)くれべし、それにつけてもお伊勢さまと善光寺さまをおたのみ申よりほかなしと、しきりに念仏唱へ、大神宮をいのり日もくれかヽりしゆゑ、こヽを寝所(ねどころ)にせばやと闇地(くらがり)を探りさぐり這入りて見るに、次第に温(あたヽか)也。

 猶(なほ)も探りし手先に障(さはり)しは正しく熊也。愕然(びっくり)して胷(むね)も裂るやう也しが逃(にげる)に道なく、とても命の期(きは)なり死(しぬ)も生(いきる)も神仏にまかすべしと覚悟をきはめ、いかに熊どの我(わし)は薪(たきヾ)とりに来り谷へ落(おち)たるもの也、皈(かへる)には道がなく生(いき)て居(をる)には喰(くひ)物がなし、とても死(しぬ)べき命也、擘(ひきさき)てころし給へ、もし情(なさけ)あらば助たまへと怖々(こはこは)熊を撫(なで)ければ、熊は起(おき)なほりたるやうにてありしが、しばしありてすヽみいで我(わし)を尻にておしやるゆゑ、熊の居(ゐ)たる跡へ坐(すはり)しにそのあたヽかなる事巨燵(こたつ)にあたるごとく全身(みうち)あたヽまりて寒(さむさ)をわすれしゆゑ、熊にさまざま礼をのべ猶もたすけ玉へと種々(いろいろ)悲しき事をいひしに、熊手をあげて我(わし)が口へ柔(やはらか)におしあてる事たびたび也しゆゑ、蟻(あり)の事をおもひだし舐(なめ)てみれば甘くてすこし苦(にが)し。しきりになめたれば心爽(さはやか)になり咽(のど)も潤ひしに、熊は鼻息を鳴(なら)して寝(ねいる)やう也。さては我を助(たすく)るならんと心大におちつき、のちは熊と脊(せなか)をならべて臥(ふし)しが宿の事をのみおもひて眠気もつかず、おもひおもひてのちはいつか寝入(ねいり)たり。

 かくて熊の身動(みうごき)をしたるに目さめてみれば、穴の口見ゆるゆゑ夜の明(あけ)たるをしり、穴をはひいで、もしやかへるべき道もあるか、山にのぼるべき藤づるにてもあるかとあちこち見れどもなし、熊も穴をいでヽ滝壺にいたり水をのみし時はじめて熊を見れば、犬を七ツもよせたるほどの大熊也。又もとの窟(あな)へはいりしゆゑ、我(わし)は窟(あな)の口に居て雪車哥(そりうた)のこゑやすらんと耳を澄(すま)して聞(きき)居たりしが、滝の音のみにて鳥の音(ね)もきかず、その日もむなしく暮て、又穴に一夜をあかし、熊の掌(て)に飢(うゑ)をしのぎ、幾日(いくか)たちても哥はきかず、その心細き事いはんかたなし。されど熊は次第に馴(なれ)可愛(かあいく)なりし」



と語るうち、主人は微酔(ほろゑひ)にて老夫にむかひ、其熊は牝熊ではなかりしかと三人大ひに笑ひ、又酒をのませ盃の献酬(やりとり)にしばらく話(はなし)消(きえ)けるゆゑ、強(しひ)て下回(そのつぎ)をたづねければ、老夫曰(いはく)、

「人の心は物にふれてかはるもの也、はじめ熊に逢(あひ)し時はもはや死地事(ここでしす)と覚悟をばきはめ命も惜(をし)くなかりしが、熊に助(たすけ)られてのちは次第に命がをしくなり、助(たすく)る人はなくとも雪さへ消(きえ)なば木根(きのね)岩角(いはかど)に縋(とりつき)てなりと宿へかへらんと、雪のきゆるをのみまちわび幾日といふ日さへ忘(わすれ)て虚々(うかうか)くらししが、熊は飼犬(かひいぬ)のやうになりてはじめて人間の貴(たふとき)事を知り、谷間(たにあひ)ゆゑ雪のきゆるは里よりは遅くたヾ日のたつをのみうれしくありしに、一日(あるひ)窟(あな)の口の日にあたる所に虱(しらみ)を捫(とり)て居たりし時、熊窟(あな)よりいで袖を咥(くはへ)て引しゆゑ、いかにするかと引れゆきしにはじめ濘落(すべりおち)たるほとりにいたり、熊前(さき)にすヽみて自在に雪を掻掘(かきほり)一道(ひとすぢ)の途(みち)をひらく、何方(いづく)までもとしたがひゆけば又途(みち)をひらきひらきて人の足跡ある所にいたり、熊四方を顧(かへりみ)て走り去(さり)て行方しれず。

 さては我を導(みちびき)たる也と熊の去(さり)し方を遙拝(ふしをがみ)かずかず礼をのべ、これまつたく神仏の御蔭(おかげ)ぞとお伊勢さま善光寺さまを遙拝(ふしをがみ)うれしくて足の蹈所(ふみど)もしらず、火点頃(ひとぼしころ)宿へかへりしに、此時近所の人々あつまり念仏申てゐたり。両親はじめ愕然(びっくり)せられ幽霊ならんとて立さわぐ。そのはづ也、月代(さかやき)は蓑(みの)のやうにのび、面(つら)は狐のやうに痩(やせ)たり、幽霊とて立さわぎしものちは笑となりて、両親はさら也、人々もよろこび、薪とりにいでし四十九日目の待夜(たいや)也とていとなみたる仏事も俄(にはか)にめでたき酒宴(さかもり)となりし」

と仔細(こまか)に語りしは、九右エ門といひし小間居(こまゐ)の農夫(ひゃくしやう)也き。其夜燈下(ともしびのもと)に筆をとりて語りしまヽを記しおきしが、今はむかしとなりけり。







引用:鈴木牧之『北越雪譜 (岩波文庫 黄 226-1)




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