「私たちの感覚世界へのアウェアネス(意識)は、実際に起こった時点からかなりの時間、遅延することになります。私たちが自覚したものは、それに先立つ”およそ0.5秒前にすでに起こっていること”になるのです。私たちは、現在の実際の瞬間について意識していません。私たちは常に少しだけ遅れていることになるのです」
ベンジャミン・リベット
『マインド・タイム 脳と意識の時間 』
話:宇城憲治
人間には意識できない”無意識という時間帯”が存在していることが、『マインド・タイム』の著者ベンジャミン・リベット博士の実験により証明されています。
たとえば「危ない」と思って車のブレーキを踏むような場合、じつは身体は先に無意識に何かが動き、次に無意識の行動としてブレーキを踏む。これが0.2秒後なのだそうです。そしてブレーキを踏んでいることが自覚できるのは0.5秒後です。つまり、頭で「危険だ」と認識するのは0.5秒後であるということです。したがって、頭が「危ない」と思ったときからの意識の行動では遅いということです。危険な状況下では、気づいたときには手遅れという状態になりかねません。
事故などで危ない目に遭うと、そのコンマ何秒かのわずかの時間に、いろいろなことが浮かびます。そんなことを考えるような時間はないはずなのですが、あらゆるものがスローモーションになって見えたりします。自分の内面の時間が速くなる分、外面の時間の流れが遅くなるということです。すなわち、高速度撮影時の再生時のスローと同じことが起きているわけです。
このことは人によって時間が異なるということも示唆しています。人間におけるスピードはまさにその起こりがベンジャミン・リベットの言う、0.2秒前の世界なのか、0.5秒後の世界なのかで違ってくるのです。それは物事を身体で気づくか、頭で気づくかの差ともいえます。すなわち、0.5秒後の世界にとどまる人は、常に意識が働いているので行動に時間がかかります。また迷ったり悩んだりするときの時間も同じく止まったものになっていきます。
たとえば、電車におばあさんが乗ってきた。席を譲ろうかな、は意識であり0.5秒後の世界にあります。しかし、「気づいたら席を譲っている自分がいました」、これが無意識の行動であり0.2秒の世界です。無意識には、頭で考えるという意識が介入しません。
子供の時間は、大人と比べて桁違いに速いのです。それは大人は客観的な時間に縛られがちなのに対し、子供は主観的な時間の世界にいるからです。つまり主観的時間である内面のスピードは0.2秒内にあり、客観的時間の外面のスピードは0.5秒後にあり、どちらの時間にいるかで速い、遅いの差が出てくるということです。そしてそれは当然、その人の行動のスピードの差となって現れるのです。
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引用:宇城憲治『気によって解き明かされる 心と身体の神秘 』
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