政治問題に「宗教」を絡めてはならない。
これは先進国の間で守られる「国際社会の鉄則」だ、と歴史学者の渡部昇一教授(上智大学)は言う。
「ヨーロッパにおける三十年戦争(1618〜1648)を終結させた『ウェストファリア条約』があります。三十年戦争はプロテスタントとカトリックの『宗教戦争』です。その条約締結以来、先進国の間では『政治問題に宗教を絡めてはならないことが決まりました」
これは400年近く経った今も、先進国間では固く守られているという。
「アメリカのブッシュ前大統領がイラクに軍を派遣した時、テロ行為は厳しく批判しつつも、イスラム教それ自体については一言も批判しなかったのはそのためです」と渡部教授は言う。
では、なぜ日本は「靖国参拝」を他国にとやかく言われるのか?
これは「宗教問題」ではないのか?
渡部教授は「『宗教問題に口出ししないのは先進国の常識です。それができない国は先進国に値しない』くらいのことをハッキリ言ってあげたらいいのです」と言う。
「靖國参拝がこじれた時、政府がすぐに『それは宗教問題である』と断じれば、良識ある世界の国々は『そうか、宗教問題には口出ししてはいけないな』と納得します」
ところが残念ながら、日本の靖國参拝に口出しするは「良識ある先進国」ではないようである。
具体的に申し上げれば、それは世界広しといえども「中国と韓国」の2カ国だけである。しかも、それは戦後40年も経ってからの話である。
昭和60年(1985年)、時の首相「中曽根康弘」氏は、内閣総理大臣として靖國参拝を参拝。
この時はじめて中国が「いわゆる(第二次世界大戦の)A級戦犯が祀られている靖國神社に首相が『公式参拝』することは中国人民の感情を傷つける」と激しく日本に抗議。
もしここで、中曽根氏が「靖國参拝は国内問題であり、宗教問題である」と毅然としていたら、その後の展開はどうなったかわからない。だが現実は、中国の抗議を飲んで以後の参拝を取りやめてしまった。
日本がすんなり中国の言い分を聞いたことにより、この時以来、靖國参拝は「外交カード」と化したといえる。時は中国が成長路線へと転じ、国力と自信を増しつつある頃でもあった。
ちなみに韓国が抗議をはじめたのは、それよりもずっと後の話で、顕著になったのは盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領あたりからである。
先進国である日本には、「政教分離の原則」がある。
それは、日本国憲法第二十条第三項に「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動をしてはならない」と記されている。
この点、中韓の抗議を別にしても、国内問題として「政府公人の靖國参拝」は日本国憲法に抵触する恐れがある。
それを懸念したのが、昭和50年(1975年)の「三木武夫」元首相。
彼は、「総理としての参拝ではなく、渋谷区南平台の一住民、三木武夫として参拝する」と言った。実際に彼は、公用車を使わずにタクシーで靖國神社に乗り付け、そして記帳の際は「内閣総理大臣」の肩書きを外して「三木武夫」とだけ記した。
以後、「福田赳夫」「大平正芳」「鈴木善幸」各首相も同様、「私的参拝」という立場での参拝となった。
靖國神社に限らず、終戦直後は「公的資格での神社参拝」が禁じられていた。それはアメリカのGHQが「神道指令」によって、それを禁じたからである。
「そんなことは馬鹿げている!」と怒ったのは、「吉田茂」元首相。彼はアメリカ軍の占領直後から明治神宮や伊勢神宮、熱田神宮などを平然と参拝していた。
しかし、靖國神社となるとさすがにGHQの目が厳しく、吉田茂氏をもってしても容易には参拝が叶わなかった。
吉田茂氏が首相として靖國神社に参拝するのは、昭和26年(1951年)。サンフランシスコ平和条約が締結され、日本が独立を果たしてからである。
条約が結ばれたのが9月。その直後10月の「秋の例大祭」、吉田茂氏は靖國神社に参拝。日本の主権回復を奉告したという。以後、日本の首相は靖國神社の催す「春秋の例大祭」に参拝する流れができあがる。
この頃、靖国参拝は国内問題にもなっておらず、むしろメディア各社は好意的に扱っていた。
だがその後、先に記した通り、福田赳夫氏の時に国内問題から「私的参拝」となり、中曽根康弘氏の時から他国の抗議を受けて「参拝取りやめ」となったのである。
その参拝中止から16年後の2001年、「小泉純一郎」元首相が靖國参拝を復活。
これは日本国内でも「憲法違反」として大変問題視されたわけだが、小泉元首相による参拝違憲訴訟のすべては原告の敗訴。つまり、日本国憲法の定める「政教分離の原則」には違反しないと判断されている。
つまり、靖國参拝で問題となるのはもはや「中国と韓国」の2カ国による外圧のみ。
だが、先進国における国際社会の鉄則は、冒頭で述べたように「政教分離」。先進国間であればあり得ない国際問題である。
安倍首相は中韓の抗議に対して国会で問われ、「国のため尊い命を落とした英霊に対して、尊崇の念を表すのは当たり前だ。閣僚はどんな脅かしにも屈しない。その自由は確保していく」と内政干渉を毅然としてはねつけた。
それは今年(2013)の靖国神社の春季例大祭に3閣僚、国会議員168人が大挙して参拝したことを受けての言だった。
とかく感情論にもなりがちな靖国問題であるが、国際社会には厳然としたルールがあり、欧米社会はその法に敬意を払う習慣がある。つまり、公的な問題解決は法に訴えねばならぬのであり、裁判所の判決は飲まなければならないということだ。
それは不幸にして、日本人には疎い感覚でもあるのだが…。
(了)
ソース:致知2013年7月号
「歴史の教訓 渡部昇一」
「知っておきたい靖國神社参拝問題 基礎知識」