2012年11月11日日曜日

討つ者も討たるる者も…、みな「土くれ」


討つ者も、討たるる者も土器(かわらけ)よ
砕けてあとは、もとの土くれ



この無常観そのもののような辞世の句を詠んだのは「三浦義同(みうら・よしあつ)」。通称「道寸(どうすん)」の法名で知られる三浦一族本宗家、最後の当主である。

「三浦一族」といえば、鎌倉時代を代表する御家人の一つであるが、この道寸が北条早雲に討たれたことによって、その本流の血筋は途絶えることとなる。



しかし、道寸ほどしぶとく城を守り続けた武将は、日本史上に例がない。

その籠城戦は、日本合戦史上最長の4年あまりにも及んだのだ。

三浦半島(神奈川県)の新井城に籠った道寸は、扇谷上杉家(おうぎがやつ・うえすぎけ)の援軍も待ちながら、ひたすらに耐えていた。しかし悲しいかな、その援軍はことごとく北条早雲によって撃退されてしまう。北条早雲といえば、戦国時代の黎明を告げることとなる男。相手が悪かったとしか言いようがない。



三方を海に囲まれた新井城は、攻めるのに難い分、出撃にも不向きであり、外部からの援軍なしに勝利の道はなかった。そして、その頼みの綱はプッツリと断たれた。

万策尽きた新井城。かくして、その命運は尽きることとなる。永正13年(1516)7月11日、最後の壮絶な戦いのなかで道寸は討ち死。ついに新井城は北条早雲の手に落ちる…。



落城後の焼け跡に立ち、道寸のクビを前にした北条早雲は何を思ったのであろうか。おそらくは早雲も、道寸の辞世の句を知っていたであろう。

”討つ者も、討たるる者も土器(かわらけ)よ。砕けてあとは、もとの土くれ…”

討たれた道寸は「かわらけ」のように砕け、もとの「土くれ」となった…。



小さな救いは、落城以前に逃れていた道寸の次男、のちの正木通綱が生き延びたことだ。その孫にあたる於万の方は徳川家康の側室となり、紀伊頼宣と水戸頼房を生んで、その血を徳川家内に残すこととなる。

一方、一時的な勝者となった北条早雲も、その子孫は天正18年(1590)、豊臣秀吉によって「討たれる者」となり、やはり「土くれ」に帰すこととなる。それは道寸が土くれと化してから74年後のことだった…。





出典:歴史人2012年1月号
「城を攻める 城を守る」

2012年11月4日日曜日

「なぜか」、訓練通りに避難しなかった子供たち。東日本大震災



東日本大震災による「大津波」に襲われた、ある小学校での話。

その小学校ではたまたま大震災の3日前に「避難訓練」をしていたこともあり、子供たちも上級生と下級生が手を取り合って、わりとスムーズに避難を開始することができた。



ところが、避難先である裏山に入った頃から、子供たちの動きがおかしくなり始める。

先頭を行く子供たちが、「行くはずでない別の山」へ向かって走っていくではないか!



あわてた担任の先生は、声を枯らして先頭の子供たちに叫びかける。

「おーーーいっ! そっちじゃないぞーーーっ! そっちは危険だーーーっ!!」

しかし、その叫び虚しく、先頭の子供たちはひたすらに「別の山」へと走り続ける。



事ここに至りてはやむなし。

その担任の先生も観念する。「自分一人だけが生き残るわけにはいかない…!」。そして、一心に子供たちの後を追い続ける。それが間違った道だと知りながら…、少しでも高い所へと…。



ところが、天は思わぬ形で子供たちに味方していた。

ふと、先生が後ろを振り返って見ると、はじめに避難するはずだった山が、すっかり津波に飲み込まれているではないか!

もし、訓練通りにその山へと避難していたら、全員が全員、大津波の餌食となってしまうところだった…。



なぜ、子供たちは訓練通りの山に避難しなかったかのか?

それは「動物的な直感」だったのか?

いまだ、その真相は謎である。



ある古老は語る。

「普段は何かに覆われて見えなくなっているけれども、人間には深い深い智慧がある…」





出典:致知2012年12月号
「無常の中の幸福を探る」

2012年11月2日金曜日

明にして寛


「明なれども、察に及ばず

 寛なれども、縦に至らず」



これは、帝王学の書といわれる「宋名臣言行録」にある言葉。

明晰ではあるが、あまり細かいところ(察)まで見過ぎない。

寛大ではあるが、放縦(ほうじゅう)ではない。

※放縦とは、何の規律もなく勝手気ままなこと。



これは「外寛内明」という言葉にも通じる。

他人には寛大であり、自分には隠し立てがなく明らかだ、ということである。



「明にして寛」

そんな教えである。





出典:致知2012年12月号
「明なれども察に及ばず 寛なれども縦に至らず」

花への執着からチョウへとなった亡父


その家に咲く花はじつに見事で、チョウたちも嬉しそうに乱舞している。

何故これほど美しく手間をかけているのかと、その家の主人に問えば、思わぬ深い意味が語られ出した。



「私の亡父は大江佐国(おおえのすけくに)という漢詩人で、花々をたいそう好み、手づから育て、花の詩を作っては楽しんでおりました。ですから、亡くなった後もこうして、息子である私が花をたくさん咲かせているのです。

 すると、ある日、知り合いが『チョウになって花の上を飛んでいる父』の夢を見たというではありませんか。それ以来、もしかしたら花に集まるチョウの中に『父の生まれ変わり』がいるかもしれないと思い、花に蜜などもかけて、父が飢えないようにしているのです」



この話を聞いた鴨長明、「まことに恐れても恐るべき事なり」、恐れても恐れ切れないほど恐ろしいと身震いしているではないか。

というのも、仏教においては、何かに執着を残したまま死んでしまうと、次の世では「よからぬモノ」に生まれ変わると信じられていたのである(すべて、念々の妄執、一々に悪身を受くる事は、はたして疑ひなし)。



花に執着を残して死んだ大江佐国、そして、それを助長するかのような息子。

この話は、方丈記の作者と知られる鴨長明が、別の著作である仏教説話集「発心集」において描き出した「執着にまつわるエピソード」の一つである。





出典:鴨長明『方丈記』 2012年10月 (100分 de 名著)

2012年10月30日火曜日

向上門と向下門



「向上向下の道」

人は生まれてから、知らぬうちに「向上門」をくぐり向上に励み、一歩一歩、向上の道を登っていく。

その道を上っていく先には「向下門」がある。それは、自分が極めたことを世の人々に示せるか、どんな人にも解ける言葉で示せるかを試される門。





出典:「安岡正篤 心に残る言葉 」