2015年4月12日日曜日

現場は気づく [福留大士]



話:福留大士





 まず遠心力というのは「現場の強さ」と言い換えてもよいかもしれない。たとえば遠心力の効いている会社にヤマト運輸がある。同社における新規サービスは、”現場の気づき”を基にしている。

 近年だと、買い物難民や孤独死のリスクを抱える高齢者を対象とした「まごころ宅急便」というサービスを開発し、基幹事業に育てようとしている。これは現場の配送担当者が「荷物を届けたときに、体調の悪そうなおばあちゃんに一言かけてあげられれば、孤独死を防ぐことができたはず」という悲しい経験に基づいて企画されたサービスだ。







 一方、求心力というのは「本社の強さ」を意味する。これは本社が掲げるミッションやビジョンに共感し、組織としての結束力が高く、統制のとれた動きが可能である状態を指す。ただし、ここでいう本社とは「組織」ではなく「人」であることが大半である。つまり、創業者や中興の祖といわれる経営者がカリスマ性を発揮し、その人に対する尊敬や共感が求心力になる。

 たとえば、故・盛田昭夫氏率いるソニーには求心力があった。だが、今ではその面影はない。カリスマを失った組織が求心力をもとうとすると、どうなるか? 本社スタッフがルールでがんじがらめにするのである。論理的には正しくても、無意味な印象が否めないルールが日々本社によって量産されるのは、こういった理由からである。

 現場から尊敬されているトップが「お客様のために判断と行動のスピードを倍速にするためにiPhoneを活用せよ!」というルールを示すのと、「iPhoneを配布しますが、情報セキュリティ保護の観点から、カメラ機能は使用できません」というルールをIT部門のスタッフが示すのとでは、利用する側のやる気にどのような影響がもたらされるかは説明の必要がない。







 組織や社会を活性化させるうえでは「求心力も遠心力もバランスよくある状態」が望ましいが、日本では強烈なカリスマ性をもったリーダーが少なくなったせいか、求心力が失われているように思う。しかしながら、私は「遠心力」という観点では、ぎりぎりのところで日本の現場は強さを維持していると思う。

 前述の盛田氏は、ソニーが新卒採用を始めた頃、新入社員に向かって

「とにかく自由にやれ! そして君たちの中で、一人でもよいから世の中を変えるような製品をつくってほしい」

と訓示したという話を聞いたことがある。









ソース:MacFan 2015年 05月号 [雑誌]
福留大士「現場の気づきに気づけているか?」




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