NHKブラタモリ
「樹海の神秘」より
青木ヶ原樹海に眠る「富士風穴」。
富士風穴は、溶岩が流れてできたトンネルで、見つかったのは明治時代。天板が落盤して見えるようになった。その全長は200m以上。こうした溶岩トンネルは樹海のなかにたくさんある。
「火口から流れた溶岩の表面は、すぐに冷えて固まります。一方、内側はまだ熱く、柔らかい状態です。そこに次々に熱い溶岩が押し寄せ、やがて、固まった表面を破って溢れ出します。さらに、その表面の溶岩部分もまた固まります。この、固まっては破れるというサイクルが繰り返され、トンネルができるんです」
真夏には、地上と20℃以上も気温差がある富士風穴。
「風穴のなかの気温は、年間をとおしてほぼ0℃。真夏でも氷でおおわれています」
「冬のあいだの冷たい空気が、風穴のなかに溜まります。冷たい空気は重いので、夏になっても空気の入れ替えが起こらず、一年を通して低い気温のままだと考えられています」
「テニスコート一面ほどもある氷の空間。氷の地面から、まるでタケノコのように生える氷の柱、氷筍
(ひょうじゅん)と呼ばれます。天井からひとしずくの水が落ちるたび、氷の柱は成長していきます」
栗林秀旭
「じつはこの富士風穴はね、日本有数のね、蚕
(かいこ)の卵の貯蔵施設だったんですよ。日本全国から、遠くは福岡あたりからも蚕のタマゴを運んできたんです。当時は冷凍庫がありませんでしたから」
「日本を支えたた富士風穴の正体。それは蚕の卵の貯蔵施設でした。明治から昭和にかけて良質の生糸を大量に生産し、世界一の輸出国となった日本。養蚕業は近代化の礎
(いしずえ)となりました。風穴のなかで卵を冷やすと、孵化する時期を遅らせることができます。それまでは年に一回、春におこなわれていた養蚕が、夏と秋もあわせて年3回できるようになったんです」
「明治から昭和にかけて日本全国に、天然の冷たい風を利用した貯蔵施設がありました。なかでも富士風穴は、その広さから日本最大の貯蔵施設でした」
「明治時代に書かれた富士風穴の断面図です。入り口の窪地には、作業する人たちが寝泊まりする小屋。穴のなかには卵を貯蔵する小屋が3つありました」
1922(大正11)年10月5日の新聞記事(山梨日日新聞)
氷柱垂下せる
富士風穴中へ
溶岩の険路を御疲労もなく御元気益々御旺盛
「大正11年、のちの昭和天皇が皇太子だったときに、富士風穴を訪れました」
出典:NHKブラタモリ「樹海の神秘」