2020年9月18日金曜日

靴底の「金貨」木村秋則

 

話:木村秋則


靴底にはさまった金貨


いよいよ家計が逼迫してきた頃、少しでも現金収入を得るために私はアルバイトを始めました。ほかの農家と同じように冬は出稼ぎに出ていましたが、それまでアルバイトはしてきませんでした。リンゴ栽培で食べていくのだという意地があり、時間のすべてをリンゴに費やしたいと考えていたのです。しかし、そうも言っていられなくなりました。昼間は畑仕事があるため、働くのは夜。最初に勤めたのはパチンコ店でした。


ところが、私はそれまでパチンコというものをしたことがありません。店員の仕事は客のクレーム対応やパチンコ台の調整ですが、なかなか要領がのみ込めず苦労しました。高校卒業後に入った自動車部品メーカーのトキコでは、原価計算の仕事を担当していました。また、トキコを退職し実家に戻ったあと、依頼されて手伝った農協の金融業務では、その年の貯蓄高を倍増させました。機械の修理や改良も大好きです。しかし、パチンコ店の仕事は、まったく勝手が違います。客対応がおぼつかない私は、とうとうライバル店の入客状況を調べる仕事を割り振られるようになりました。ポケットにカウンターを忍ばせて他店に入り、台を探すふりをしてカチカチと人数を数えては店を出るのです。


その日も、いつもと同じようにいくつかの店を調べ歩いて、自分の店に帰ろうとしていたところでした。雪の降る季節で長靴履きでしたが、気がつくと歩くたびにカツカツと音がするのです。はじめは「ガムでもついたかな」と思いました。ガムが寒さで固まると、ちょうどそんな音がします。しかし立ち止まって靴底を見ましたが、ガムではありません。それは、切手よりひと回り小さいサイズの楕円形をした金属でした。靴底から取ってみると、厚さは1ミリほどで、手で力を加えれば簡単に曲がりそうな柔らかさです。そんな金属が、靴底のへこんだ部分にちょうどうまい具合にはさまっていたのです。


店の洗面所で洗ってみると、表面の汚れが取れ、酸化した真鍮のような赤っぽい金色になりました。私は、縁起物の熊手などについているオモチャの小判かなと思いました。家に帰り妻に見せると「お父さん、これ金じゃないの?」と言います。「まさか」と笑いながらも、念のため貴金属店に見てもらうことにしました。


翌日の出勤途中、さっそく貴金属店に持ち込んでみました。金属を見た店主は開口一番「お客さん、これ売ってくれませんか」と言いました。8万円を出すと言います。1円でも2円でも、お金が欲しい頃です。すぐに頷くこともできました。しかし、なぜかそう言われると売る気がなくなるのが、私の性分です。黙っていると「じゃあ、25万でどうですか?」と、いきなり値段が跳ね上がりました。店主は「ぜひ欲しい」と言うのです。こんな小さなオモチャみたいなものにそんな価値があるのだろうかと、私は不思議に思いました。どんなものかはわからないけれど、欲しいというのであれば売ってしまえば、お金は入ってきます。25万円あれば当座がしのげ、子どもたちに何か買ってやることもできます。それはわかっているのですが、私はそのまま小判を持ち帰りました。どうしても手放す気にはなれなかったのです。


その後しばらくして、思い立って別の貴金属店に行ってみました。するとそこでは、値段を言う前に「これは、どこで手に入れたのですか?」と尋ねられました。東北には数枚しかない貴重なものなのだそうです。買値は50万。しかし、それでも私の心は動きませんでした。「掛け値なしに欲しいから、もっと出してもいい。あなたの言い値で買ってもいい」とも言われましたが、結局そのまま店を出ました。その店では、100万円以上の値をつけても、買い取りそうな勢いでした。生活に困っているのですから、さっさと売って現金に換えるのが普通かもしれません。けれども、なぜかそうする気にはなれませんでした。今考えると、せっかく授かったものなのだから、お守り代わりに持っておこうと思ったのかもしれません。


家に帰って「売らなかったよ」と言っても、妻は何も言いませんでした。私も妻もお金に執着するタイプではありません。結局、その小判のようなものもどこかにしまったまま、長年目にしていません。家のなかを探せばあるはずですが、額に入れて飾っておこうとか、盗まれないように金庫にしまっておこうなどとは考えないのです。


聞くところによると、それはお金ではなく、殿様の奥方が、奉公していた女中に報奨として与えたものなのだそうです。今の勲章やメダルのようなもので、数多く出回っているものではないと言います。確かに、よく見ると表面には細かな模様が彫られていて、「金○匁」という文字が読み取れました。


そんな貴重なものが、なぜ弘前の歓楽街を歩く私の長靴についていたのでしょうか。考えてみれば不思議です。結局お金にはなりませんでしたが、それは苦しい生活のなかでちょっとお日さまが顔を覗かせたオマケのような出来事でした。




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