2015年4月12日日曜日

シンガポールとは?



岩崎育夫
物語 シンガポールの歴史 (中公新書)

「はじめに」より



 シンガポールは、政治の安定と高い経済水準を誇る、赤道直下の東南アジアの国である。シンガポールの地は1819年にイギリス植民地となり、1965年にマレーシアから分離して独立国家になった。イギリス植民地以降の歴史は200年にも満たない若い社会であり、独立国家の歴史も50年ほどである。

 また、独立国家といっても、国土面積は東京23区よりも少し広い程度(714.3平方km)、人口は横浜市とほぼ同じ約380万人の小さな島国年国家である。国民は、アジア各地から移民してきた人々の子孫からなり、華人74%、マレー人13%、インド人9%などで構成される多民族社会である。





 シンガポールがアジアや世界で注目されるのは、多くのアジア諸国が独立後に政治社会混乱や経済停滞が続くなかで、マレーシアからの分離独立後は、英語教育エリートを軸にした人民行動党(PAP)の長期政権の下で政治が安定し、日本やアメリカなど先進国企業の国際加工基地として、また東南アジアの金融センターとして発展したことにある。2011年現在、シンガポールの一人当たり国民所得は5万1,714ドルで、日本の4万5,921ドルを抜いて、アジア第一位である。

 都市部の街並みは日本の都会とほとんど変わりがなく、一瞬、自分が東南アジアの地にいることを忘れてしまう。だが、一歩、路地裏に足を踏み入れると、そこには、まぎれもなくアジアの伝統社会の生活空間が拡がっている。



 19世紀初頭に歴史がはじまった何の資源もない若い国で、なぜ急速な発展と近代化が可能になったのだろうか。

 シンガポールに対して湧く疑問の一つは、なぜ、小さな都市国家が誕生したかにあるが、その理由は、地域におけるマレー人と華人との民族対立にあった。もう一つの疑問は、天然資源がほぼ皆無な国で、なぜ経済発展が可能になったのかにあるが、それは、国家主導型の開発にあった。



 すなわち、国土が小さく何の資源もないなか、世界とつながった経済発展こそが唯一の生存の道であるという考えの下で、政府が開発関連機関を体系的に整備し、社会の有能な人材を開発官僚として確保し、彼らが必死に先進国企業を誘致して、これらの企業が活動しやすい環境整備に努めたこと、政府みずからも開発に参加して官民一体の開発方法を進めたからである。

 シンガポールは、経済発展を最大の国家目標に設定し、政治や社会は、その手段とみなされたのである。

 このような国家は開発主義国家と呼ばれ、1970〜80年代のアジアには韓国やインドネシアなどいくつかの国で登場したが、シンガポールはそのモデル国でもあった。



 本書は、200年ほど前にはジャングル同然だった熱帯の無人島が、なぜイギリス植民地になり、どのようにして移民が集まり社会が形成されたのか、第二次世界大戦後はどういった政治過程を経て独立国家になったのか、独立後はどのようにして人民行動党(PAP)という政党による一党支配体制が成立し、それを基盤に経済開発を進めたのか、国民はそれをどう受け止め、移民社会がどのように変容したのか、今後はどの方向に向かうのかなど、シンガポールの大きな歴史潮流をつかむことを試みる。

 本書は、歴史的事実を踏まえながらも、それぞれの時代の主要な出来事の意味、現代シンガポールを創り上げたリー・クワンユーの評価、シンガポールがアジアや世界にもつ意義などについても、筆者の独自の解釈を交えながら叙述と考察を進めていく。

 読み終えた後に、読者がシンガポールのたどった大きな歴史過程をつかみとり、シンガポールはどういう国なのか、アジアや世界のなかでみたシンガポールの特徴について、一つのイメージを描けたならば幸いである。






引用:岩崎育夫『物語 シンガポールの歴史 (中公新書)』はじめに



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