2015年4月17日金曜日

アップルの歴史的デザイナー [Jonathan Ive]







Jonathan Ive (ジョナサン・アイヴ)

いわずと知れた Apple (アップル)のトップ・デザイナー。iPhone, iPad, MacBook などなど、彼の手によって形作られてきた。

”坊主頭に短く整えたアゴひげをたくわえた彼は、屈強なラグビー選手のような体格だが、遠目に見ても大らかな印象だ”
(WIRED)




”おそらく、北朝鮮の閣議室よりも潜入しにくいのが、『アップルのデザイン・スタジオ』だ。スモークを貼った窓の向こうには、アイヴの妻さえも足を踏み入れたことはなく、何をつくっているのかすら教えてもらえないらしい”
(WIRED)


その密室に流れるBGM。

アイヴは言う。

「文章を書くときは静かでなければダメなのに、デザインをするときは静寂に耐えられないんだ」

彼はかつて、スティーヴ・ジョブズがスタジオにやって来るたびに、音楽のボリュームを上げていたという。

”ジョブズの批判を聞かなくて済むように、調子を狂わされないようにするためだった”と彼は言う。






故アップルのCEO、スティーヴ・ジョブズ(Steeve Jobs)

彼がアイヴの才能を”有効化”したとされる。

Jonathan Ive
「世界のとらえ方が”自分はかなり独特だ”と感じるとき、なんとなく仲間はずれにされたような寂しい気分になるよね。たぶん、ぼくらは同じ世界を同じように見ていたんじゃないかな」

アイヴはイギリス・ロンドンのはずれ、チングフォードで育った。森で遊ぶのには、うってつけの土地だった。祖父はエンジニア、父親は銀細工の職人だった。高校では彫刻や物理を学び、1985年にニューカッスル・ポリテクニック(現在のノザンブリア大学)のデザイン科にすすむ。大学卒業後、小さなデザイン・コンサルタント(社名『タンジェリン』)で働いていたところを、アップルに見出された(1992年)。



ジョブズと出会ったのは、アイヴがアップルに幻滅して会社を辞めかけていた時。1997年、アップルを追放されていたジョブズが帰ってきた時だった。

「コンピューターはなにも、”NASAの一室にあるような外観”である必要はない」

2人の一致した意見だった。



2人はすぐに意気投合。最初の大ヒットとなったのは「カラフルな、キャンディ色のiMac」。革命的なデザインでありながら、親しみやすい友達のような製品だった。

Jonathan Ive
「ぼくらが心を込めて取り組んでいたのは、新しくて革新的だけれども、同時に”どこか親しみのあるもの”を生み出すことだったんだ」

批評家たちは、ジョブズとアイヴのパートナーシップを『プロダクト・デザインの黄金期の幕開けだった』と語る。






2011年、ジョブズの追悼式では、アイヴもステージに上がった。普段は公の場に立たないアイヴも、”この時ばかりは”と大親友のために壇上に立った。

Jonathan Ive
「たぶん彼(ジョブズ)は誰よりもよく理解していたんだと思います。アイディアが最終的には強力なものに成りうるとしても、その始まりは脆(もろ)く、”ほとんど形すら成していない思いつき”であることを」







アイヴは「不思議なくらい控えめだ」と、彼を知る人々は語る。

友人かつ隣人であるトレヴァー・トレイナは言う。

「ジョニー(アイヴ)は偉ぶらず、目立ちたがらず、自分の功績を笠に着たりしない。彼はうわべだけの華やかさに惑わされたりはしないんだ」



香港生まれの実業家、デイヴィッド・タンは言う。

「彼はインターネットが爆発的に普及したとき、まさにその中心にいたにも関わらず、”無名だった”と言っても過言ではない。彼がもっと広く話題にされないことが驚きだ」






アイヴは妻と息子たちとともサンフランシスコに暮らす。

Jonathan Ive
「10歳の息子たちとは、ぼくが昔していたようなことをして過ごすのが好きなんだ。なにかモノをつくったり。モノというのはヴァーチャル(仮想)ではなく、リアルなモノだ。絵を描いたり、なにかを作ったり、”直接やってみること”を学ぶのが大切なんだ。自分であれこれいじってみてね」


アイヴは木工が大好きだ。


Jonathan Ive
「ぼくのバックグラウンドの大半を占めるのは、自分の手で物理的に”なにか”をつくり出すことだからね」

彼は、デザインの才能を目立たないように使ってこそ、最高の仕事ができると考える。

Jonathan Ive
「おかしな皮肉だよね。”これはデザインではない”と思わせるのが、ぼくのゴールだと思うんだから」






たまの休暇に、アイヴはロンドンを訪れることが多い。

そして家族で、マーク・ニューソン(Marc Newson)に会いにいく。ニューソンはオーストラリア出身のデザイナーで、アイヴとは15年来の親友。アイヴが首からかける老眼鏡は、ニューソンのデザインしたものだ。

”ニューソンのデザインは、あらゆるものを有機的な曲線で包み込む。そんなデザインを月並みな言葉で表現すれば、「やさしく愛着がわく」ということだろう”
(MacFan)

ニューソンは日本企業とのコレボレーションも多い。たとえば携帯電話「タルビー(talby)」、ペンタックスのカメラ「K-01」などなど。






ニューソンは言う。

「嫌いなものをわざわざ口に出す必要もないくらい、ぼくらは気が合った。ものを見て、顔を見合わせて、あきれた表情をするだけでいいんだ」

お粗末なデザインに対してニューソンは厳しい。たとえばアメリカの車は、「まるで巨人がマフラーにストローを突っ込んで膨らませたみたいだ」と”忌み嫌う”。



アイヴとニューソン、この2人は2013年、U2のボノのために MacPro (Redモデル)やライカのカメラなどを手掛けた。ボノの設立したチャリティ団体「(Red)」のオークションに出品するためだった。お互いがキュレートした製品の落札価格は1,300万ドル(約15億円)近くに達した。

ボノは言う。

「2人は、”生まれてすぐに引き離された二卵生双生児”という感じだ。互いの食べかけだって、食べることができるんだ」






「いい感触だろ?」

アイヴがそう言って手渡したのは、真新しいアップル・ウォッチ(Apple Watch)。

「すばらしいだろう?」

親友ニューソンとともに作りあげた最新作。

”アイヴらしいメタルのテクスチャと、ニューソンらしい曲線。それら2人のデザイン哲学が融合されて、両者の感性がシンプルなかたちで落とし込まれている”
(MacFan)






Jonathan Ive
「へんな気分だよ。一つのものに3年も取り組んできたんだから」

かつてスマートフォンが葬り去ったはずの腕時計。それをまた、アップル・ウォッチによって人々の手首に戻そうとしている。スマートフォン(iPhone)と新たな連携をはかって。

Jonathan Ive
「この途轍もなくパワフルなテクノロジーを個人が身に着けるために、人々がいかに奮闘してきたか。ぼくらがしようとしてきたことはすべて、”どこまでもピュアで、どこまでもシンプルなものを追い求めること”なんだ」






自分がつくっているものが世界をより良いものにするのか、それとも人間をダメにしてしまうのか。

これは”職人の息子”としてアイヴが絶えず自問していることだ。

Jonathan Ive
「これで君は、”ぼくの鼓動”を感じることができるんだ」

アップル・ウォッチはそれを身に着けている人の鼓動を、相手に送ることができる。ユーザーの脈打つ手首を、アップル・ウォッチは正確に測定し、送信するのである。







アイヴの仕事部屋は白一色に統一されている。

その中で唯一異質な「黒いテレビ」。アップル製ではない。

”アップルはいつテレビ、あるいはそれに取って代わるものを出すのか?”

そんな問いを象徴しているかのようだ。



アイヴはデザイナーとして野心を静かに語った。

「とにかく、”まっとうで理に適ったオルタナティブ(代わりになるもの)など存在しない”という意識をもつことだ」






Jonathan Ive
「おもしろいよね。なにかを味見して変な味だと思ったら、その”食べ物がおかしい”と考える。それなのにどういうわけか、人は何かを操ろうと苦戦しているとき、”問題は自分にある”と考える」






(了)






ソース:WIRED
ジョナサン・アイヴが答えた「アップルのデザイン」
そのルーツから Apple Watch に至るまで



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