ラベル 武士 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 武士 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013年10月31日木曜日

「迷」とは止まること。『無明住地煩悩(沢庵)』



話:鈴木大拙



つぎに示すのは、禅と剣道との関係について柳生但馬守に送った沢庵和尚の書翰である。それは『不動智神妙録』と題されている。沢庵は、このすぐれた剣士にあたえた書翰のなかに、無心(彼の心が生命それ自体の原則と完全に共鳴した心理状態。仏教の語義からいうと、それは死生の二元論を超越すること)の意義をきわめて強調している。

無心はある点において「無意識」の概念にあたると見てよい。心理的にいえば、この心の状態は絶対受動のもので、心が惜しみなく他の「力」に身をゆだねるのである。この点で、人は意識に関するかぎりいわば自動人形になるのである。

しかし、沢庵が説くように、それは木石などの非有機的な物質の無感覚性および頼りない受動性と混同してはならぬ。「無意識に意識すること」——この目もくらむばかりの逆説以外に、この心的状態を叙述する道はない。



沢庵『不動智神妙録』

仏教の示すところによると、精神発展の段階が五十二あり、その一つを「止る」といい、それに至ると人は一点に定着して、自由に動くことができなくなる。剣道にもこれにあたるものがある。この段階を沢庵は無明住地煩悩といっている。

無明住地煩悩

無明とは、明になしと申す文字にて候。迷を申し候。その五十二位の内に、物ごとに心の止る所を、住地と申し候。住は止ると申す義理にて候。止ると申すは、何事につけても其事に心を止るを申し候。

貴殿の兵法にて申し候はば、向ふより切る太刀を一目見て、そのままにてそこにて合はんと思へば、向ふの太刀にそのままに心が止まりて、手前の働きが抜け候て、向ふの人に切られ候。これを止ると申し候。

打太刀を見ることは見れども、そこに心を止めず、向ふの打つ太刀に拍子を合わせ、打たうとも思はず、思案分別を残さず、振上る太刀を見るや否や、心を卒度(そっと)止めず、そのまま付け入て、向ふの太刀にとりつかば、我を切らんとする刀を、我が方へもぎとりて、かえって向ふを切る刀となるべく候。

禅宗にはこれを還把槍頭倒刺人来ると申し候。槍はほこにて候。人の持ちたる刀を我が方へともぎとりて、還って相手を切ると申す心に候。貴殿の無刀と仰せられ候事にて候。

向ふから打つとも、吾から討つとも、打つ人にも打つ太刀にも、程にも拍子にも、卒度も心を止めれば、手前の働は皆抜け候て、人に切られべく申し候。敵に我心を置けば、敵に心をとられ候間、我身にも心を置くべからず。我身に心を引しめて置くも、初心の間、習入り候時の事なるべし。太刀に心をとられ候。拍子合に心を置けば、拍子合に心をとられ候。我太刀に心を置けば、我太刀に心をとられ候。

これ皆心のとまりて、手前抜殻になり申し候。貴殿これ御覚あるべき候。仏法と引当てに申すにて候。仏法には、この止る心を迷と申し候。故に無明住地煩悩と申すことにて候。





引用:鈴木大拙『禅と日本文化 (岩波新書)



関連記事:

千手観音と不動明王 [沢庵和尚]

足なし禅師『本日ただいま誕生』小澤道雄

循環に陥る”分別” [禅問答]


2013年10月30日水曜日

斬るよりも心打つ「正宗」



話:鈴木大拙



正宗は鎌倉時代の後半にさかえた。彼の作品はその優れた質のために刀剣の蒐集家からひとしく賞せられている。切れ味に関するかぎりでは、正宗は彼の高弟の一人なる村正には及ばぬかもしれぬが、正宗には、正宗の人格からくる何か精神的に人を打つものがあるといわれている。

伝説とはいうのはこうだ。ある人が村正の切れ味を試そうと思って、水流にそれをおき、上流から流れてくる枯葉にむかって、どうするかを見守った。刃に出会った枯葉は、どれも二つに切られた。彼は、今度は正宗を立てたが、上から流れてくる木の葉はその刃に触れることを避けて行った。

これは驚くべき実験であった。正宗は人を斬るということに関心をもたなかった。それは切る道具以上のものだった。しかし村正は、切るということ以外に出られなかった。村正には心を打つような神聖なものは何もなかった。

村正は恐ろしいが、正宗は人情味がある。村正は専制的であるが、正宗は超人間的だ。柄に銘を刻むのは刀工の習慣であったが、正宗はほとんどこれをやらなかった。









関連記事:

兄の死と弟と。剣聖・上泉伊勢守

誠義にあらず!

棋譜に隠されていた主君の真意。真田昌幸



引用:鈴木大拙『禅と日本文化 (岩波新書) 』 第四章 禅と剣道


「一剣」問答 [楠木正成]



話:鈴木大拙



禅は活人剣と殺人刀ということを語る。そのいずれを、いついかなる風に、使うべきかを知るのは、すぐれた禅匠の働きである。

文殊菩薩は、右手に剣を、左手に経典をもつ。しかし、文殊菩薩の聖なる剣は、生きものを殺すためではなくて、われわれ自身の貪欲・瞋恚(しんに)・愚癡を殺すためである。それはわれわれに向かって擬せられる。こうするのは、われわれの内部にあるものの反映であるところの外界の世界もまた、貪欲・瞋恚・愚癡から自由にされるからである。

不動明王もまた剣をもって、仏徳の流行をはばむ一切の敵を滅さんとする。文殊は積極的で、不動は消極的である。不動の憤怒は火のごとく燃え、敵の最後の陣営を焼き尽くすまでは消えない。

しかる後にふたたび元の容相をとり、彼がその侍者であり、示顕であるところの盧遮那仏(るしゃなぶつ)となる。盧遮那仏は剣を持たぬ。彼は剣そのもので、その内に全世界を容れつつ、寂然として不動なのである。



つぎの「一剣」問答が、これを意味する。楠木正成が湊川で足利尊氏の大軍を迎えようとしたとき、兵庫のある禅院にきて和尚に尋ねた。

生死交謝のとき如何(人が生死の岐路に立った時は、いかにしたらいいでしょうか)」

和尚が答えた。「両頭ともに裁断すれば、一剣天に倚って寒し(お前の二元論を断切れ。一本の剣だけを静かに天に向かって立たせよ)」



この絶対的な「一剣」は、生の剣でも死の剣でもない。そこから二元の世界が生じ、また、そこにおいて生死一切がその存在をもつところの、剣である。それは盧遮那仏自体である。これを把握するならば、路の岐れるところにおいて、いかに振る舞うべきかを知るのである。

剣は、いまや、宗教的直観の力や直進をあらわす。この直観は智力とは異なり、分離してそれ自身の通路を塞いでしまうようなことはない。うしろもわきも顧みないで前へ進む。








関連記事:

熱田神宮の守る「三種の神器」草薙神剣

千手観音と不動明王 [沢庵和尚]

「観」と「見」 [宮本武蔵]



引用:鈴木大拙『禅と日本文化 (岩波新書) 』 第四章 禅と剣道


2013年10月29日火曜日

上杉謙信と禅 [鈴木大拙]



話:鈴木大拙



上杉謙信と武田信玄とは、日本が戦国時代にあった16世紀の二名将であった。2人はその領地が相接していたので、一般にならび称せられ、彼らは幾度かその優越を争わねばならなかった。彼らは武人としても支配者としても、相伯仲した。

また、禅を学ぶ点でも同じであった。彼らは若いとき禅院で教育をうけ、中年にして剃髪して入道を称した(謙信は仏教僧侶と同様に肉食妻帯をしなかった)。謙信の俗名は輝虎、信玄は晴信である。が、法名のほうが知られている。

謙信はかつて、信玄が領民のための塩の欠乏にいたく悩んでいるのを知った時、寛大にも自分の領地からその必要な物資を敵に供給した(日本海に臨んでいるので越後は塩を十分産した)。



川中島の対陣戦の一つでは、謙信は敵の出方の遅いのに業を煮やして、一挙に勝敗を決せんものと単身、信玄の陣に乗り込んだ。謙信は敵将が数人の幕下とともに悠然と椅子に腰掛けているのを見るや、剣を抜いて信玄の頭上真向から斬りつけて、

「いかなるかこれ剣刃上の事」と禅問を発した。

信玄は少しも騒がず、そのとき彼の手にしていた鉄扇で襲いくる武器をかわして、

「紅炉上一点の雪」と答えたという。



謙信は僧・益翁のもとで熱心に禅を学んだ。師僧はつねに彼にこう言った。

「あなたが真に禅を会得せんと欲せるるならば、命を捨てて直下に死の穴に飛び込むことが必要です」

謙信はのちに彼の家臣たちに次のような訓戒をのこした。

「生を必する者は死し、死を必する者は生く。要はただ心志の如何にあり。よくこの心を得て、守持するところ堅ければ、火に入りて焼けず、水に陥って溺れず、なんぞ生死に関せんや。予、つねにこの理を明らかにして三昧に入れり。生を惜しみ死を厭うがごときは、いまだ武士の心胆にあらず」

武士の最高なる者 [新渡戸稲造]



武士道を「山」とたとえた新渡戸稲造

その山は麓から「ほぼ五帯に区分する」というが、その最高峰には…



話:新渡戸稲造

汝は峻険崎嶇(きく)たる山径を攀じ、至高の地帯に登りて、武士の最高なる者を見んとする乎。

ここに在りては、汝を迎うるに、すこぶる柔和なる民族の毫も軍人的にならず、その容貌態度ほとんど婦人に類するものあり。汝は彼らを見て武夫なるや否やを疑わんとす。汝は一見もって彼らを凡人視することもあらん。

彼らは尊大ならず。汝は容易に彼らに近づくを得べく、彼らの親しみ易きがゆえに、狎れ易しとなさん。されど汝は近づかざらんとするも能わざるがゆえに、彼らに接し来ることなるを知らん。彼らは貴賎、大小、老幼、賢愚と等しく交わり、その態度は嫺雅(かんが)優美なりというもおろか、愛情はその目より輝き、その唇に震う。

彼らの来るや、爽然たる薫風吹き渡り、彼らの去るや、吾人が心裡の暖気なお存す。学をてらわずして教え、恩を加えずして保護し、説かずして化し、助けずして補い、施さずして救い、薬餌を与えずして癒し、論破せずして信服せしむる。

彼らは小児のごとく戯れかつ笑う。彼らの戯は無邪気というもなかなかに、罪を辱かしむるものなり。彼らの笑は微かなりといえども、萎えたる霊魂を蘇生せしむ。彼らの小児らしきは、罪ある良心をして、純潔を羨望せしむ。彼ら泣かば、その涙は人の重荷を洗い去る。










関連記事:

『葉隠』と禅

現代に続く「元服」の儀式

ジャン拳の世の中 [新渡戸稲造]



引用:新渡戸稲造『武士道の山

『葉隠』と禅



話:鈴木大拙



最近、中国の軍事行動に関連して、やかましく言われた一つの文章がある。

『葉隠(はがくれ)』というのであるが、それは文字通り「葉の陰に隠れる」意で、わが身を誇示せず、角笛を吹いて廻らず、世間の眼から遠ざかって、そうして社会同胞のために深情を尽くすのが武士の徳の一つだというのである。この書は種々の記録・逸話・訓言などから成っているが、その編纂はある禅僧が担当したのである。この仕事は17世紀の中葉に佐賀藩主の鍋島直重の下で着手された。

この書は、いつにても身命を捧げる武士の覚悟を極めて強調し、いかなる偉大な仕事も、狂気にならずしては、すなわち、現代語で表現すれば、意識の普通の水準を破ってその下に横たわる隠れた力を解放するのでなければ、成就されたためしはないと述べている。

この力はときとして悪魔的であるかも知れぬが、超人間的であり、すばらしい働きをすることは疑えぬ。無意識状態が口を切られると、それは個人的の限度を超えて立ちのぼる。死はまったくその毒刺を失う。武士の修養が禅と提携するのはじつにこの点である。






引用:鈴木大拙『禅と日本文化 (岩波新書)