終戦後のシベリアで凍傷にかかり両足を切断。帰国後、義足で托鉢行脚をはじめた禅僧がいる。
「足無し禅師」と呼ばれた小澤道雄(おざわ・どうゆう)師である。
話:妻・小澤道仙(おざま・どうせん)
おっさま(和尚さま)は大東亜戦争に従軍し、北朝鮮で終戦をむかえました。シベリア抑留中に、逃げようとした戦友を止めようとして前に立ちはだかったため銃弾が右肩を貫通。昭和20年(1945)11月、治療のために満州の牡丹江の陸軍病院まで貨車に乗せられて運ばれるのですが、これがおっさまが見た”地獄の入り口”でした。
貨車には強制労働ができなくなった元日本兵約500名が乗せられていました。北満の11月といえば気温は氷点下40〜50℃。暖房はもちろん食べ物もわずかしかない状態で、終戦時の夏服のままですから、その寒さと空腹は想像を絶するものがあったはずです。冷凍人間となった元兵士の半数が命を失い、おっさまは一命を取り留めたものの足に”重度の凍傷”を負ってしまうのです。
陸軍病院とはいっても医薬品や医療器具、食糧は極度に欠乏していました。ペチカ(暖房)のある暖かい病室に寝かされた喜びは束の間、やがておっさまの両足は内科の軍医さんによって麻酔もないまま、メスとノコギリで切り落とされるのです。
私がおっさまの自伝『本日ただいま誕生』で、衝撃のあまり言葉を失ったのも、この件(くだり)でした。思うだけで息が詰まりそうですが、ここはおっさまの言葉をそのまま紹介します。
「最初のメスが私の脛の肉を切り裂いた。一瞬、私の歯がカチンと噛みあい、全身がギリッと音をたてて硬直した。それは痛いなどという言葉とは別である。『痛い、痛い、痛い』と百万遍さけび、その百万遍の痛さを一瞬間に凝縮したとでも言えばいい。私は想像を絶した痛さに身体を硬直させたまま呼吸をすることができない。
だが私の肺臓はある時間がくると自分勝手に空気を吸い込み、空気を吐き出す。すると喉のあたりで異様な音がでる。声というよりは単なる音というべきだろう。なぜなら私はこの2時間のあいだ、痛さのために喚いたり呻いたりした憶えはないからだ。凄まじいばかりの激痛を自覚しながら、私はまるで軍医と一緒になって自分の足を切っていくような気持ちを味わっていた」
手術時と同じこの痛みは、それから一ヶ月続いたといいます。徐々に痛みに馴染むにつれ、おっさまは自分が置かれた現実を直視するようになります。両足を失い右手も満足に使えない体を思えば、そこにあるのはただ絶望のみでした。
労働は無理と判断され帰国命令がくだったのはその半年後。おっさまを担架で運ぶ健康な4人の兵士とともに帰国することになりました。4人は運よく強制労働を免れ、夢にまでみた日本に帰れるわけですが、いざ歩きはじめると”歩けないおっさま”をお荷物と感じたのでしょうか、ある朝、担架の上で目を覚ましたおっさまは広大な荒野に一人、おいてけぼりを食らったことに気づくのです。
もし開拓団の一行が通りかからなかったら、飢え死にするか野犬の餌食になるしかなかったといいます。晩年、よく「あの時は本当に仏さんの計らいだった」と感慨深げに話しておりました。
おっさまが帰国したのは終戦の翌年。体重は38kgにまで落ちており、体力の回復を待ってふたたび切断手術が行われました。その頃、おっさまはある深い悩みを抱えていました。自分の”惨めな姿”をさらすことで、家族を悲しませてしまうことでした。
復員の知らせを受けた山梨の家族が神奈川の病院に見舞いに来たとき、おっさまは思い切って両足を見せて、こう言いました。
「いっそのこと死んでしまおうと思ったが、帰ってきました」
それを聞いたお母さんはベッドに近寄り、しばらく包帯の上から傷口を撫でながら、「よう帰ってきた…」とポツリと言いました。そして、お兄さんがフィリピンで戦死したことを静かに告げるのです。
お母さんは誰よりも頼りにした長男を戦争で奪われ、未亡人となった嫁と妹さんの3人で農業をしながら細々と暮らしていました。身体障碍者となった自分にいったい何ができるのか。それを思うと、おっさまは底知れぬ絶望の淵に落ちていくのでした。お母さんの悲しみと自分の非力さを思い、あとで一人、声を殺して泣いたそうです。
幼い頃、親戚の寺に養子に入っていたおっさまは、そういう絶望のドン底で必死に観音様に祈り、救いを請いました。『観音経』には「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)」と唱えれば観音様は人間をあらゆる苦悩や厄災から救ってくださる、という教えがあります。
しかし、どんなに祈っても答えは返ってきません。「願いが聞き入れられない、自分は仏に見捨てられた、もう甘えるのはやめよう」と決心したとき、心の底から”ある閃き”が湧いてきます。
「苦しみの原因は比べることにある。比べる心のもとは27年前に生まれたということだ。27年前に生まれたことをやめにして、きょう生まれたことにするのだ。両足切断したまま、きょう生まれたのだ。きょう生まれたものには一切がまっさらなのだ。それで一切文句なし」
この『本日ただいま誕生 』は、おっさまが人生のドン底で得た深い悟りであり、その後の人生はこの言葉を軸に展開していくのです。
引用:致知2013年11月号
「『足無し禅僧』小澤道雄の生き方に学ぶもの 小澤道仙」
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