2018年5月6日日曜日
人はなぜ、あってほしいと願うものを見てしまうのか?
話:レイ・カーツワイル
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さらに複雑なパターン認識の作業において、わたしが「仮説と検証」と名づけたモデルの有用性を裏づける文献がたくさんある。
皮質は、それが見ているものが何かを推測し、実際に視野にある特徴が、その仮説に一致するかどうかを判定する。実際にわが目で検証するよりも、仮説のほうに注意がいってしまうことが多い。こう考えると、人々がなぜ、実際にそこにあるものではなく、あってほしいと願うものを見たり聞いたりするのか、ということへの説明がつく。
「仮説と検証」は、コンピュータベースのパターン認識システムでも、有用な戦略として活用することができる。
われわれは両眼を通じて高解像のイメージを受け取っているという幻想を抱いているが、視神経が実際に脳に送ってきているのは、視野の中で興味をひいた点についての輪郭や手がかりにしかすぎない。つまるところ、並行したチャネルを通って届けられた極端に解像度の低い一連の画像を、皮質が解釈し記憶したものを頼りにして、まさに世界を幻視しているのである。
2001年に『ネイチャー』誌に発表された研究論文では、カリフォルニア大学バークレー校の分子細胞生物学教授フランク・S・ワーブリンと、博士課程に在籍するボトン・ロスカ医師が、視神経には10~12の出力チャネルがあり、それぞれが、ひとつの場面について最小限の情報をはこぶ、ということを明らかにしている。
神経節細胞と呼ばれる細胞のうちの、あるグループは、輪郭についての情報(コントラストの違い)だけを送っている。他には、同色無地の広い面積だけを検知するグループがあったり、興味をひく形状の背景だけを感知するグループもある。
「わたしたちは、世界を完全に見ていると思っているが、実際に受け取っているのは、じつは、空間や時間に散らばったヒントや輪郭にすぎない」
とワーブリンは言う。
「世界をとらえた、この12の画像が、眼の前に広がっているものについて私たちが得ることのできる全ての情報であり、こんなに貧弱な12の画像から、視界に映る豊かな世界を構築している。どうして自然は、こんな12の単純な画像を選んだのだろう、私たちが必要としている情報すべてに対して、どうしてこれだけで事足りるのだろう、と不思議でならない」
この発見から、眼や網膜や初期の視神経の処理を代替できるような人口システムの開発が、大きく躍進するように思われる。
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From:
『シンギュラリティは近い』
レイ・カーツワイル
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