〜話:加藤咄堂〜
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柳生宗矩(やぎゅう・むねのり)が、其の子の十兵衛の技量を試みんとて、突然石をもって右眼を打つと、ハッと云ひつつ左の眼を押へたといふ。
右を打たれるば右を押へるが人情。されど既に打たれたる右は詮なし、この上は左を打たれざるこそ肝要なるは理の当然。これを機一髪間に行ふたといふのは、心に物なきが故に、自然に変に応じ得たので、少しでも物があればそれに奪われて、妙用自然なることを得ないのである。
真空妙有(しんくうみょうう)は仏法の極意。何にも無きところに物あり、心に物なきが故に何物をも容るることができて融通無碍(ゆうづうむげ)なることができるのである。
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引用:加藤咄堂『
剣客禅話』
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