2012年9月17日月曜日

神速で28サンチ砲を設営した男。有坂成章


「おい長岡君、今の砲口ではとても『旅順要塞』は落ちない。『二十八サンチ榴弾砲』をやろうではないか」

参謀次長・長岡外史に、有坂成章はそう話しかけた。その目標は、日露戦争における最大の激戦地・旅順要塞である。



有坂は大口径砲でロシア軍の兵舎を貫通することを考えていた。28サンチ砲というのは、海岸などに常設される巨大砲であった。それに使用される砲弾は「堅鉄弾(けんてつだん)」と呼ばれる徹甲弾。これは主に艦船を撃沈するためのものだ。

この「堅鉄弾」は無筋コンクリートであれば1.8mを貫通する。対する旅順要塞の防壁は無筋コンクリート換算で1mほどの厚さ。有坂の計算ではギリギリ貫通できると見ていた。


しかし、28サンチ砲というのは海岸砲として設計されていたために、野戦での移動などは考慮されていなかった。たとえ移動させたとて、巨砲発射に耐えられるようなコンクリートの強固な砲台が不可欠であった。

当時のコンクリートは乾燥に3ヶ月を要する。「神速」の攻撃を迫られていた旅順攻略戦において、この長期間はおよそ非現実的であった。



ところが、有坂は「多方面の天才」。要塞も設計すれば、歩兵銃から野砲、砲台まで手がけた経験があった。有坂が目をつけていたのは、当時最新のポルトランド・セメント。これを用いれば、「1ヶ月」で28サンチ砲が設営可能と読んだ。

計画は有坂の目論見どおり。首尾よく移動、設置。参謀次長・長岡外史に話を持ちかけてから、本当にわずか1ヶ月で砲撃を開始できるまでに仕立てあげてしまった(9月末)。

小説「坂の上の雲」においては、この28サンチ砲は児玉源太郎の献策とされているが、その実働を担ったのは、最前線にあった有坂成章、その人であった。むしろ、児玉は当初、二〇三高地への攻撃にも否定的であり、海軍から要請されていた28サンチ砲の建設にも反論していた。



児玉が二〇三高地を確保すべきだと方針転換するのは、実際に旅順に立ってからのことらしい(11月末)。28サンチ砲は、その2ヶ月も前にすでに設置され、二〇三高地への砲撃を開始していたのである。

28サンチ砲を盛んにブッ放しても、二〇三高地は2ヶ月以上も落ちなかった。児玉は28サンチ砲の前進を命じたというが、それは怪しい。児玉が到着して1週間もせずして二〇三高地は落ちるのである。いくらポルトランド・セメントが早く乾くとはいえ、その移動に最低でも一ヶ月はかかるはずである。



そして、28サンチ砲だけが二〇三高地奪取への特効薬ではなかったのと同様、二〇三高地占領は旅順陥落を意味しなかった。激しい戦闘は二〇三高地占領後、およそ一ヶ月も続くのである(二〇三高地陥落以降の日本の戦死者は2,400名にも達する)。

小説の世界では、28サンチ砲が簡単に旅順を落としたような印象を受けるものの、現実の戦闘は、もっともっと血生臭いものであったようである…。





出典:歴史人歴史人 2012年 01月号
「屍の戦場! 旅順要塞と二〇三高地攻略」



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